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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■12かごいっぱいに / 関根弘興

2013年04月22日 | Weblog
2013/4/22放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。

 イエス様と弟子たちがガリラヤ湖を見渡す小高い丘に登り、ま、くつろぎながら語り合っていたときでした。大勢の群集がふもとからイエス様の方に押し寄せてきたんですねえ。するとイエス様は、この群集に何か食べ物を食べさせようか、と言われたのです。

 まあ弟子たちにすればたまったものではありません。静かなイエス様との時間をふいにされ、しかもこんな大勢の人たちにパンを与えるなど不可能だし、割に合わないと考えたことでしょう。

 しかしイエス様はそこにいた少年が差し出したパンと魚を用いて、何とそこにいた五千人以上の人々にパンを分け与え、人々を満腹にされたのです。そして余ったパン切れを集めると何と十二のかごが一杯になっていたと言うんですねえ。

 当時人々は宴会をするときには必ず余りものを取っておく習慣があったそうです。それは貧しい人々に施したり、宴会の給仕をしたしもべたちにふるまうためでした。十二のかごが一杯になったということは、まあこの時給仕の仕事をしていたイエス様の十二弟子を養うパンもちゃんと一杯あったということですよね。イエス様は給仕係をした弟子たちのためにも十分な配慮をし、恵みを与えてくださっているということです。弟子たちの中には、ま、群集に何か食べ物を用意しよう、とイエス様が言われた時に、こんな思いを持った弟子たちもいたと思います。「何でおれたちがこんな群集を養わなければいけないんだ。せっかくイエス様とこの小高い丘に来てゆっくりできると思ったのに、この群集はただ興味半分で来ているだけではないか。」 ま、そんな思いですね。そこにはどこかで、自分たちはイエス様の弟子で特別だ、群集とは違うのだ、という驕(おご)りのような自負があったのではないかと思います。

 時々、私たちの心にフッとこう入ってくるものがあります。それは人を見下す優越感のようなものですね。自分はこんなにやっている。これもやってきたし、あれもやってきたし、ましてあの人たちとは違う、というような思いが心に入ってくるんです。するとそれは人々をさばく心へと変化していくことがあるんですねえ。弟子たちにもそんな心が芽生えたのかもしれません。

 しかし十二かご一杯のパンが余ったということはどういうことでしょう。それはイエス様の弟子たちもイエス様の恵みによって養われていく必要があるのだということです。他の人たちとまったく同じだということですね。私たちは誰であってもイエス・キリスいトの与えるいのちのパンをいただくこと、つまりイエス様の与える救いによって心を満たさていくんです。

(PBA制作「世の光」2013.4.22放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。

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  郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会   まで

  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 (自由ケ丘キリスト教会内)  東海福音放送協力会 へ
 
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