Who Am I

お前は大地の広がりを隅々まで調べたことがあるか。その全てを知っているなら言ってみよ-私はこの口に手を置きます ヨブ38章

救いの証 『変えられた人生』

2013年05月29日 | なぜ俺がクリスチャン証
1年ほど前、教会の牧師先生に「どうしてクリスチャンになったのか礼拝で証してくれないか。5分間で。」と打診された。勿論引き受けた。
その時の原稿を以下公開します。

『私は岐阜の田舎に生まれました。
田舎なので皆知りあいで噂が多く、家族の誰もが周囲の目を気にして生きていました。
私も周りの人と同じ事をやっていないと不安でした。
実家は小さな和菓子屋を営んでいました。
親は仕事優先で子供とコミュニケーションはなく、家庭の中はいつもバラバラでした。
親が時間を作ってくれないことや家庭が貧しいのは家が和菓子屋をやっているからだと思っていました。
自分はもっと豊かな生活をするために人より稼いで成功するしかないと思っていました。
成功する為に邪魔な人付き合いは一切捨てました。
自分の為だけに全ての時間を使いました。
猛勉強した結果、東京の有名大学に入りました。
更に就職も大企業に入ることができました。
自分の出身に左右されず自分で勝ち取った人生を誇りに思いました。
一生成功が保証されたと思いました。


しかし社会人生活が3,4年も経つころには虚しさを感じはじめました。
もっと手に入れればいつか心が満たされると思ってずっと走り続けていました。
でもいつも心は空っぽでした。そのうち日本の社会の仕組みが原因だと思いました。
そして突如会社を辞め学生ビザでアメリカに来ました。
知人は誰もいませんでしたがアメリカで人生を全て最初からやり直し出来ること嬉しく思いました。
しかし1年もすると日本にいたときと同じような不安や虚しさをまた感じ始めました。
何処へ行っても何をやっても何を手に入れても自分は変わらないことにひどく絶望しました。


そんな時、クリスチャンの友達から聖書をもらいました。
心を満たすために今まで全部やって全部失敗していたので、開き直って試しに読んでみました。
驚いたことに私が体験した『虚しさ』がそっくりそのまま書かれていました。
伝道者の書でした。最後こう書かれていました。
「神を恐れよ、神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである」。
私より先に私と同じ虚しさを悟った者の言うこの一言は説得力がありました。
そしてすぐに教会に行きだしました。
教会の人にどうすればクリスチャンになれるか聞くとその条件はたった一つでした。
イエス様が十字架にかかったのは私の罪のためということを信じることだけでした。
それまで自分はそんなに悪い人間ではないと思っていました。
それに十字架は2000年前の出来事でした。
正直なところ確信はありませんでしたが、それでも1年半後に信仰告白をしました。
しかしイエス様という人との個人的関係は曖昧のままでした。


信仰告白して1年後、転機が訪れました。
2005年12月、JCFNのEquipper Conferenceに行きました。
一つの期待をしていました。「イエス様と自分の関係を明らかにしたい」ということでした。
4日目、家族友人を亡くした4人の方の証を聞きました。
何故そのような良い人が死ぬのかという非常に理不尽さを覚えました。
その時、突然自分の心の中の汚さ、醜さが浮かんできました。
過去多くの人を傷つけて人を利用し自分を一番大切に生きてきた自分の本当の姿でした。
今証の中で人に愛されながら惜しくも亡くなっていった人より自分のほうがずっと死に値すると思いました。
その時、突然目の前に十字架が迫ってきました。処刑台です。
クリスチャンになったから死ぬのは怖くないと言ってましたがいざその時が来るとすごく怖くなりました。
足が震えました。その時、自分の肩に手を置きこう言ってくれる人がいました。
「私が身代わりに行ってあげよう」 そう言ってその人は十字架に向かって歩いていきました。
目の前で人が十字架に掛けられ処刑されました。
怖くて体の震えが止まりません。
泣き続ける自分にまた人がやってきて肩に手を置きこう言いました。
「もう恐れなくていい」と。
その時、分かりました。
さっき十字架にかかった人はイエス様だ、そして今自分の横にいるのは復活のイエス様だ、と。
今この人は死さえも克服しました。
その人が個人的に私に言ってくれたのです。「もう大丈夫だよ」と。
この一言は自分の今までの不安や恐れを一気に吹き飛ばしました。
『この平安だ。』と思いました。
今まで成功したいと思って走り続けてききましたがそれは不安から逃げたかっただけでした。
本当に欲しかったのはこの『心の平安』だと思いました。
そのときハッキリ思いました。「この人についていけばいいんだ」と。
この時、初めてイエス様が私の罪のために十字架に掛けられたということ、
そして私の罪が赦されたということ、
そして復活されたイエス様に希望があるのだということを確信しました。


その後も問題は自分に沢山やってきていますが、私に与えられている御言葉があります。
それを最後にシェアして証を終えたいと思います。


「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。・・
主の御告げ。・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、
あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ29:11)




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なぜ俺はクリスチャンになったのか? 証2/2 十字架の愛

2009年01月11日 | なぜ俺がクリスチャン証
これはクリスチャンになり癒しが与えられた自分が神様の十字架の愛を知るプロセスを記したものです。 
クリスチャンになる決意をした最初の出来事は、同ページ下の『なぜ俺はクリスチャンになったのか? 証1/2 癒し』2009年1月9日の日記をご覧ください。


2004年10月31日、自分は洗礼を受けた。
1517年にルターがヴィッテンベルグ大学の聖堂の扉に95か条の論題を提示したあの宗教改革も同じく10月31日だった。

クリスチャンになった後、楽に人生を生きることが出来ている感じもしていたが、
「イエス様が十字架で死なれたのは自分の罪のため」という教えは正直ピンとこなかった。
恐らく多くの未信者の方々が理解に苦しむところであり、洗礼を既に受けた人でも理解できていないケースが多くみうけられるらしい。

自分にはそれをはっきりその「十字架の愛」が自分事となる出来事が訪れた。2005年12月30日の出来事だった。
自分はJCFN(Japanese Christian Fellowship Network)主催のイクイッパーカンファレンスに参加していた。
神様と自分の関係を確かめるのが目的だった。

カンファレンス4日目のこの日の朝、全体集会が持たれた。牧師先生が説教をされるいつもの全体集会とは違い4組の証者が立てらた。
各々自分の家族友人等、愛する人が亡くなられた証ばかりだった。亡くなられたのは全員自分より年下の若者だった。
録音の奉仕をしていた私は音響ブースでヘッドフォンから聞こえる証者達の証言をその声の微妙なトーンまで全て聞き入っていた。

証者達は、事故、病気、様々な理由でこの世を去っていった自分の愛する人を想い、涙ながらに心の悲しみを言葉に出していた。
私の愛する人は何故死んでしまったのか、何故なのか。
心の中では誰一人整理できないその「何故」を皆ただ神様に訴えその愛する人の死の悲しみと疑問と死の意味を背中に背負って生き続けている姿が自分の目に映った。

その時自分は思った。
『こんなに人に愛され何も悪くない人が死んでしまう理不尽な世の中なのか?
神様は何処にいるんだ?』

そして同時に自分のことを考えた。
『俺はどうなるんだ?俺はもっと酷いことをしているんだぞ。
恥ずかしくて誰にも言えない汚い事だっていっぱいしてきているんだ。
この死んでいった若者なんかより、ずっと俺のほうが死に値するんじゃないのか?』

その時、十字架が自分に迫ってきた。“処刑台”としての十字架だった。
突然恐ろしさを覚えた。処刑台が自分に迫ってくる。足が震えだした。
暗い中に十字架が立っている。炎が見える。暗い奥底に落ちたような恐れだった。

どうしようもないその恐れの中、後ろから自分の方を叩く者がいる。振り向いた。はっきりと顔が見えない。その人は言った。
「私が代わりに行ってあげよう」

その人は燃える炎の中、一人十字架に向かって歩いていった。



確かに彼が自分の罪の身代わりとなって十字架に架けられたのが心の中で見えた。
しかし震えが止まらない。既に私の罪のために一人の人が身代わりとなって自分の目の前で処刑されてしまった。
でも震えが止まらないのだ。うずくまった。

その時また自分の方を叩く者がいる。同じ人だった。

「もう恐れることはない」

その時わかった。さっき十字架上で処刑されたのはイエス様だ。
そして今、復活のイエス様が自分の横にいる。
十字架上で愛を示され、また死を克服して私に「恐れなくていい」と言ってくれている。
十字架の愛、そして希望。私が長い間求めていたものがやっと分かった瞬間だった。

この朝、このお方について行こうと誓った。
十字架は“処刑台”から“愛”の象徴へ変わった。
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なぜ俺はクリスチャンになったのか? 証1/2 癒し

2009年01月09日 | なぜ俺がクリスチャン証
昔、私はこう冒涜していた。

『宗教は弱い人間の駆け込み寺』
『競争社会に負けたもののみ宗教をやればよい』
『キリスト教など甘っちょろい、女性のやるものである』
『キリスト教はオタク集団。そんな男が女にモテるわけがない』


自分は岐阜の田舎の和菓子屋を営む両親の長男として生まれた。小さい頃から父親が家業を真面目に取り組む姿を見て育ったが、自分はもっと都会に出て行き、もっと大きなことがしたいと少年時代なんとなく思っていた。小さい頃から自分は成功者になりたかった。人よりお金が欲しかったし、モテたかったし、経済的にいい生活を望んでいた。

中学生くらいから社会のレールに乗ってやろうと思った。所謂受験戦争というやつだ。『有名高校、有名大学、一流大企業=成功者』の青写真を思い描いた。周りの人間を蹴落とすレースだ。猛勉強が始まった。その結果的、高校生クイズ全国優勝の実績がある某高校、福沢諭吉が始めた日本最古の都内某有名私立大学、赤坂の某大手総合商社就職等など、世間体では全く恥じることのない成果を手に入れた。自分の人生は生涯保証されたと思っていた。

また22歳の時に空手と師範に出会い、自分に厳しく人に優しくなるよう教わった。「自分に厳しく」という教えは、自分は好んで受け入れた。空手を続けていくうちに自分に鞭打って弱い自分に打ち勝つ快感を覚えていった。自分を超えることが出来ることに嬉しさを覚えた。根性モノは昔から大好きだった。そのうち強い人間ほど人に優しいという事実を発見した。空手の師範、大学の恩師からも「人の傷みのわかる人間になれ」という教えにうなずいた。自分に厳しく過酷な稽古に耐えた人間ほど、人の傷みの判る優しい人間であることを悟った。
しかしこの時、自分が意味する優しい人間とは『(上記の)人生に成功している優しい人間』に過ぎなかった。

ちまたの口先だけの人間とは違い、ずっと自分は有言実行の人間だと自分に証明したくてたまらなかった。資格試験、空手の黒帯の取得、4度のフルマラソンもそれを自分に証明するため挑戦した。外っ面だけの人間と自分は違うことをとにかく証明したかったし、また誇りたいと思った。一度始めたことは結果を出すまで途中で絶対諦めたことなど自分の人生のなかで何一つないことを大いに誇った。自信もドンドンついていった。

高校卒業と同時に親元を離れ、一人でなんでもやってきたつもりだった(大いなる誤解である)。いつも目標を立ててそれに向かって努力をひたすら積み重ねる生活をしてきたつもりだった。大概の目的は猛勉強や猛特訓し、遊びを我慢し、睡眠時間を削ればなんとか手に入ると思った。

しかしいつの日からか、目標を達成しても何故か自分の心の中には空虚を感じ始めていた。
自分は何を究極的に求めているのか分からなくなり、不安になることがしばしばあった。

一つの転機が訪れた。30歳の誕生日に突如会社を辞めた。歯を食いしばって走り続けていた成功者へのレールから下りたのだ。大学とか、会社とか、資格とか、美しい女性とか、形だけ手に入れても自分の心に返ってくるものじゃないと結局駄目なのだということがわかってきたのだ。

貪欲に自分の目指すものを求めた自分の過去を否定するつもりはなかったが、名前や形だけを追い求めていた時間がとても虚しいものであったことを悟った。漠然とした不安感から逃げ出すために本当は欲しくもない目的に向かって行った多くの努力。結果的に形だけ手に入れても自分の心は全く満たされることはなかった。富や名声が一番大切なものではないことをやっと分かり始めていった。同じ頃、家族と友人がいかに自分に安らぎを与えてくれるものだということを感じ始めた。自分は心の安住を求め始めた。今までの競争社会勝利者至上主義の人生から視点が変わり始めていた。

自分の人生を振出しに戻し、いちからやり直すために環境変化を求めてアメリカに渡った。最初は楽しかった。素晴らしい天候、広い大地、誰にも知られることのない自分の過去、ややこしい人間関係からもすっかり開放された。

しかしいつまでたっても克服できない自分の精神的な弱さには気付いていた。月日が経つと自分が人間関係ではねたみとそしりでいっぱいであることを否定できなかった。自分の思い通りに人が動かない時に強い不満を感じるという悪い癖も昔と全く変わらず直っていなかった。自分が相変わらず的を得ないまま我武者羅に努力しているかのような不安に襲われる瞬間もまた訪れはじめた。日本でのしがらみから抜け出し一切を捨て心機一転して始めたつもりのアメリカでの生活だったのに。わざわざアメリカまで来たのに自分は日本にいたときと何一つ変わっていない、昔の弱いままじゃないか。どうしようもない自分への失望感であった。結局世界中の何処に逃げ込もうとも所詮自分は自分だった。一体どうすれば自分は精神的な強さを得ることができるんだ?

いつまでたっても解決できない自分の弱点、何処に行ってもどれだけ努力しても克服出来ない自己嫌悪、永久に捜し求めて見つからないでいる自分の求めるもの、それが自分の心から安らぎを奪った。自分も疲れてきた。浮かんでは消える自分の興味、夢、異性への関心、それらを獲得するため暗中模索しては時とともにそれらへの情熱も消え去っていった。なんという虚しさ。それが自分の人生のなかで過去何度と繰り返されてきた。

 そんなある日、友人から聖書をもらった。インターネットで近くの教会を検索し気まぐれで教会の戸を叩いた。聖書には今の自分がいかに高慢であるか、どれだけ多くの罪を犯しているかが書かれていた。また隣人を愛することを教えていた。何故なのか分からないが自分はその聖書にかかれていることを真摯に受け止めようとしていた。もしかするとこの聖書が自分が過去どうやっても克服できなかった問題を解決するのではないか? こうしてアメリカに来てここで聖書に触れる機会を与え、自分をここまで辿り着かせることが神様のの計画だったのではないか、そんな空想が始まった。期待が生まれ何かが転がり始めた気がした。この時、既に教会に通い始めて一年が経っていた。

聖書は人間は神様に生かされていることを教えていた。粋がって自分は自分の力で生きていると誇っていた自分は最初反発していた。罪の代償は死だという。罪を犯し続けるしかない素性の人間がその代償を払うためには聖き人間の身代わりが必要なんだそうだ。神様が独り子イエスを地上に送り、全人類の罪の代償として十字架上で処刑したそうだ。それくらい神は人間を愛している、そしてそれを受け入れれば人間は救われるという。なんともその突拍子もない教えに面食らった。

自分には何かドラマチックな事件が起きてクリスチャンになろうと決めたわけではなかった。ただ日々の生活の中で、いつの間にか聖霊といわれるものが自分の中に入ってきた(かもしれない)と感じる瞬間があった。それは必要な場面で聖書の教えが自分の心をコントロールしてくれていると感じた時だった。聖書の教えがなかったら今頃どうなっていただろうと恐ろしくなることもあった。家族親戚のことを考えると簡単にはクリスチャンにはなれないと思ったし、聖書の全てを本当に信じていいのかという不安もあった。しかし徐々に自分の心に聖書の助けを感じているという事実はもう無視することはできなくなっていった。

自分は確かに神様の恵みを感じ始めていった。これはもう自分には否定出来なくなっていった。聖書の助けとは神の御言葉であり、神様の愛という。神様ならば自分がずっと克服出来なかった問題を解決し心に安住をもたらしてくれるかもしれない。そう思い始めた。事実、教会の人たちと触れている時、自分は心の安住を感じ始めていた。

 もしこれが全て神の計画ならば、信仰で神様が自分の益となるように最後はちゃんと自分の努力が報われるように出来上がっている、だからどんな困難にも大胆に向かっていけるし、安心して生活できるかもしれない。それこそが自分が求めた心の安住ではないか。そうした人生を既に送っている人は、人に優しく自分勝手ではなく人のことをまず第一に考え、お金とか名声とかに振り回されない確固とした価値観をもって安定した精神状態を続けていると思った。忙しいと二の次にしがちな他人への思いやりを忘れない、自分が幸せになるために必要なことを知り既に持っている。それが自分には精神的強さに感じた。自分がずっと追い求めた心の安住と精神的な「強さ」は実はこのことだったんだとやっと気づくことになった。今やっと自分はそれを見つけた。
これが自分のクリスチャンになる決心であった。2004年の10月だった。

しかしこの時自分が知っていたのは、人生がラクになる手段としてクリスチャンになったのであり、十字架の意味をまだ理解していなかった。 十字架の愛を知るのはその1年後の2005年12月のイクイッパーカンファレンスまで待つこととなった。
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