♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■待って良いですか ⑤ / 大嶋重徳

2025年01月17日 | Weblog

2024/09/06放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。私の担当する今週は、聖書の福音書ルカ7章から学んでいます。今週の箇所には信仰が揺らいで躓(つまず)いた洗礼者ヨハネが出てきます。

 ヨハネは、母親エリサベツとイエス様の母親のマリアが親戚関係にありましたので、二人(※ヨハネとイエス様)は幼馴染であったと十分考えられます。
 ヨハネには自分なりのイエス理解があったはずです。「自分の知っている姿」があったでしょう。ヨハネにはさらにメシア・救世主とは何かと聖書から思い描くメシア像もあったでしょう。そしてそこで思い描いていたこととイエスは違う、という経験をしたのだと思います。

 (※イエス様は)当時の宗教指導者であった律法学者と平気で喧嘩をする。そこまで戦わなくていいのではないかと思う。安息日に麦の穂を摘んで食べたら、やっぱり弟子にも注意したほうがいいのではないか。イエス様をさばく思いが芽生えていたのだと思います。実際イエス様は自分の持っているメシアイメージからはみ出している。

 私たちもまた自分好みのイエス様像を勝手に作り上げてその通りにキリストがしてくれないと、躓くということをするのだと思います。そしてその場合いつも悪いのは躓いてしまった自分ではなく、躓かせたほうが悪いと思う。自分を正当化してしまうのです。
 もしかすると牧師であっても理想的な教会のイメージを作り上げて、信徒に躓くということもあるでしょう。信徒は信徒で、「牧師とはこういうもんだ」と思い込み、そのリクエストに答えない牧師に私は躓いた、と大声で言ってしまう。

 躓く理由は、イエス様のことを正確に聖書から求めようとしないところで生まれます。イエス様の言っていることば通りに受け取るのではなく、自分の人生観に収まりやすいイエス様に切り替えてしまう。自分好みのイエス様像を作り上げていく。そしてイエス様に躓く。

 しかしここでヨハネは耐えられなくなりました。「待っていてよいのですか?」 イエス様その者からことばを聞こうとしたのです。ここにヨハネの信仰がありました。

 揺らいだからこそ求めようとするところに私たちもヨハネに倣っていきたいと思います。


 ( PBA制作「世の光」 2024.9.6放送でのお話しより )


******
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
******  
 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする