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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■無駄にしたのか-弟子マリヤ/原田憲夫

2016年03月08日 | Weblog
2016/3/8放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 原田憲夫です。

 今日は高価な香油の壺を割ってイエス・キリストの頭に注いだベタニヤという村の女性を紹介します。この不思議な出来事はマルコの福音書14章に記されていますが、そこに居合わせたお弟子たちはこの女性の行為に憤慨し、こう言ったのです。
 「何のために香油をこんなに無駄にしたのか。この香油なら300デナリ以上に売れて貧しい人たち施しができたのに。なんて無駄なことをするんだ。」
 もっともな話だと思います。なぜならこの香油は当時1年近い賃金に匹敵するほど高価なものでした。ところがこの女性は1回で全部使ってしまった訳ですから。お弟子たちにすればこれだけ高価なものであれば、いつも先生の教えていたように売って困っている人を助かることができたじゃないか、と言うわけです。
 ところが意外にもキリストはこの女性がした行為を、立派なことです、美しい行為です、と称賛されたのです。そしてこう言われます。
 「困っている人たちはいつもあなたがたと一緒にいますから、これからも一所懸命助けてあげなさい。けれども私は一緒にはいられない。これから迎える十字架での死が待っています。この人は死体に香油を塗る埋葬の準備をしてくれたのです。」と言われるのです。
 この人がこれから起こるキリストの死を知っていたとは思いませんが、この人はキリストにお会いした瞬間、十字架への道に向かうキリストの心に触れたのです。香油の壺を割ってキリストの頭に注ぐという行為は、この人の最も大切にしていた心を捧げるという行為、信仰そのものでした。この人は、あなたは救い主です、と信じる心を言い表したのです。
 けれどもお弟子たちはいつもキリストの側近くにいながら、キリストの心から遠いところにいたのでした。
 本当の無駄とは何か。キリストがご自分を裏切るお弟子たちや自己中心的でキリストに背を向けて自分勝手に生きる私たちの罪のために十字架にかかって死なれるのです。それこそ最大の無駄ではないでしょうか。しかしそこに私たち罪人に対するキリストの最高の愛が現れているのです。いかがですか。この機会にあなたも一度キリストのことば、聖書を読んでみてください。

  ( PBA制作「世の光」2016.3.8放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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