ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2024-116 ノーベル賞受賞被団協と原爆許すまじ」

2024年12月12日 | 日記
ガレージに野積していた白菜の山をようやく倉庫への収納ができた。
煩悩スイムの後、3時30分から6時30分までたっぷり3時間の作業。
除雪用のトラクターで白菜のコンテナをフォークリフト代わりに運んでもらう。
それを5段積み。その数180余り。結構な力仕事でくたくたになった。
これで大きな寒波が来ても大丈夫だ。

さて12月10日、オスロでノーベル賞平和賞の授賞式があった。
代表委員の田中さん92才は1945年中学1年で長崎で被爆。
広島14万人、長崎7万4千人が犠牲になった。
現在の被爆者10万人の平均年齢は85才。
その後、大国は核実験を繰り返していた。
この間、原爆被害は占領下でプレスコードが敷かれ、あまり広がらなかった。
9年後の1954年ビキニ環礁でマグロ漁船が被爆したことから55年原水禁大会、原水協発足
1956年昭和31年被団協結成。78年の活動でのノーベル平和賞。
なぜ今なのか。核戦争の危機にあるという裏返しでもある。
いま地球の危機は90秒。かつては2分というデーターもある。

ビキニ環礁被ばくをきっかけにできた歌が「原爆許すまじ」作詞 中央合唱団 浅田石二

ふるさとの街焼かれ 身寄りの骨埋めし 焼け土に 今は白い花咲く 
ああ許すまじ原爆を 三度許すまじ原爆を 我らの街に

ふるさとの海荒れて 黒き雨 喜びの日はなく 今は船に 人もなし
ああ許すまじ原爆を三度許すまじ原爆を われらの海に

ふるさとの空重く 黒き曇 今日も大地覆い 今は空に 陽も差さず
ああ許すまじ原爆を三度許すまじ原爆を 我らの空に

はらからの 絶え間なき 労働にきずきあぐ 富と幸 今は全てついえ去らん
ああ許すまじ原爆を 三度許すまじ原爆を 世界の上に 

この歌は 被団協の団歌になっているともいう。
歌声運動で広まった曲で静かに厳かな出だし。
教員時代、子どもたちに原爆を教えるときの教材でもよく活用した歌である。




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