♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して66年の
「世の光」を文字で 

■互いが大切 / 関根弘興

2018年09月14日 | Weblog
2018/8/10放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

新約聖書のマルコの福音書2章に記されている出来事ですが、イエス様がカペナウムという町のある家におられた時でした。多くの人が集まり、家の戸口の所まで隙間もないほど人が一杯になっていました。イエス様が説教をされている時でした。屋根がバリバリと剥がされ、何と天井から病気で寝たきりになってしまった人が吊り下げられてきたんです。するとイエス様はその寝床を吊り降ろした友人たちの信仰を見て、その病んでる人を助けてくださいました。

 では彼らの信仰とは一体どのようなものだったのでしょう。前回は第一に、期待する信仰を持っていたということと、第二に、諦めずに求め続ける信仰を持っていたということをお話をしました。

 しかしそれだけではありません。第三に、彼らは協力しあうという信仰の姿を持っていたんです。この四人の友人の姿には麗しいチームワークを見ることができます。病気の人を床に寝かせたまま運ぶために四人が必要でした。床の四隅を持つ役割を担ったんです。一人では運べません。二人でも重すぎたでしょう。三人ではバランスが崩れたかもしれません。四人いたからこそ病人をイエス様のもとにまで運ぶ事ができました。

 信仰に生きるということは、互いが大切で必要な一人ひとりなんだということを自覚しながら生きることなんです。時には助け、時には助けられながら、また共に祈り、重荷を分かち合いながら歩んで行く、そんな仲間が必要なんですね。

 パウロという人は、ガラテヤ人への手紙6章の2節 
 「 互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。」(新改訳第三版)と記しています。「キリストの律法」とは互いに愛し合いなさいということです。互いの重荷を負いあうとき、互いに愛し会うことが具体的に行われていくんですね。とはいっても私たちはいつも一緒にいられるわけではありません。親しくしている人もいれば顔も名前もよく分からない人もいます。すべての人に対して同じように接することができません。でも他人の重荷をどれだけ担えるかもみな人によって違いますけれど、自分のできる範囲で他の人の重荷の一端を担うことはできます。互いの重荷を負い合い、互いに協力し、信仰に生きていく。そこにイエス様のみわざを見ることができるんですね。

  (PBA制作「世の光」2018.8.10放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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