今朝のラジオ深夜便3時台、にっぽんの歌こころの歌は、昭和60年の流行歌。
アンカーは柴田祐規子アナ。柴田アナがちょうど高校生くらいで、きっと印象深い曲ばかりだったのだと思います。
私は予想通りともいえるのですが、知っているけれど、歌詞を覚えているのはほとんどなかったです。
勤め始めて5年目。音楽を聴く機会も減ったし、フォークからニューミュージックに移行し、さらにポップスというのか、いずれにせよ、そのあたりから流行り歌の記憶があんまりないです。
甲斐バンドの「ラヴ・マイナス・ゼロ」が昭和60年の発売。
だから、自分の好きなアーティストのアルバムを買って聴く、あるいはそれまでに集めたアルバムを聴く、そういう時期だったように思います。
とはいえ、中森明菜「ミ・アモーレ」は、さすがの1曲。
昭和60年には「飾りじゃないのよ涙は」もヒットしていて、中森明菜はすごいぞ、というのは当時思ってました。
アンカーは柴田祐規子アナ。柴田アナがちょうど高校生くらいで、きっと印象深い曲ばかりだったのだと思います。
私は予想通りともいえるのですが、知っているけれど、歌詞を覚えているのはほとんどなかったです。
勤め始めて5年目。音楽を聴く機会も減ったし、フォークからニューミュージックに移行し、さらにポップスというのか、いずれにせよ、そのあたりから流行り歌の記憶があんまりないです。
甲斐バンドの「ラヴ・マイナス・ゼロ」が昭和60年の発売。
だから、自分の好きなアーティストのアルバムを買って聴く、あるいはそれまでに集めたアルバムを聴く、そういう時期だったように思います。
とはいえ、中森明菜「ミ・アモーレ」は、さすがの1曲。
昭和60年には「飾りじゃないのよ涙は」もヒットしていて、中森明菜はすごいぞ、というのは当時思ってました。