この世界を知るための原理(存在論+認識論)
「全ての宗教のリセットとその再建」という文を載せる前に、幾つか片付けておくべき
ことがあると、ここに最近頂いたコメントを読んで、分かりました。
その最初の話。
哲学的には、存在論と認識論を一つに論じた話。
神の存在証明をする土台/大前提になっているものは何かについて、色々の話を省略し
て、結論部分のみを説明しておきます。
これは、一言で言えば、この世界と人が、創造主である神+自然法則+エネルギー一体
不可分の存在の働きで造られている、ということに尽きます。
このことが、一義的/一意的に明確に確定的に自覚的な知識になっていないと、一般法
則論の中心/中核のメッセージが理解されないようです。
なお、話の全体は、同義語反復/トートロジー/循環論法になっています。
・人と人の住むこの世界の成り立ちと仕組みを造ったもの
・自然科学者の認識不足
・子供向けの豊田佐吉の伝記本の著者による記述の違い───余談
・もし自然法則等の本質を自覚的な知識にしていたら科学者も神の存在を発見
・創造主である神は何で造られているのか?
・人(宇宙人一般)は何で造られているのか?
・創造主である神の心=人(宇宙人一般)の心
・なぜ創造主である神の心は人の心の一つ同じだと分かるのか?
・人がこの世界を認識し理解できる理由
・この世界を知り理解するのにノーベル賞級の頭脳でなくても済む
・創造主である神の存在を人の心で知るための条件がある───悟りの体験
・悟りの体験の実際の方法について
・存在を造ることと認識することは一つ同じ原理に従う
・以上の見解について科学的な証拠があるのか?
・現在の人類的課題は創造主である神の実在を認めること
・現行憲法は神の存在を一切の根拠を示さず一方的かつ積極的に否定
・以上
○人と人の住むこの世界の成り立ちと仕組みを造ったもの
私たち人間存在、一般的に言えば、私たち人間存在=地球に住む知的生命体を含む宇宙
人一般と、宇宙人一般が住む宇宙世界は、如何なる原理で造られているのか?
この答えは、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在とこの働きで造
られている、です。
これっきりです。
この世界を造っているものは、これ以外には一切何もありません。
一般法則論では、こう言い切っていることをご記憶ください、その真偽はとにかく。
○自然科学者の認識不足
この世界は、創造主である神+自然法則+エネルギーのみで造られている。
これ以外のものは一切ありません。
この点に関して、この世界の成り立ちと仕組みを、自然法則+エネルギーで説明しよう
としている自然科学者にも、認識不足や誤解があるようです。
今現在の学問としての自然科学は、創造主である神の存在を、この世界の成り立ちと仕
組みを説明するための概念として完全に排除し認めてはいません。
しかし、自然法則+エネルギーの他に、創造主である神以外の何かがある、という主張
をする科学者が多数います。しかも、それは何か特定の数学式の解に基づくもので、現在
の科学の知識と技術ではその真偽の科学的な検証が一切全く出来ないものの存在を主張す
るものであったりします。例えば「超ひも」の存在(理論)。この他に、自己組織化や複
雑系など。
この原因は、自分達自然科学者は、この世界の成り立ちと仕組みを、創造主である神の
存在は認めないけれども、これ以外の自然法則+エネルギーの2つの概念で説明している
だ、という自己認識が未だ無いことにある、と思われます。
そもそもの問題は、科学基礎論/科学哲学が、従って科学者一般の共通認識・共通理解
/常識として、自然法則とエネルギーは何か、その性質や働き方の原理や両者の関係等に
ついて、自覚化された科学的な知識を未だ持っていないことに大間違いの本質がある、と
言って良いでしょう。このことに関して詳しいことをお知りになりたい方には、次の本の
一読をお勧めします。
ジョン・ホーガン 筒井泰隆監修 竹内薫訳 科学の終焉 徳間書店 1997年
今、世界で、この世界の成り立ちと仕組みを究明しようとしている科学の最先端にいる
積もりの科学者が一体何を考えているのかを、この本を一読するだけで概観できる、とて
も貴重で有り難い本。
まったく、子供でも、それどころか生物一般が生得的/本能的に知っている自然法則と
エネルギーの性質と働き方の原理等に関して、ノーベル賞を貰った科学者にも自覚的な知
識が無いことに驚きを覚えます。
こうだと、悟りの体験をして間もなく知った時には、私の理解は根本的に間違っている
のではないのか、それとも、私の知らない形で、自然法則とエネルギーの性質と働き方の
原理等に関する知識を科学者の間では既に共有しているのではないのか? と考えて、大
いに悩み迷ったものでした。
とにかく、それで分かったことは、システム設計や実際のシステム作りの現場や工学の機構
学の分野では、ちゃんと自然法則とエネルギーの性質や働き方の原理や両者の関係等につ
いて知っている、ということです。
しかし、システムとは何かという定義の問題や、エネルギーとは何かの説明の話になる
と、何かの仕事をする力としてのエネルギーと、この世界を造ってる唯一絶対の素材とし
てのエネルギーの話とを同じ所で一緒に説明しない、という不思議なことをしていると分
かりました。このことに関して、子供向けの科学の本を、図書館等で見て下さい。
で、この結論は、やはり、自然科学者の間には、自然法則とエネルギーとは何かについ
ての自覚化された共通知識はないようだ、ということになりました。
○子供向けの豊田佐吉の伝記本の著者による記述の違い─── 余談
子供向けに書かれた偉人の伝記本の中の一つに豊田佐吉の成功物語があります。
仮にAとBと言う別の著者による二つの本を、図書館で借りて読んだことがあります。
これで分かったことは────
著者Aは、豊田佐吉の成功物語を、この世界を/人の人生を支配している原因=結果の
因果必然の法則の存在を知っていて、これに則って説明していました。
また、紡績機械を発明するための基礎になる機構学を解説した「機械の素」という本を
佐吉が何が何でも手に入れたくて行動した経緯もちゃんと説明しています。
つまり、佐吉は、紡績機械を発明する為にはそれを正しいやり方でする必要があるとい
う明確な自覚があって、これは具体的には、機構学の本で機械の原理的仕組みを学ぶこと
だ、と明確に知っていたことを、ちゃんと説明していた、ということです。
著者Bの本は、著者自身に、何をするでもそれをする正しいやり方があるという明確に
自覚化された知識や、原因=結果の因果必然の法則に関する自覚的な知識が無いために、
豊田佐吉がなぜ発明に成功したのかが、本の記述からは分からないものでした。
つい先日手に入れた、女学者が娘に語る形式で、先の太平洋戦争(日本民族にとっての
名は大東亞戦争)について説明している本では、著者に、この世界も個人も国家も客観的
に絶対的に普遍的に支配している原因=結果の因果必然の法則についての自覚的な知識が
全く欠落していることを知りました。
この世界の全てを客観的に絶対的に普遍的に支配している原因=結果の因果必然の法則
の存在とこの働きを知らないと、もう当然に、その話は、この世界を何かの法則の存在と
その働きがもたらしたものと考える学問一般のルールから逸脱し、恣意的で、見当外れ
で、妄想的なものにならざるを得ません。
○もし自然法則等の本質を自覚的な知識にしていたら科学者も神の存在を発見
もし、自然法則とエネルギーの性質や働き方の原理や両者の関係等について自覚的な知
識を物にしたら、論理必然的に、自動的かつ必然的に、一般法則論が発見している創造主
である神の存在を、科学基礎論者/科学哲学者/自然科学者も発見している筈です。
なぜならば、この世界は、間違いなく創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可
分の存在の働きで全て造られているからです。
○創造主である神は何で造られているのか?
では、創造主である神自体は、一体何で造られているのか?
この答えは、創造主である神は、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の
存在で造られている、になります。
この内の自然法則+エネルギーは、この世界を造っている働きと一つ同じものです。
正確には、創造主である神が自らの心身(エネルギーと自然科学的には名付けられてい
ます)を、自らの天地創造の原理(自然法則と自然科学的には名付けられています)に則
って自己展開する形で、人(宇宙人一般)とこの世界を造っています。
こういう事なので、創造主である神も、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不
可分の存在だ、と言えます。
○人(宇宙人一般)は何で造られているのか?
人(宇宙人一般)は何で造られているのか?
この答えも、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在とこの働きで造
られている、という答えになります。
なお、この場合、人は、非物質的心(精神・魂)+物質的身体一体不可分のもので造ら
れていますが、この両方とも一つ同じ、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可
分の存在とこの働きで造られています。
また、身体に対する人の心の存在と働きも、創造主である神が、自らが造ったこの世界
と人との関係と同じ「空」、即ち、絶対的に自由なしかも自然法則+エネルギー一体不可
分の働きを常に必ず介した関係になっています。
しかしまた、人(宇宙人一般)の心と身体は如何なる存在であるのか、また、その正常
な在り方や正常な機能は何かについては、創造主である神が人を造ったときに、一義的/
一意的に明確に確定的に完全完璧なものであると決めて造ってあります。人は、これを
外れて存在し機能することは出来ませんし、これを外れ無視して行動すると、事故や病気
等痛い目に必ず遇います。
○創造主である神の心=人(宇宙人一般)の心
創造主である神の天地創造の意図は、神自らの化身/分身になる、個性が一人ひとり異
なる多様な存在=人(宇宙人一般)を無限に造って、その一人一人になって様々に生きて
遊んで楽しみたいことにあります。
そこで、人(宇宙人一般)の心は、創造主である神自らの心と一つ同じ存在で、一つ同
じ構造と機能/働きを持つものとして、創造主である神が無条件/無留保/無担保で造っ
てあります。
詰まり、全ての人の心とその働きは、創造主である神の心をそっくりその儘只で頂いて
いることになります(心の起源とその中身と機能)。
○なぜ創造主である神の心は人の心の一つ同じだと分かるのか?
なぜ創造主である神の心は人の心の一つ同じだ、と分かるのか?
この答えは、一言で言えば、いわゆる悟りの体験をすると、分かります。
悟りの体験は、人の心の中の体験です。
そして、人の心の働きで、創造主である神と一つになる体験をします。
この結果、自動的かつ必然的に、創造主である神とは、「心」と私たちが呼ぶ存在その
ものだ、と分かります。
この後で、創造主である神が、なぜ「心」という存在でなくてはならない理由が理屈で
分かります。即ち────
創造主である神は、私たちが「心」とか「精神」と名付けて呼ぶ存在であって初めて、
天地創造の原理である原因=結果の因果必然の自然法則に一切全く制限・制約されずに、
自由自在にかつ無限の創造を可能にする「空」なる働きを持つ創造主である神として機能
し得る、と分かることになります。
○人がこの世界を認識し理解できる理由
さて、以上の話を土台/前提にして、人がこの世界を認識し理解できる根拠と理由を説
明する準備ができました。
言い換えると、人がこの世界を知り理解することが出来る一般的な原理の存在とその根
拠を説明したことの他に、なぜ一般法則論が創造主である神とこの神が造ったこの世界を
知ることができるのかの答えがここにあることになります。
この世界の創造主も、創造主である神が造ったこの世界と人も、人の持つ心と身体も、
全て一つ同じ、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在とこの働きで造
られている、という話をしました。
この世界の全てが、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きのみで造
られている、という事実(正確には、この真偽が科学的に客観的に検証されるべき仮説)
は、考えてみると、その余りの単純さに驚きます。
この結果は、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きで造
られている人の心で、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働
きで全て出来ている創造主である神とこの創造主である神が造ったこの世界を、全て認識
し/知り、理解する形/具合になっていることになります。
そこで、人の心で、創造主である神の存在を含めて、この世界の成り立ちと仕組みを、
創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで知り理解するが出来て当然の
仕組みになっていることになります。
また、これができることで、神が造ったこの世界(神の国)を認識し理解して、この認
識と理解(の程度)に則って/に応じて、実際にこの世界で、創造主である神の化身/分
身の存在に相応しいように、自由自在に生きることができるようになります。
○この世界を知り理解するのにノーベル賞級の頭脳でなくても済む
創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで出来ているこの世界の成り
立ちと仕組みを、同じく創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで出来
ている人の心で認識し理解するのですから、原理的には、人に生まれれば誰でも、一義的/
一意的に明確に確定的にかつ客観的かつ絶対的かつ普遍的な知識の形で認識することがで
きます。
しかし、現実には、躾と教育、個人の知識と教養、信じている宗教宗派、思想信条、生
まれた文化文明等によって、この世界の成り立ちと仕組みを見る目は、歪められ、最初か
ら偏見に満ちたものになっているものです。しかも、こうだとは、自ら悟りの体験/覚醒
体験でもしない限り、中々気が付かないし、人に指摘された位では全く分からないのが普
通です。
○創造主である神の存在を人の心で知るための条件がある───悟りの体験
創造主である神+自然法則+エネルギーで出来ている創造主である神を、創造主である
神+自然法則+エネルギーで出来ている人の心、また、創造主である神の心をその儘頂い
ている人の心で、認識し、理解するからこそ、実際に、創造主である神の存在を、認識し
理解することができる、という話をしました。
大事な話ですから、同じ説明を繰り返しました。
問題は、この先にあります。
結論的に言えば、既にお話してあるように、人の心で神の心=神の存在を認識し理解す
るには、日常の心の状態とは全く異なる、神の心=神の存在を認識し理解し得る、いわゆ
る悟りの体験が可能な、特殊/特別な心の状態に人がなる必要があります。
これは、悟りの体験のその瞬間、人の心の状態が、神の心と一つ同じ心になっているこ
とが必要不可欠だ、ということです。
この時に、意識のある心を持つ人の心は、絶対的無意識の存在の創造主である神の存在
を初めて意識化し、認識し理解し得ることになります。
悟りの体験の、そして日常生活で「あっ、分かった!」体験の鍵言葉は、「無意識の意
識化」です。
悟りの体験をするには、これに実際に則った方法である必要が、常にあります。
○悟りの体験の実際の方法について
志の在る者が悟りの体験をし得る確立したシステムとして、禅宗の「坐禅」修行が世界
的に知られています。
いわゆる臨死体験でも、一部の人たちに過ぎないようですが、絶対的無意識の存在の創
造主である神の存在が意識化されることが知られるようになりました。しかし、悟りの体
験をするのに、死の一歩手前まで行かなくてはならないのでは一般的ではありません。
また、いま一つ、宇宙飛行士が宇宙で神の存在を発見する体験をすることも知られてい
ます。しかし、これも、未だ一般的な悟りの方法ではありません。
○自己否定による悟りの体験
何かの機会に、自らによる自己否定が、殆どの場合が妄想まみれの自らのアイデンティ
ティ/存在根拠の否定まで及んだ瞬間、一部の人は、いわゆる無我・無心の状態になれる
と同時に「絶対的無意識の存在の意識化」が行われ得る特別な意識状態に心がなって、こ
の瞬間に、一気に「仏の側から行われて」、悟りの体験をすることがあります。
○感受性トレーニング(ST)の問題点
企業の中で、社員は、研ぎ澄まされた感性で問題を発見し、その解決に自ら主体的に創
造的に取り組むことが望ましい、と考える人たちがいます。
これを受けて、いわゆる「感受性トレーニング(ST)」は、問題発見・解決の創造的
能力の発揮を妨げるような個人的な思考の枠組みやその人が自らの存在根拠にしている価
値観等の見直しと破壊を目的として行われます。
筆者は直接の体験はありませんが、テレビで何度か見た事を元に判断すると────
この訓練の中では、これに参加する人たち同士の間で、各人の妄想的で非現実的な存在
根拠を否定するように、指導者が仕向け、この事を強要します。
「実在するのはただの豚だ」と分からせる式のことを無理やりする訳です。
この結果、悟り/覚醒体験をする人がいます。
しかし、この方法は、社会的地位とか過去の業績とか人に誇れるような学歴等の心理的
な諸々の鎧を纏うことで自分を守っている人のその心理的な鎧を一気に引き剥がします。
この結果は、大の大人が自らの存在根拠を一気に失い、この衝撃で精神が異常になる人
たちが少なからず出る点で、とてもお勧めできる方法ではないことになります。
○一般向けの禅宗の坐禅の方法と無意識の意識化の練習の方法
一般的な万人向けの方法は、禅宗の「坐禅」修行か、筆者が体験した日常生活の中での
無意識の意識化の練習しか未だ無いようです。
でも、悟りの体験の原理的仕組みが、「無意識の意識化」と分かった以上、新しい方法
が発見されるかも知れません。
○存在を造ることと認識することは一つ同じ原理に従う
この世界を造るのにも、この世界を知り/認識し理解するのにも、常に必ず、創造主で
ある神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きによって造られた存在=システムに基づ
かなければならない、というのが、創造主である神自らも絶対的に従わなくてはならない
自然の掟(自然法則の一部)です。
人が、自ら自身とその住む世界について認識し理解する場合でも、この掟は働いていま
すから、これに絶対的に従うことが必要不可欠です。
○以上の見解について科学的な証拠があるのか?
以上の見解について科学的な証拠があるのか?
この答えは、この世界を、創造主である神の存在を除く、自然法則+エネルギー一体不
可分の存在とその働きのみで説明している科学が大成功をしている、という証拠のみ充分
でしょう。
○現在の人類的課題は創造主である神の実在を認めること
今、人類的な課題は、この世界の成り立ちと仕組みを認識し理解するには、自然法則+
エネルギーの他に、創造主である神の実在の発見とこの理解が必要不可欠だ、という所に
来ている、ということです。
人類が抱える諸問題の解決には、実在する創造主である神+自然法則+エネルギー一体
不可分の認識と理解を土台にした世界観と人間観が必要不可欠です。
○現行憲法は神の存在を一切の根拠を示さず一方的かつ積極的に否定
これまでの科学を含む学問一般はもちろん、日本の国家の法律的な形を決めて作ってい
る憲法も、神の存在を絶対的に否定しています。
具体的に言えば、憲法が定めている、信仰の自由/思想良心の自由/政治と宗教の分離
の原則などは、神の存在など絶対に認めないし信じないという考え方を持つ事を禁止しな
いということです。即ち、無神論を信念として、公の仕事にも係わることを認める、とい
うことです。
現行憲法では、実在する創造主である神の存在が、国家の秩序から一方的に絶対的に排
除されています。
神が実在するのかどうかについては哲学的にも議論があり、存在しないと一方的に決め
つけるのは、全く間違っているにも係わらず!
現行憲法の制定には、「天皇を中心にする神の国日本とその国民」を非科学的な妄想だ
と否定する、神の存在を否定する、当時のアメリカの共産主義者たちが係わっていました
から・・・。
以上が、人が、(創造主である)神の存在を知る為の自然的な土台/大前提/大条件で
す。
この知識の出所は、筆者自身の悟りの体験です。
「全ての宗教のリセットとその再建」という文を載せる前に、幾つか片付けておくべき
ことがあると、ここに最近頂いたコメントを読んで、分かりました。
その最初の話。
哲学的には、存在論と認識論を一つに論じた話。
神の存在証明をする土台/大前提になっているものは何かについて、色々の話を省略し
て、結論部分のみを説明しておきます。
これは、一言で言えば、この世界と人が、創造主である神+自然法則+エネルギー一体
不可分の存在の働きで造られている、ということに尽きます。
このことが、一義的/一意的に明確に確定的に自覚的な知識になっていないと、一般法
則論の中心/中核のメッセージが理解されないようです。
なお、話の全体は、同義語反復/トートロジー/循環論法になっています。
・人と人の住むこの世界の成り立ちと仕組みを造ったもの
・自然科学者の認識不足
・子供向けの豊田佐吉の伝記本の著者による記述の違い───余談
・もし自然法則等の本質を自覚的な知識にしていたら科学者も神の存在を発見
・創造主である神は何で造られているのか?
・人(宇宙人一般)は何で造られているのか?
・創造主である神の心=人(宇宙人一般)の心
・なぜ創造主である神の心は人の心の一つ同じだと分かるのか?
・人がこの世界を認識し理解できる理由
・この世界を知り理解するのにノーベル賞級の頭脳でなくても済む
・創造主である神の存在を人の心で知るための条件がある───悟りの体験
・悟りの体験の実際の方法について
・存在を造ることと認識することは一つ同じ原理に従う
・以上の見解について科学的な証拠があるのか?
・現在の人類的課題は創造主である神の実在を認めること
・現行憲法は神の存在を一切の根拠を示さず一方的かつ積極的に否定
・以上
○人と人の住むこの世界の成り立ちと仕組みを造ったもの
私たち人間存在、一般的に言えば、私たち人間存在=地球に住む知的生命体を含む宇宙
人一般と、宇宙人一般が住む宇宙世界は、如何なる原理で造られているのか?
この答えは、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在とこの働きで造
られている、です。
これっきりです。
この世界を造っているものは、これ以外には一切何もありません。
一般法則論では、こう言い切っていることをご記憶ください、その真偽はとにかく。
○自然科学者の認識不足
この世界は、創造主である神+自然法則+エネルギーのみで造られている。
これ以外のものは一切ありません。
この点に関して、この世界の成り立ちと仕組みを、自然法則+エネルギーで説明しよう
としている自然科学者にも、認識不足や誤解があるようです。
今現在の学問としての自然科学は、創造主である神の存在を、この世界の成り立ちと仕
組みを説明するための概念として完全に排除し認めてはいません。
しかし、自然法則+エネルギーの他に、創造主である神以外の何かがある、という主張
をする科学者が多数います。しかも、それは何か特定の数学式の解に基づくもので、現在
の科学の知識と技術ではその真偽の科学的な検証が一切全く出来ないものの存在を主張す
るものであったりします。例えば「超ひも」の存在(理論)。この他に、自己組織化や複
雑系など。
この原因は、自分達自然科学者は、この世界の成り立ちと仕組みを、創造主である神の
存在は認めないけれども、これ以外の自然法則+エネルギーの2つの概念で説明している
だ、という自己認識が未だ無いことにある、と思われます。
そもそもの問題は、科学基礎論/科学哲学が、従って科学者一般の共通認識・共通理解
/常識として、自然法則とエネルギーは何か、その性質や働き方の原理や両者の関係等に
ついて、自覚化された科学的な知識を未だ持っていないことに大間違いの本質がある、と
言って良いでしょう。このことに関して詳しいことをお知りになりたい方には、次の本の
一読をお勧めします。
ジョン・ホーガン 筒井泰隆監修 竹内薫訳 科学の終焉 徳間書店 1997年
今、世界で、この世界の成り立ちと仕組みを究明しようとしている科学の最先端にいる
積もりの科学者が一体何を考えているのかを、この本を一読するだけで概観できる、とて
も貴重で有り難い本。
まったく、子供でも、それどころか生物一般が生得的/本能的に知っている自然法則と
エネルギーの性質と働き方の原理等に関して、ノーベル賞を貰った科学者にも自覚的な知
識が無いことに驚きを覚えます。
こうだと、悟りの体験をして間もなく知った時には、私の理解は根本的に間違っている
のではないのか、それとも、私の知らない形で、自然法則とエネルギーの性質と働き方の
原理等に関する知識を科学者の間では既に共有しているのではないのか? と考えて、大
いに悩み迷ったものでした。
とにかく、それで分かったことは、システム設計や実際のシステム作りの現場や工学の機構
学の分野では、ちゃんと自然法則とエネルギーの性質や働き方の原理や両者の関係等につ
いて知っている、ということです。
しかし、システムとは何かという定義の問題や、エネルギーとは何かの説明の話になる
と、何かの仕事をする力としてのエネルギーと、この世界を造ってる唯一絶対の素材とし
てのエネルギーの話とを同じ所で一緒に説明しない、という不思議なことをしていると分
かりました。このことに関して、子供向けの科学の本を、図書館等で見て下さい。
で、この結論は、やはり、自然科学者の間には、自然法則とエネルギーとは何かについ
ての自覚化された共通知識はないようだ、ということになりました。
○子供向けの豊田佐吉の伝記本の著者による記述の違い─── 余談
子供向けに書かれた偉人の伝記本の中の一つに豊田佐吉の成功物語があります。
仮にAとBと言う別の著者による二つの本を、図書館で借りて読んだことがあります。
これで分かったことは────
著者Aは、豊田佐吉の成功物語を、この世界を/人の人生を支配している原因=結果の
因果必然の法則の存在を知っていて、これに則って説明していました。
また、紡績機械を発明するための基礎になる機構学を解説した「機械の素」という本を
佐吉が何が何でも手に入れたくて行動した経緯もちゃんと説明しています。
つまり、佐吉は、紡績機械を発明する為にはそれを正しいやり方でする必要があるとい
う明確な自覚があって、これは具体的には、機構学の本で機械の原理的仕組みを学ぶこと
だ、と明確に知っていたことを、ちゃんと説明していた、ということです。
著者Bの本は、著者自身に、何をするでもそれをする正しいやり方があるという明確に
自覚化された知識や、原因=結果の因果必然の法則に関する自覚的な知識が無いために、
豊田佐吉がなぜ発明に成功したのかが、本の記述からは分からないものでした。
つい先日手に入れた、女学者が娘に語る形式で、先の太平洋戦争(日本民族にとっての
名は大東亞戦争)について説明している本では、著者に、この世界も個人も国家も客観的
に絶対的に普遍的に支配している原因=結果の因果必然の法則についての自覚的な知識が
全く欠落していることを知りました。
この世界の全てを客観的に絶対的に普遍的に支配している原因=結果の因果必然の法則
の存在とこの働きを知らないと、もう当然に、その話は、この世界を何かの法則の存在と
その働きがもたらしたものと考える学問一般のルールから逸脱し、恣意的で、見当外れ
で、妄想的なものにならざるを得ません。
○もし自然法則等の本質を自覚的な知識にしていたら科学者も神の存在を発見
もし、自然法則とエネルギーの性質や働き方の原理や両者の関係等について自覚的な知
識を物にしたら、論理必然的に、自動的かつ必然的に、一般法則論が発見している創造主
である神の存在を、科学基礎論者/科学哲学者/自然科学者も発見している筈です。
なぜならば、この世界は、間違いなく創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可
分の存在の働きで全て造られているからです。
○創造主である神は何で造られているのか?
では、創造主である神自体は、一体何で造られているのか?
この答えは、創造主である神は、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の
存在で造られている、になります。
この内の自然法則+エネルギーは、この世界を造っている働きと一つ同じものです。
正確には、創造主である神が自らの心身(エネルギーと自然科学的には名付けられてい
ます)を、自らの天地創造の原理(自然法則と自然科学的には名付けられています)に則
って自己展開する形で、人(宇宙人一般)とこの世界を造っています。
こういう事なので、創造主である神も、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不
可分の存在だ、と言えます。
○人(宇宙人一般)は何で造られているのか?
人(宇宙人一般)は何で造られているのか?
この答えも、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在とこの働きで造
られている、という答えになります。
なお、この場合、人は、非物質的心(精神・魂)+物質的身体一体不可分のもので造ら
れていますが、この両方とも一つ同じ、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可
分の存在とこの働きで造られています。
また、身体に対する人の心の存在と働きも、創造主である神が、自らが造ったこの世界
と人との関係と同じ「空」、即ち、絶対的に自由なしかも自然法則+エネルギー一体不可
分の働きを常に必ず介した関係になっています。
しかしまた、人(宇宙人一般)の心と身体は如何なる存在であるのか、また、その正常
な在り方や正常な機能は何かについては、創造主である神が人を造ったときに、一義的/
一意的に明確に確定的に完全完璧なものであると決めて造ってあります。人は、これを
外れて存在し機能することは出来ませんし、これを外れ無視して行動すると、事故や病気
等痛い目に必ず遇います。
○創造主である神の心=人(宇宙人一般)の心
創造主である神の天地創造の意図は、神自らの化身/分身になる、個性が一人ひとり異
なる多様な存在=人(宇宙人一般)を無限に造って、その一人一人になって様々に生きて
遊んで楽しみたいことにあります。
そこで、人(宇宙人一般)の心は、創造主である神自らの心と一つ同じ存在で、一つ同
じ構造と機能/働きを持つものとして、創造主である神が無条件/無留保/無担保で造っ
てあります。
詰まり、全ての人の心とその働きは、創造主である神の心をそっくりその儘只で頂いて
いることになります(心の起源とその中身と機能)。
○なぜ創造主である神の心は人の心の一つ同じだと分かるのか?
なぜ創造主である神の心は人の心の一つ同じだ、と分かるのか?
この答えは、一言で言えば、いわゆる悟りの体験をすると、分かります。
悟りの体験は、人の心の中の体験です。
そして、人の心の働きで、創造主である神と一つになる体験をします。
この結果、自動的かつ必然的に、創造主である神とは、「心」と私たちが呼ぶ存在その
ものだ、と分かります。
この後で、創造主である神が、なぜ「心」という存在でなくてはならない理由が理屈で
分かります。即ち────
創造主である神は、私たちが「心」とか「精神」と名付けて呼ぶ存在であって初めて、
天地創造の原理である原因=結果の因果必然の自然法則に一切全く制限・制約されずに、
自由自在にかつ無限の創造を可能にする「空」なる働きを持つ創造主である神として機能
し得る、と分かることになります。
○人がこの世界を認識し理解できる理由
さて、以上の話を土台/前提にして、人がこの世界を認識し理解できる根拠と理由を説
明する準備ができました。
言い換えると、人がこの世界を知り理解することが出来る一般的な原理の存在とその根
拠を説明したことの他に、なぜ一般法則論が創造主である神とこの神が造ったこの世界を
知ることができるのかの答えがここにあることになります。
この世界の創造主も、創造主である神が造ったこの世界と人も、人の持つ心と身体も、
全て一つ同じ、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在とこの働きで造
られている、という話をしました。
この世界の全てが、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きのみで造
られている、という事実(正確には、この真偽が科学的に客観的に検証されるべき仮説)
は、考えてみると、その余りの単純さに驚きます。
この結果は、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きで造
られている人の心で、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働
きで全て出来ている創造主である神とこの創造主である神が造ったこの世界を、全て認識
し/知り、理解する形/具合になっていることになります。
そこで、人の心で、創造主である神の存在を含めて、この世界の成り立ちと仕組みを、
創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで知り理解するが出来て当然の
仕組みになっていることになります。
また、これができることで、神が造ったこの世界(神の国)を認識し理解して、この認
識と理解(の程度)に則って/に応じて、実際にこの世界で、創造主である神の化身/分
身の存在に相応しいように、自由自在に生きることができるようになります。
○この世界を知り理解するのにノーベル賞級の頭脳でなくても済む
創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで出来ているこの世界の成り
立ちと仕組みを、同じく創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで出来
ている人の心で認識し理解するのですから、原理的には、人に生まれれば誰でも、一義的/
一意的に明確に確定的にかつ客観的かつ絶対的かつ普遍的な知識の形で認識することがで
きます。
しかし、現実には、躾と教育、個人の知識と教養、信じている宗教宗派、思想信条、生
まれた文化文明等によって、この世界の成り立ちと仕組みを見る目は、歪められ、最初か
ら偏見に満ちたものになっているものです。しかも、こうだとは、自ら悟りの体験/覚醒
体験でもしない限り、中々気が付かないし、人に指摘された位では全く分からないのが普
通です。
○創造主である神の存在を人の心で知るための条件がある───悟りの体験
創造主である神+自然法則+エネルギーで出来ている創造主である神を、創造主である
神+自然法則+エネルギーで出来ている人の心、また、創造主である神の心をその儘頂い
ている人の心で、認識し、理解するからこそ、実際に、創造主である神の存在を、認識し
理解することができる、という話をしました。
大事な話ですから、同じ説明を繰り返しました。
問題は、この先にあります。
結論的に言えば、既にお話してあるように、人の心で神の心=神の存在を認識し理解す
るには、日常の心の状態とは全く異なる、神の心=神の存在を認識し理解し得る、いわゆ
る悟りの体験が可能な、特殊/特別な心の状態に人がなる必要があります。
これは、悟りの体験のその瞬間、人の心の状態が、神の心と一つ同じ心になっているこ
とが必要不可欠だ、ということです。
この時に、意識のある心を持つ人の心は、絶対的無意識の存在の創造主である神の存在
を初めて意識化し、認識し理解し得ることになります。
悟りの体験の、そして日常生活で「あっ、分かった!」体験の鍵言葉は、「無意識の意
識化」です。
悟りの体験をするには、これに実際に則った方法である必要が、常にあります。
○悟りの体験の実際の方法について
志の在る者が悟りの体験をし得る確立したシステムとして、禅宗の「坐禅」修行が世界
的に知られています。
いわゆる臨死体験でも、一部の人たちに過ぎないようですが、絶対的無意識の存在の創
造主である神の存在が意識化されることが知られるようになりました。しかし、悟りの体
験をするのに、死の一歩手前まで行かなくてはならないのでは一般的ではありません。
また、いま一つ、宇宙飛行士が宇宙で神の存在を発見する体験をすることも知られてい
ます。しかし、これも、未だ一般的な悟りの方法ではありません。
○自己否定による悟りの体験
何かの機会に、自らによる自己否定が、殆どの場合が妄想まみれの自らのアイデンティ
ティ/存在根拠の否定まで及んだ瞬間、一部の人は、いわゆる無我・無心の状態になれる
と同時に「絶対的無意識の存在の意識化」が行われ得る特別な意識状態に心がなって、こ
の瞬間に、一気に「仏の側から行われて」、悟りの体験をすることがあります。
○感受性トレーニング(ST)の問題点
企業の中で、社員は、研ぎ澄まされた感性で問題を発見し、その解決に自ら主体的に創
造的に取り組むことが望ましい、と考える人たちがいます。
これを受けて、いわゆる「感受性トレーニング(ST)」は、問題発見・解決の創造的
能力の発揮を妨げるような個人的な思考の枠組みやその人が自らの存在根拠にしている価
値観等の見直しと破壊を目的として行われます。
筆者は直接の体験はありませんが、テレビで何度か見た事を元に判断すると────
この訓練の中では、これに参加する人たち同士の間で、各人の妄想的で非現実的な存在
根拠を否定するように、指導者が仕向け、この事を強要します。
「実在するのはただの豚だ」と分からせる式のことを無理やりする訳です。
この結果、悟り/覚醒体験をする人がいます。
しかし、この方法は、社会的地位とか過去の業績とか人に誇れるような学歴等の心理的
な諸々の鎧を纏うことで自分を守っている人のその心理的な鎧を一気に引き剥がします。
この結果は、大の大人が自らの存在根拠を一気に失い、この衝撃で精神が異常になる人
たちが少なからず出る点で、とてもお勧めできる方法ではないことになります。
○一般向けの禅宗の坐禅の方法と無意識の意識化の練習の方法
一般的な万人向けの方法は、禅宗の「坐禅」修行か、筆者が体験した日常生活の中での
無意識の意識化の練習しか未だ無いようです。
でも、悟りの体験の原理的仕組みが、「無意識の意識化」と分かった以上、新しい方法
が発見されるかも知れません。
○存在を造ることと認識することは一つ同じ原理に従う
この世界を造るのにも、この世界を知り/認識し理解するのにも、常に必ず、創造主で
ある神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きによって造られた存在=システムに基づ
かなければならない、というのが、創造主である神自らも絶対的に従わなくてはならない
自然の掟(自然法則の一部)です。
人が、自ら自身とその住む世界について認識し理解する場合でも、この掟は働いていま
すから、これに絶対的に従うことが必要不可欠です。
○以上の見解について科学的な証拠があるのか?
以上の見解について科学的な証拠があるのか?
この答えは、この世界を、創造主である神の存在を除く、自然法則+エネルギー一体不
可分の存在とその働きのみで説明している科学が大成功をしている、という証拠のみ充分
でしょう。
○現在の人類的課題は創造主である神の実在を認めること
今、人類的な課題は、この世界の成り立ちと仕組みを認識し理解するには、自然法則+
エネルギーの他に、創造主である神の実在の発見とこの理解が必要不可欠だ、という所に
来ている、ということです。
人類が抱える諸問題の解決には、実在する創造主である神+自然法則+エネルギー一体
不可分の認識と理解を土台にした世界観と人間観が必要不可欠です。
○現行憲法は神の存在を一切の根拠を示さず一方的かつ積極的に否定
これまでの科学を含む学問一般はもちろん、日本の国家の法律的な形を決めて作ってい
る憲法も、神の存在を絶対的に否定しています。
具体的に言えば、憲法が定めている、信仰の自由/思想良心の自由/政治と宗教の分離
の原則などは、神の存在など絶対に認めないし信じないという考え方を持つ事を禁止しな
いということです。即ち、無神論を信念として、公の仕事にも係わることを認める、とい
うことです。
現行憲法では、実在する創造主である神の存在が、国家の秩序から一方的に絶対的に排
除されています。
神が実在するのかどうかについては哲学的にも議論があり、存在しないと一方的に決め
つけるのは、全く間違っているにも係わらず!
現行憲法の制定には、「天皇を中心にする神の国日本とその国民」を非科学的な妄想だ
と否定する、神の存在を否定する、当時のアメリカの共産主義者たちが係わっていました
から・・・。
以上が、人が、(創造主である)神の存在を知る為の自然的な土台/大前提/大条件で
す。
この知識の出所は、筆者自身の悟りの体験です。