アバウトなつぶやき

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増山雪斎展とボタニカル・デザイン展

2019年06月15日 | かんしょう

 先月から、体調を崩したりして延び延びになっていた二つの展覧会。会期終了目前の今日、やっと観に行くことができました。

 まずは三重県立美術館の増山雪斎展。

 三重県にこんな文人大名がいたとは、この展覧会が開催されるまで知りませんでした。あまりに立派で、ホント申し訳ない気持ちになりました。。。

  三重(伊勢国)大名というと、つい南勢(伊勢の方)を連想してしまうのですがこの方は長島藩の第5代目藩主です。つまり南側でなく三重の最北、尾張と接する側の地域の大名です。

 増山雪斎は諱(名)を正賢(まさかた)と言い、1754〜1819年に生きた人物です。

 当時、大名の仕事の一環として地産の記録として絵を必要としたようですが、それ以上の才が雪斎には備わっていたようで花鳥画の様な芸術性の高い絵を描くようになります。(当時「芸術」という概念かどうかはともかく)

 雪斎の絵は博物学として捉えても十分な見識を持って描かれているとの事で、動植物の特徴を見事に表現しながら緻密で美しい絵を描いています。虫豸帖(ちゅうちじょう)という図譜は特に優れているようで、現代の学者が見てその種類がほぼ同定できるのだとか。

 雪斎は長島藩のお抱え絵師である春木南湖を長崎に遊学させていますが、雪斎の死後数年経った1823年にシーボルトが来日しています。

シーボルトがもう少し早く生まれていたら、というか雪斎がシーボルト級の人物に出会っていたらこの辺りの本草学は尾張でなく伊勢が主流になっていた事間違いなしですよ。惜しい!

 雪斎の人物像を語るにあたり木村蒹葭堂という人物は欠かせない事も知りました。

 展覧会内でこの木村蒹葭堂から煎茶道の偉人、売茶翁の茶器を譲り受けた、という逸話込みの絵が展示されていました。ここでも始めて知る「売茶翁」という人物。なんだそれ、煎茶道って今時の人が美味しいお茶を飲むために作ったポップカルチャー的なのじゃなくて、近世から続く伝統的なものだったの?とまた新たに知ることが増えました。

 煎茶道って、調べると結構面白くて意外なことに後で見に行ったボタニカルデザイン展にもつながります。

 三重県立美術館で増山雪斎展を観た後、三重県総合博物館に寄って企画展「ボタニカル・デザイン」を観てきました。

 この企画展は全てが撮影OKとの事で、メモを取らずに観れるので嬉しい(^^)

 広々としたスペースに見やすい展示。可愛らしくてセンスある解説と手書きの学芸員コメントなど、わかりやすくてしかも楽しめる、とても良い展示だと思います!

展示物の中にいくつかの模型があったので「へぇ〜、これ大きくってわかりやすくてイイじゃん♡」と思ってキャプションを見たら「ミュージアムパーク茨城県自然博物館」って書いてありました。

すごいな茨城県。さすが、つくば学園都市を抱えてるだけあって良い博物館がいっぱいあるのね。

 最近、ワダちゃんと地被類を愛でることが増えてるんだけど、そこも網羅。

 この展覧会の最後の方は人のくらしの中にあるボタニカルデザインって事でさまざまな利用の仕方が紹介されているんですが、その中に盆栽の紹介がありました。

 ここで知る、盆栽の愛でられ方!

 盆栽って確かに立派なのが豪邸の床の間にあるイメージありました。でも、縁側でおじちゃんがハサミをパッチンパッチンしてるイメージも強くて、なんというか園芸好きの高じた最たる姿っていう気がしていたんですよね。

盆栽って未来の枝ぶりを想像して整えるわけですから途方も無い時間と知識の必要な芸術です。素人がちょっと手を出して成せる類の分野じゃありません。

 で、この盆栽を床の間に飾ってたのが先に出てきた煎茶道と知って「なるほど!」と頷く事しきりです。

 抹茶を頂く「抹茶道=茶道」が形式化しているのを嫌って生まれたのが煎茶道。(もっとも、普及するうちに色んな作法や美意識が生まれて結局は形式化していくのですが)

形式にとらわれず会話を楽しむ事で、文人から愛好されたというのもうなずけます。侘びを重んじる茶道に対し、古代中国の隠遁する賢人のような自由と精神の気高さを表す風流を重んじたのが煎茶道。そして床の間は茶道が生け花なのに対して盆栽が飾られたわけですね。

 

と、いう感じでいつもは展覧会は一日一つにしたいと思っていましたが、この展示は二つセットで正解でした。体調が芳しくないんだけど、無理めでも行った甲斐がありましたぁ。


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