どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

電信柱と

2015-01-10 22:39:27 | 日記

 

当ブログでは、空と電信柱の出現率が高い。理由はブログの添える写真がなかなか撮れないからだ。大体の所文章を書いてから写真を撮りに行く訳ではない。たまにネタを決めてから写真を撮る場合もあるが、コモンズの悲劇なんて小岩井農場に行くのか?そして資料館でウロウロするのか?となります。そうした方がいいのでしょうが、小岩井農場の説明だけで1500字は軽く行きそうです。大体今はこうだけど昔は悲惨だった事を説明するのは大変です。

一番大きなのは仕事の合間とか、暇な時間に撮影して帰って来れる物と言えば、電信柱と空くらいの物でしょうか。大体の所ここまで曖昧な被写体も無いというのがあります。雲と空なんて何にでも使えますね。特に私の曖昧な文章ではピッタリかと。とはいえコモンズの悲劇の時にこの組み合わせで全編つくって調子に乗った所はあります。

 

今日は一日お菓子作りです。以前出したググロフもどきのレシピを卵黄を多くしたものに直している所なのですが、これを一回やるためにはメレンゲクッキーを4回作らなければいけない。そういったジレンマがあります。卵白は冷凍が可能ですが、どうも冷凍した物だとメレンゲクッキーには合わないような気がします。逆にマカロンだと冷凍した方がいいと言うのもある様です。で、卵がお一人様一回一パックの特売。焼いて、卵を買いに行って、焼いて、そんな一日でした。積んどいた日経ビジネスやダイヤモンドオンラインも消化しました。

 

 

ググロフもどきは、手順を入れ替えるとか最適化を目指しているのですが、かなり難しいのと試作コストが高いと言うのがネックです。手順を入れ替えると言う暴挙は、お菓子屋さんには分らないところですね。発酵食品ならではのものかと思います。

まあ悩ましい。

発酵物の不安定さを嫌うのがお菓子屋さんでしょうか。発酵させる所に意義があるのがパン屋でしょうか。

 

 

アレックス・カー氏がまた日本は看板と電線で景観を損ねている、と書いている様です。で、これは私も認めます。

ただもうこの電線に慣れてしまっている訳です。そしてこれはこれで見ていれば面白い物でもあります。大都市圏の電柱は面白いですね。真すぐなのが少ない。電線の重みでやられてしまっている訳です。その一本一本に何らかの変化がある訳で、それが生活圏と重なっているからなおさら面白いのです。

次ぎにヨーロッパで電線地中化がなぜ出来たのかというのがあります。これが実は分らないのです。私には。

多分なのですが、電柱と言うのは仮設と言う考え方があったのではないのかと思います。そのうちインフラが出来れば撤去すると言う考えがあったのかと思います。そのインフラは下水道だったと思います。

それと最初に電化がはじまった地域は都市部だと思うのですが、ヨーロッパは建物が石ですよね。建物の外にに電線を通す事は可能だったのではないのかと思います。私有財産権がきついので可能だったかは分りません。日本の家屋のように木であったら無理でしょう。

そして都市部での交通の問題があったと思います。当時は馬車でしょうが、それでも往来が激しかったはずです。そして各都市は中世のままの道だったと思います。すると電信柱を立てるスペースが無い訳ですね。多分これが一番説得力がある考えだと思います。

だからヨーロッパの田舎では電柱があったのではないのかと思います。アメリカでもそうだったと思います。

さて日本では電気の普及は全国通津裏裏までというのは戦後の話。経済力がつくまで時間がかかった言えます。で、その間仮設の電信柱だったのですが、電力網が整備されて行くに従って仮設が延々と続く事になります。都市整備や火災もあってその時々で電力網が変わって行く訳で、電信柱はうってつけの材料だったと思います。

あと今の日本では考えられませんが、電線に使われている銅はかなり高価な物でした。まあそれを地面に引いたらどうなる事やら、そう言った心配もあると思います。

 

 

ヨーロッパでは市街地の電線土中化と、日本の電柱との間にはなにがあるのでしょうか。ヨーロッパでは電気の発明から利用法まで一貫とした流れがある訳です。なので自分たちの生活に合わせようとした訳です。所が日本は文明開化でございまして、電信柱が通っているのが自慢だったりする訳です。わざわざ引かせて、お大尽ぶるとかそう言った所があった訳です

電信柱が文明開化だったのです。

そして工事をする人の考えも違う訳です。フツーは危険な作業はしたくない訳で、高所作業は嫌われるのですが、なぜか日本人は好んだ訳です。今では全く嫌われていますが。目立ちますしね。電気って危険だとかそう言ったイメージがありますからなおさら、見栄があると言う時期があったと思います。

ちなみに何で電気の国家免許が必要なのかと40代の職人に聞いた所、「死ぬから」でした。30代になると「死ぬからって言うのは業界を守るためだけでしょ?。古いですね。知識と経験は必要だけど、今のシステムだったら間違いが起こりえないです」

なおこの二人はかなり優秀だと思っていますが、個人的には「死ぬから」のほうが面白かったです。そういってクスっと笑っていました。

そう、日本で電話が通った時に電話線に手紙をぶら下げたエピソードは有名です。この目に見える物しか信じない感覚が素敵です。そして目に見えないと不安でしょうがなかった時代があったのです。

神様とか仏様では、電気はおこさねえべから。見える電線と電柱で納得していたと言うのはあると思います。

脱線したが、職人が持っている技術が180度違う訳で、急には変わらないと言うのが本当の所ではないのでしょうか。電信柱が当たり前の日本の職人はそこに特化して来た訳で、土中化に特化したヨーロッパではそちらが経済的に有利な訳です。

とはいえアレックス・カー氏が言っても何年かかったのか。今ある氏の発言では芸術新潮の1995年2月号でも同様の発言をしていると思いますが、そこから数えれば20年か。その前から彼はいっていると思うので、相当残念なのだろう。

そして看板の問題と言うのがある訳です。それはおいおい。

 

 

脇道はガンガン凍っています。今年のこの中途半端な天気は何なんでしょうね。


フランスだな

2015-01-10 04:01:05 | 日記

 

留学組を見ていると色んな事に気がつく。アメリカ留学組はちょっとドライになって帰ってくる。昔はアメリカではとか言っていた人も多かったと思うが、今では「やっぱり日本がいい」と言う。ドイツ留学組もドライだ。なにかドイツに対する幻想が打ち砕かれて帰ってくるのだろう。マイスターの資格を取りに行った留学組になるとケチョンケチョンに言う。職人の世界だと謎が多くなるらしい。そう言えばミノルタでライカと提携した時の技術者が、どうしてここにこだわるのか全く解らない所がいっぱいあって、それは哲学だと割り切って納得出来る所とそれでも謎の所がいっぱいあったと言っていた。哲学や音楽組は黙っている。いい話しかしないが、たまに辟易した話をする。だが日本がいいとは言わないのはドイツ組の特徴だ。

変わった所では、イギリス組だ。イギリスに留学していた事も言わない。イギリスの話もほとんどしない。ただ服は比較的上等な物を着たがる。ただ一点なんかイギリス由来の物を身につけていたりする。あるときその一人がチェロキーに乗っていた。その前はミニだったのでどうしたのかと聞いたら、ミニが壊れたらチェロキーを貸してもらったんだけど、お金がかかって大変なんですよ、と何か謙遜しだす。そんな具合にイギリス由来の物を近くに置きたがるけどそれを指摘すると突然謙遜しだす。

夏目漱石以来の伝統なのだろうか。

紅茶のうんちくは全くしないが、紅茶のサーブについては完璧に出来る人。こんな所がイギリス組。

 

 

 

でフランス留学組だけは今も昔も、ついついしゃべらないようにしているけど、「フランスでは」と言ってしまう。で、妙に熱い。これがフランス組。「パリ祭の思いで」とか本当に話す。さすがに「おフランスでザ~マす」なんては言わないが、なにか洗脳されているような気がする。

フランス正気組と言うのもいて、もう本当にしゃべらないようにしているが、それでも出てくる。

ちなみにイギリス組とフランス組だが、車には苦労している。

 

 

どうもフランス人にやられてしまうらしい。フランス人のあの自信は何なのだろうかと思う。もちろん近代で初めての自由民主主義を革命で成立させただけはある。そして文化で近論諸国を屈服させて来た?と言う自負がある。百年戦争で、実際はフランスの貴族同士の戦争だったのだが、イギリスに勝ったと言うのもあるのかも知れない。

なお文化については、フランスも移民の力が強かった事を認めている。とはいえ彼らの才能がフランスで花開いたと言うのが大切なのだ。才能はあったがフランスの土壌で育ち花開くと言うのが大切で、フランスの土にあわないのは努力が足りないからか、才能が無いと考えるのだろう。なのでフランスは多元論主義ではなく単一文化という立場を取っている。

まあフランス人の自己主張とあの自信は良くわからない物がある。もしかするとイタリア以外でローマ化した最初の地域だったと言うのもあるのかも知れない。フランスの周辺はそれこそバーバルだった。イギリスだってローマが入ってからがイギリスの歴史だと言うくらいだから、ローマ帝国と言うのはヨーロッパには欠かせない歴史なのだろう。

革命以降も艱難辛苦であったが国民国家として成長し続けて来たと言うのが最も大きいのだろう。そこで良く言われるのは自由だ。

その自由でも個人の自由についてはかなり敏感だ。アメリカ人が国家に対する自由を言うのに対して、国家を超越した絶対的自由を求めるのがフランスだと思う。特に恋愛、この自由さは有名だ。不倫?いうだけヤボ。そして言論の自由。ただ言論の自由ていっても表現されないとダメという掟がある。単純な言葉で非難するようなものは最低とされてしまう。世界で最も美しい言葉だとフランス人はフランス語を考えているらしいが、どちらかと言えばこちらの方が大きいのかも知れない。

ドイツ哲学が難解なのとフランス哲学が難解なのと質が違う。ドイツ哲学は思考がめんどくさい。フランス哲学は言葉がめんどくさい。そう言った物だろう。

よくよく考えればフランスと言う国は、アメリカで言うリバタリアンの国家だと思う。しかしそれでもまとまっていると言うのは、コンセンサスがかなり一致しており、この自由を守るために大統領に権限があるとう考えがあるのだろう。

まあこれでは大抵の日本人はやられてしまうな。

 

 

フランスの出版社襲撃事件は、とんでもない規模にふくれあがった。多分イスラム過激派が予測していたかどうか分らないが、アメリカの911を超える勢いだ。追跡隊は8万人!延べ人数では無さそうだ。印刷所に立て籠っていた。そして襲撃犯を支援するためか、スーパーマーケット襲撃、人質をとって立てこもった事件も起きた。

そして全部終結した。

この間、ヨーロッパでは追悼集会が開かれたと言う。パリ市内でも三万五千人とかなり大規模になった。事件直後の反応だ。そして「シャルリー・エブド」は次号を発行するのだが、その部数は100万部だ。たかだか4万部程度だった雑誌がこの部数を出すために、印刷所から流通が経費一部負担、ル・モンドなどの新聞社や出版社が支援すると言う。

フランスは気が狂ったのかも知れない。でもこれは仕方が無い。犯人達がなにをしたのかだ。フランスは移民は我々に有効だし文化も広がる、だから受け入れて来たのだが一向にフランス化しようともいない国内のムスリムの一部に疑いを持って来た。そしてアフリカからの難民が増えるにつれ、多元主義ではないフランスでは極右政党まで出来た。

ただそこまで我慢していたのは、それも自由だったからだ。問題があったら話し合えばいいし、裁判と言う手段もある。しかし人の自由を奪うのは、さらに自由を保障する生命を奪うのは、そして彼らが優秀な表現者であったから、怒り狂っているのだ。

変わった国だ。

ただ国の一番の根幹を壊したと彼らは考えた訳だ。それは911と少し違う。アメリカは多元論であるからだ。世界貿易センタービルを破壊したのはボーイングのジェット機で、ペンタゴンまで襲撃した、その一貫性があってもそれはアメリカの一部でしかない。富の象徴でしか無い。もしも言われていたように自由の女神像を爆破したら、実はこちらの方が厄介だったと思う。

フランスの中央集権国家と言うのは有名だが、スポーツから音楽から美術やこういったガジェットでも尊敬される文化がある。ある特定のジャンルでイケている人は保護すると言うのが文化らしい。だが文化でも一致団結したのは、第一次世界大戦だけではないのか?

恨みつらみで人を殺す前に、表現で勝負しろ!と言うのはある。このフランス出版界の攻撃は、フランスそのものだ。これを超える表現でやってこい!オレらを納得させろ!おまえらだって一流の表現者はいるだろう、出来るだろう!全世界にこの本ばらまいてやるから、こいや!オラ!笑わせて納得させて考えさせるっていうのが出来ねえ単細胞!

多分そう言った事だと思う。

フランスの逆鱗にふれた事件だった。ただフランス人に取っての自由と言う概念がいかに深い物かを思い知らされた。

 

 

この事件の衝撃は911より大きいと思う。テロで一番嫌なパターンは指導者のいないテロだ。いろいろ報道では教派とか言われているがそこまでではないと思う。イエメンで軍事訓練を受けたと言うのはショックだったが。

多分間違いなく小さい団体だ。そしてラディンより思慮深くない。飛行機をエアバスではなかったというのはたまたまではないだろう。世界最高の航空機と世界最高の富の象徴と言うイメージはそれはそれは大きい。

脅迫より暗殺、もしくは出版社を買収した方が早い話だ。その話だけに人が死んだ。しかもイスラムをおちょくるだけの知性を殺す訳で、なんでこんな単純な事をするのか。殺す前に変節させるべきだろう。

いや今のイスラム原理派には全く同情出来ないので、特にそう思う。資本主義経済に一番毒されているのが彼らかも知れない。反対をすればするほど、そのための資金の大本は資本主義経済圏からの物だろう。たとえそれが喜授だったとしても、その大本はどうなのかというものだ。

ただサウジアラビアに異変があるので、そう言ったこともあるのかも知れない。派手な事をしなければ行けなかったのかも知れない。だが結果虎の尾を踏んだあげく逆鱗を破った訳だ。

フランスはヨーロッパの中心と言う自負もある。どうなる事やら。

 

 

PS

盛岡市のカラスの分散状況は、全く観察していませんが、糞の状況から1月8日夜だと思われます。菜園交番前です。長さから言って100羽以下50羽程度でしょう。とおおざっぱにいいいます。

なお日本のどこかでカラスが大量餓死と言うのがありましたが、増えすぎていますのである話です。ただ、この地域が何らかの方策をしていれば実は参考になる事案かもしれません。私はカラスが大好きなのですが、カラスによる被害も良く知っています。だからうまくやれないかと思っているのです。

幸いな事にカラスとは意思疎通出来ません。