♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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■柔和な者は幸いです 1 / 関根弘興

2018年06月01日 | Weblog
2018/4/27放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 新約聖書のマタイの福音書の中に、イエス・キリストがガリラヤ湖を見渡す小高い丘の上で人々にお語りになった山上の説教と呼ばれているものがあります。その中でイエス様は、本当に幸いな人とはどのような人かということを教えてくださいました。今日はその三番目のことばを紹介しましょう。

 「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」(マタイの福音書5章5節 新改訳2017)
 
 柔和とは一体何でしょう。ギリシャの世界では柔和ということばには中庸という意味があるそうです。これは極端にならないということですねえ。怒りだしたら止まらないとか、浪費しだしたら止まらないといった、ま、過激で制御不能な状態でもなく、また逆に怒りや悲しみや色々な感情を全く表に出そうとしない、そんな極端な状態でもありません。怒るべき時に怒り、怒るべきでない時には怒らない、それが中庸です。

 またこの柔和ということばは他の者の支配を受け入れることを学んでいくという姿があるそうです。それは人に当てはめると、神様に素直に従い、神様の支配を従順に受け入れる姿といってもよいと思います。ですから柔和とは謙遜と同じ意味で使われるんですねえ。

 この柔和のお手本はそれでは一体誰でしょうか。もちろんイエス・キリストご自身です。マタイの福音書11章29節には、「 わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。」と書かれています。イエス様は人々に優しく語りかけ、多くの人に慰めを与えられました。その一方で、怒るべき時にはお怒りになりましたねえ。本来祈りの家であるはずの神殿が不正な利益を得る商売の場と化してしまっているのを見て、イエス様は本気でお怒りになりました。また当時の宗教家たちの偽善的姿を厳しく糾弾なさいました。その一方で、一貫して父なる神様の御心とご計画に従い、人々の救いの成就のために十字架への道を従順に進んでいかれました。イエス・キリストは神であられる方なのに人としての柔和さの模範を身を持って示してくださったんです。ですから柔和とは、どんな時にも神様に信頼し、神様から教えられ、行動していく。あらゆる面で神様の愛と恵みの支配を喜んで受け入れる謙遜さを持つ人、そういう人は幸いだと言われたんですねえ。
               
  (PBA制作「世の光」2018.4.27放送でのお話しより)

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