2024/09/09放送
「世の光」の時間です。お元気でお過ごしですか? 関根弘興です。
旧約聖書の創世記を今読んでいます。この世界の誕生、人間の誕生、そして神様に背を向けてしまった人の姿、この書にはさまざまなルーツが描かれているのです。
そして創世記5章には、アダムから始まった最初の系図が記されています。
でもその系図を見ると、なんと登場人物が考えられないほどの長寿、長生きなんですね。
例えば、「アダムは930年生きた」とか、「セツは912年生きた」という具合です。
ですからある人は、当時の年数の数え方は今と違うのではないかと考えたり、当時は地球の環境や空気中の酸素濃度などが今と違っていて長生きができたのではないかとか、いやいや遺伝子がまだ今ほど劣化していなかったので長生きできたのではないかと考える人もいます。
しかし聖書に最初に出てくるこの系図について、寿命の長さをあまり詮索する必要はありません。それよりもこの系図には普通は含まれていない独特な表現が出てくるのです。それは、「こうして彼は死んだ」という表現です。
系図は死んだ先祖の名前を記録していくものですから、「死んだ」ということはわざわざ書く必要がありません。しかしこの系図には丁寧に「こうして彼は死んだ」と繰り返し記されているのです。つまり、人はどんなに長生き、長寿であったとしても、「こうして彼は死んだ」という決して避けることの出来ない死という現実に直面しなければならないのだということを教えているわけですね。
しかしもし聖書が、「人は何年生きて・・・こうして彼は死んだ」「人生とは何年生きようが結局死んでおしまい」とだけ記す書物なら、そこには何の励ましも慰めも希望もありません。
私たちは旧約聖書を読み、また新約聖書を読んでいます。新約聖書にははっきりとこう記されています。救い主イエス・キリストはこう言われました。
「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」(ヨハネ福音書11章25節)
人は生き、そして死にますよね。でも、イエス様は、「わたしを信じる者は、死んでも生きる」と約束されたのです。
つまり、「関根弘興はキリストとともに生きた。こうして彼は死んだ。そしてその後も、キリストとともに生きるのだ。」ということになるわけですよねえ。
死は決してすべての終わりではありません。死を越えるいのちがあることをイエス・キリストは約束しているのです。
( PBA制作「世の光」 2024.9.9放送でのお話しより )
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