♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して67年の
「世の光」を文字で 

■栄光に輝く主 / 関根弘興

2019年06月07日 | Weblog
2019/5/3放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 イエス・キリストの生涯を記した福音書の中に、イエス様がペテロとヨハネとヤコブの三人を連れて高い山に登られたという出来事が書かれています。山に着くとイエス様は祈り始められました。すると弟子たちは疲れていたのでしょう、眠気を催してうとうとし始めてしまいました。その時でした。彼らの眠気を吹き飛ばしてしまう出来事が目の前で起こったのです。それは何と白く光り輝く栄光の姿に変貌したイエス様の姿を見たんですね。

 イエス様について聖書が私たちに教えている大切なことは何でしょう。
 ピリピ人への手紙2章6節(、7節)にはこう書かれています。
 「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。」 こう教えています。本来イエス様は光輝く神なるお方であるにもかかわらず、それを捨てて人として来てくださったと教えているんですねえ。

 旧約聖書イザヤ章53章2節には、「彼には見るべき姿も輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもない。」と書かれていますが、イエス様の本来の姿は栄光に満ち、光り輝いているんです。弟子たちはここで神の御子としての輝かしい御姿を見た訳ですねえ。

 人間はどこかで上に上に昇りたがるくせを持っているように思います。あの人より私の方が上、この人より絶対下になりたくはない。上に上にと昇りたがるのです。もちろん向上心を持つことはとても大切なことですが、ともするとこうした思いが間違った優越感や劣等感を生み出してしまうこともありますね。

 しかしイエス様の姿はどうでしょう。栄光に満ち溢れた方であるにもかかわらず、上から下に降りてくださったのです。それも栄光をかなぐり捨てて私たちと同じ人として来てくださいました。そればかりか、しもべの姿となって来てくださったと聖書は教えています。人が上に上に昇りたがるとき、いつしか高慢を生み出します。しかし上から下に降りてきてくださった方がいます。イエス・キリストです。私たちはこのキリストの謙遜の姿を通して人としてどう歩むべきかを知り、このイエス様の謙遜が永遠の救いをもたらすことになることを聖書から知ることができるのです。

     (PBA制作「世の光」2019.5.3放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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