♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■主の平安を与えられる

2008年06月12日 | Weblog

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。

 今日は聖書の中のヨハネの福音書14章27節から読んでみましょう。
 「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。

 ユダヤ人がよく使う挨拶に「シャローム」ということばがあります。「平安」とか「平和」などと訳され、「こんにちは」「さようなら」という挨拶でも使われることばです。このことばには基本的にノーバイブレーション・「微動だにしない」という意味があるそうです。それは、すっかり風が止んで波一つ立たない穏やかな水面をイメージするのだそうです。そんな穏やかな心が与えられるように「平安があるように」とユダヤ人は挨拶を交わし合うのですねえ。素晴らしい挨拶です。

 考えてみると、私たちの毎日には、いろいろなことがあって度々平安を失うものでしょう。誰かにひどいことを言われたり、心配事が起こったりすると、心が騒ぎ、落ち着きを失い、感情的に激しく突き動かされてしまうこともあります。私にもそんなことがありましたが、この箇所を読み、一つ気付かされたことがありました。

 イエスは言っています。「わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。」 つまり、イエスは御自分の平安を私たちに与えてくれると言っているのです。私たちの心は不安定で頼りないものでしょう。そんな私たちの「あそこ」が悪い、「ここ」が悪い、と手を加えて心を修復し安定させてくださるというのではありません。そういう不安定で頼りのない私たちの心に神の平安をドーンと与えてくださるというのです。

 そう言えば、荒れた海に向かってイエスは「静まれ!」とお命じになって海の波を静めたという出来事がありましたねえ(マルコの福音書 4章39節参照)。同じように私たちの心の波も神の力によって穏やかにされ、平安を与えられるのです。神を信じ神の平安を受ける歩みをあなたにも知っていただきたいと思います。

 (PBA制作「世の光」2008.6.12放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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