♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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「世の光」を文字で 

■十戒 -自由への励まし124 欲しがってはならない / 大嶋重徳

2019年10月31日 | Weblog
2019/9/26放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。
 十戒第10の戒めは「 欲しがってはならない。」(出エジプト記20章17節、申命記5章21節 新改訳2017)です。

 しかし欲求それ自体が罪ではありません。食欲も睡眠欲も性欲もまた人が生きていくために神様が創造された非常に良い欲求です。食欲・睡眠欲を私たちが失うことになれば、健康を失い、病気になってしまいます。私たち人間は、神様が造られたようにふさわしく欲求しないといけない存在なのです。しかし今、人間の欲望は罪とけがれの中に堕落してしまいました。人間の最初の間違った欲望は、エデンの園で受けた「神のようになれるよ」という誘惑に対して、「ああ自分は神のようになりたい」と求めたことから始まりました。人間の陰謀すら伴う欲しがる感情のもとにあるのは、「神のようになりたい」という感情です。つまり、神のように思いのままに振る舞いたい、世界を・人を思いのままに支配したい、という思いが次々と妄想を生み出し、策を練り、欲しい気持ちに没頭する生活を生み出していくのです。この誤った欲望こそ私たちの犯してしまう罪の出発点となってしまうのです。

 このようなはじめの失敗をしたからこそ、私たちは欲望の行き先を考える必要があります。私たちが幾ら自分の人生に多くの物を手に入れたとしても、私たちは死んだ後までその手に入れたものを持っていくことはできません。死は私たちの人生を冷静にしてくれます。これを手に入れたからといって何があるというか。このように終わりの日から人生を問うとき、私たちは人生を足し算ではなく引き算で考えるようになっていきます。私たちはあれがあれば幸せ、これがあれば幸せ、と足し算で人生を考えやすいものです。その足りない何かを求めるために、私たちは盗みをなし、人を殺し、嘘をついてしまうのです。しかし終りの日から人生を問い直すとき、あれがなくても幸せ、これがなくても幸せ、と人生を引き算で考えることとなるのです。その時に私たちがどうしてもあれがなければならないと思い込んでいたものが、実は最後的な観点からすると取るに足りないものを必死に求めていたのではないか、という冷静さが与えられるようになるのです。

 今日、あなたの人生で多くのものを失ったとしてもなお生きていける本当に必要なものをあなたは持っているでしょうか。神様こそ、あなたにそれを与えることのできるお方です。

    ( PBA制作「世の光」2019.9.26放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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