2024/09/02放送
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。私の担当する今週は、聖書のルカ福音書7章から学んでいきたいと思います。
今週の箇所には信仰が揺らいだ洗礼者ヨハネが出てきます。洗礼者ヨハネとは、かつてイエス・キリストについて、「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。私などは、その方の靴の紐を解く値打ちもありません。」と言ってきました。
しかしこの時、ヨハネは国王ヘロデと王妃ヘロデヤの行った悪事を明らかにし彼らを責めたことで、牢に閉じ込められていました。
その牢にヨハネの弟子たちが訪ねて行ってイエス様がなさった奇跡や癒やしや平地の説教でイエス様がお語りになったこと、敵意むきだしの律法学者たちとの激しいやり取りを報告しました。
するとヨハネは弟子の中からふたりを呼び寄せてイエス様のもとに送り、「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、私たちはほかの方を待つべきでしょうか。」と言わせた、とあります(ルカ7:19-20、参照マタイ11:3)。
「おいでになるはずの方」とはメシア・救い主を指します。旧約聖書が約束したメシア--キリスト--こそイエス・キリストのことだとヨハネは語ってきました。
しかし牢の中で彼の心が揺れたのです。確かめたいと思いました。
ある人は、一度信仰を持ったら揺れることなどない、と言います。しかし人間の心はいつになっても揺れますし、揺さぶられます。
この時ヨハネは牢の中にいました。彼は自分の今までの人生を牢の中で考えたのだと思います。・・・本当に自分の人生はこれで良かったのか・・・ ヨハネは信仰そのものを失ったのではないと思います。しかし迷いが生じた。疑いが生まれたのです。
ヨハネはこの後しばらくして首を切られて死ぬこととなります。「自分はいつ殺されるか分からない」と思う状況の中で、自分の人生で語ってきた旧約聖書の「救い主」とはイエス・キリストのことであったのか? その信仰が揺らいだのです。
このラジオのお聴きの皆さんの中には、「教会に行くと、堅く信仰を持っているように見える人たちがいる。自分は到底あの人たちのようになることは出来ない。」と思われることがあるかもしれません。しかしクリスチャンになっても揺れるんです。今週、信仰者たちの揺れについて、ご一緒に考えていきたいと思います。
( PBA制作「世の光」 2024.9.2放送でのお話しより )
******
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
******
このサイトは URL名として http://yonohikari.biblica.info が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。