
劇場公開から2年。本日3月8日に『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のブルーレイが発売されました。これに合わせて「エヴァンゲリオンとは何だったのか」という一文をこのブログに載せていこうと思います。現状まだ書き終わっていないので、何回かに分けて載せて行く予定でおります。
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「エヴァンゲリオンとは何だったのか」を考えるにあたって、まずは私が『シン』で一番引っかかっているセリフから掘っていきましょう。
『シン』の中盤1:04あたり(アマゾンプライムでは1:08になりますね)、アスカが最後の出撃を前にシンジのもとを訪れるシーン。
こんなやりとりがあります。
アスカ「アタシがアンタを殴ろうとした訳、分かった?」
シンジ「アスカが3号機に乗っていた時、僕が何も決めなかったから。助けることも、殺すことも。自分で責任負いたくなかったから。」
アスカ「ちっとは成長したって訳ね。」
・・・不思議なやりとりだなあ、と思いました。
アスカがシンジを殴ろうとした訳って・・・えーと、そんなシーンあったっけ。
あー、あったあった、前作『Q』序盤の二人の再開シーンね。
そもそもアスカは『破』でエヴァ3号機に搭乗して使徒に乗っ取られ、復帰したのは『破』の終了後ですよね。『破』と『Q』の間にはシンジが冬眠していた14年間――とりあえず『新劇2.5』とでも呼んでおきましょうか――のすったもんだがあったわけですが、アスカがシンジを殴ろうとしたのは『Q』の序盤で、その前段の『新劇2.5』のさらに前の『破』にその理由があるということですね。何とまあ壮大な伏線でしょう。
確かに、3号機にアスカが乗っていると知ったシンジは戦闘を躊躇しました。しかしそれがなぜアスカにとってそれほど不満だったのでしょうか。
私にはシンジの行動はごくごく自然なものだと思えます。3号機に乗っているのがトウジであれアスカであれ、です。
その解りづらい不満の理由を考察してみましょう。
アスカが『新劇2.5』のどのあたりで意識を取り戻したのかはわかりません。『新劇2.5』の内容は『破』の最後に付いてきた予告編および『シン』での断片的な回想シーン以外ほぼほぼ描かれていませんからね。
まあとにかくその時にアスカは3号機の顛末を聞かされたのだと思います。そして同時に第10の使徒(旧ゼルエル)戦についても知ったのでしょう。
この両者を天秤にかけるとどうなるか。レイの時は初号機の覚醒とサード・インパクトのリスクをも顧みず助けに行ったにもかかわらず、自分の時には「何も決めなかった」ではないか。けしからん。よし「殴ろう」。
これが私が勝手に想像しているアスカの心中です。要は嫉妬です。
しかしこの推論にはあまり説得力がありません。なぜなら二人の再会に先だって、『Q』の冒頭の戦闘シーンでシンジはちゃんとアスカの危機を救っているからです。たとえ無意識下であってもシンジはちゃんと通常運転でした。にもかかわらず、アスカの「殴ろう」という気持ちに揺るぎはなかった。なぜ?
『Q』は『新劇2.5』を経た14年後の話です。『Q』序盤の段階では『新劇2.5』の存在は観客には伏せられていますから、この時点ではアスカの怒りには全く説得力がない。というか、先刻の危機を救ってもらったにもかかわらず、いきなりコレ? というアスカの異常性格ぶりが印象づけられる結果となっています。これはイタい。
何ともちぐはぐな演出ですが、このアスカがシンジに殴りかかるという場面が実は『シン』の最終盤になって意味を持ってくる・・・のかな? という話を次節でいたしましょう。
この両者を天秤にかけるとどうなるか。レイの時は初号機の覚醒とサード・インパクトのリスクをも顧みず助けに行ったにもかかわらず、自分の時には「何も決めなかった」ではないか。けしからん。よし「殴ろう」。
これが私が勝手に想像しているアスカの心中です。要は嫉妬です。
しかしこの推論にはあまり説得力がありません。なぜなら二人の再会に先だって、『Q』の冒頭の戦闘シーンでシンジはちゃんとアスカの危機を救っているからです。たとえ無意識下であってもシンジはちゃんと通常運転でした。にもかかわらず、アスカの「殴ろう」という気持ちに揺るぎはなかった。なぜ?
『Q』は『新劇2.5』を経た14年後の話です。『Q』序盤の段階では『新劇2.5』の存在は観客には伏せられていますから、この時点ではアスカの怒りには全く説得力がない。というか、先刻の危機を救ってもらったにもかかわらず、いきなりコレ? というアスカの異常性格ぶりが印象づけられる結果となっています。これはイタい。
何ともちぐはぐな演出ですが、このアスカがシンジに殴りかかるという場面が実は『シン』の最終盤になって意味を持ってくる・・・のかな? という話を次節でいたしましょう。


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