2022/9/24放送
「世の光」の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
今日は、旧約聖書イザヤ書の10章からお話しします。
イザヤ書は、今から2800年ほど前の中近東のことが語られている書物です。
この当時、南北に分裂していたイスラエルは神の教えを守らず、自分勝手な礼拝をし、外国の神々を拝む偶像礼拝も盛んに行っていました。偶像礼拝とは、イスラエルの神が、してはならない、と厳しく命じておられたことでした。
その当時はアッシリアという国が勢力を伸ばし、イスラエルの地域にまで侵略をしてきていました。
アッシリアは北王国の都を攻撃しました。それは神の懲らしめであり、神は彼らを懲らしめることによって南王国にも罪を悔い改めさせて、神に救いを求めさせようとされたのです。
しかし人々は神に救いを求めず、自分たちの行っている罪をやめようとしませんでした。
実際にはその後アッシリアは北王国を滅し、南王国への侵略をするのです。
イザヤ書10章はそのようなときに語られました。しかしそこには、国々を滅ぼし奢(おご)り高ぶっているアッシリアを神が滅ぼされることが語られているのです。
そのところで神はイスラエルに、「もうほんの少しでわたしの憤りは終わる」と語っておられます。
神はイスラエルに対して憤っておられるのですが、アッシリアを滅ぼすことによって神は憤ることをやめると言われているのです。
そしてアッシリアが滅ぼされたあと、「イスラエルの残りの者」が悔い改めて、神に救いを求めるようになると語られているのです。
「残りの者」とは、実際にはアッシリアに捕えられ外国に捕え移された人々のことであり、そのような苦難と困難を通して自分の罪を認め、神の赦しを求めて、まことの神を信じるようになる人々のことです。
神がさばきをなさるのは、人にその罪を教え、罪を認めさせ、神を信じさせて、罪の赦しと救いを与えるためなのです。
神のさばきは、悔い改めることのできた人には神の救いなのです。
( PBA制作「世の光」 2022.9.24放送でのお話しより )
******
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
******
このサイトは URL名として http://yonohikari.biblica.info が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。