♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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「世の光」を文字で 

■わずかな時間であろうと / 福井 誠

2018年03月07日 | Weblog
2018/1/31放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「わずかな時間であろうと」です。使徒26章29節を読んでみましょう。
 
 「しかし、パウロはこう答えた。『わずかな時間であろうと長い時間であろうと、私が神に願っているのは、あなたばかりでなく今日私の話しを聞いておられる方々が、この鎖は別として、みな私のようになってくださることです。』」

 パウロが捕えられてアグリッパ王の前で弁明をした時の出来事ですね。パウロは自分がどのようにしてイエスに出会ったのかを語っています。そして自分がそのイエスに福音宣教の使命を与えられたことを弁明しています。その使命は少なくとも三つの目的を達成することにありました。

 一つは、人々の目を開かせることです。人々はみな自分が正しいと思う通りに生きています。しかし実際には罪の闇とサタンの支配の中にあることを悟ろうとしません。その現実に目を開かせることが使命なのだという訳です。

 そして第二に、罪の赦しを得させること。イエスが十字架で命を捧げたのはその罪の赦しとサタンの支配からの解放を意味しました。

 そして最後に、御国を受け継がせること。つまり、すべての人が今や神の祝福に招き入れられていることを伝える。それがパウロの使命でした。

 パウロはイエスに出会って自分の人生が変わり、そのイエスにある真の祝福を人々にただ語り伝えたいと願っているのだと自分のことを弁明しているのです。

 するとユダヤ的背景を持ち、ユダヤ人の慣習や問題に精通しているアグリッパはパウロのことばに、「おまえは、わずかな時間で私を説き伏せて、キリスト者にしようとしている。」と動揺を隠せませんでした。実にパウロにとってそれは限られた時間のわずかなことばでしたが、アグリッパ王にとってはイエスを信じるのに十分なことばでした。アグリッパ王は信じるに値すべき内容がそこにあることを了解せざるを得なかったのです。

 教会に長く通い、聖書のお話が大体分りながらも、決心を先延ばしにしていることはないでしょうか? しかしわずかな時間であろうと長い時間であろうと、個人的に神に応答する機会はいつでも来ているものです。神の招きに信仰的に応じて歩んでいきたいものですね。

(PBA制作「世の光」2018.1.31放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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