ひょうたん酒場のひとりごと

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百名山をなめんなよ!

2014年09月29日 17時28分33秒 | 日記
第29回山歩きの会「大洞山から尼ヶ岳」がこの23日(火・祝日)にあった。位置的には昨年11月に踏破した曽爾高原は倶留尊山(くろそやま)(1038m)にすぐ近くにある(近鉄名張駅からJR奥津を結ぶ山間を走るバス路線途中の、共に登山の起点、中太郎生・なかたろう停留所を挟んで真向いに)。

結論から先に言えば、この大洞山(おおぼらやま)と尼ヶ岳、いずれも関西100名山であり、地図上では隣接していることから、Hリーダー、この日一挙に踏破することを目論んだようだったが、諸般の事情によりそれは叶わずに終わっている。理由は後述、まずは例によって、1つクリアした大洞山についてウイキペディアよりの引用で。

〈大洞山は、三重県津市美杉町の中央部にそびえている雄岳(おだけ)、雌岳(めだけ)の二峰で構成される楯状火山(緩やかに傾斜する斜面を持ち、底面積の広い火山)であった死火山の山である。雄岳の標高は1013m、雌岳の標高は985m。〉
〈広葉樹と人工林で構成される山林の中に、山麓では苔むした大洞石という火山特有の軽石を、山腹ではカタクリの群生地やエイザンスミレなどが、山頂付近では各種高山植物が見られる自然豊かな森と美しい眺望に恵まれていることで知られている。室生赤目青山国定公園内にあって、また東海道自然歩道が中腹を縦走しているこの山は、ハイキングの名所であり、そのようなことから関西百名山にも指定されている。〉
〈美しいと評される眺望については、西斜面においては、ススキの絨毯に覆われた草原と、その先に広がる美杉の山村のさまを見下ろすことができる一方、東側を見ると三杉町太郎生の集落の谷を挟んで対峙する倶留尊山や日本ボソなどの荒々しい山並を眺めることができることが売りである。〉
〈山名の由来は、真言宗の末寺である金峯山寺真福院を訪れる修験者が持つホラ貝に、やまなみが似ているからであると言われている。〉

少々長い引用となったが、実際に踏破してみて、この解説文がほぼその概要を説明し尽くしていると思われるからに他ならない。これに、その時の我々の息遣いを加味すれば、ほぼ完璧な今回の山登り記録となる。

近鉄名張駅に9時40分の集合、そして10時10分発のバス(810円)に乗ったのも、従って前回通り。下車した中太郎生停留所付近、「丸八」の看板を掲げたみやげ物屋でありミニコンビニ風の店は完全に見覚えがあった。

その「丸八」で、リーダーが店の主人夫婦に入念に登山コースを確認し、登り始めたのが11時10分。前回もそうだったが、登山開始がこの時間になってしまうのは、朝のバスがこの1本だけという止むに止まれぬ事情があるからだ。

登り始めは広いコンクリートの道だった。道端には赤茶けたススキの穂の一群も見えたりして、ふとその後の曽爾高原が思い出されている(去年、当地のススキの枯渇現象を目の当たりにし、今年は如何なるばかりか、と)。

この辺り、「大洞山4.7k」の標識地点から10分ほどの地点。やがて、コンクリート道は、やや狭くなって、しかし舗装されているのは間違いなく、林道と思わしき道路へと進んでいく。

30分を経過した頃、林道の分岐点へ。どちらを進むべきか、Hリーダーが突如疑念を挟み出し、「丸八」の主人に書いてもらった略図を取り出すも判然とせず。とりあえず進んだ方向がどうも違う!と引き返したところで、たまたま来合わせた乗用車の老夫婦に尋ねると反対方向が指し示され、それに従って進めども、依然疑念は晴れず。

10分ほど歩いたところで、今度はリーダーの取り出した地図を頼りに林道から、この辺がそうだろうと見定めた山道に入る。が、これまた途中で途切れていたために元の林道に取って返し、この時点で全体では予定より30分の遅れ・ロスが生じていた。

林道には人の姿はもとより、走る車の姿も全くない。どちらに進むべきか、件のリーダーの大雑把な地図(後にリーダーが、今度はもう少し縮尺の細かい地図を買おう、とぽつり呟いている)を前に、今回参加の3人、思案にくれているところに1台の小型軽トラックが走ってくるのが見え、慌てて立ちはだかってストップ願う。

降りてきたのは70歳絡みの山林従事者風情のおじさん。すぐに地図を差し示し、我々の現在位置から始まるルート確認を急いだのであった。

おじさん「標識は見てきたか?これまで少なくとも3つはあった。」
我々「上り始めの1つだけは…。」
おじさん「それならどこかで見落としている。林道と交叉する形で登山道があったはずだ。」
我々「……?」
おじさん「6つも目があるんだから(我々3人を指して言ったのだ)、誰かがそれに気付かなければ…(山に登る資格なし、と言われた気分)。山に標識は絶対あるんだから…(そんな初歩も知らならないなら、山に登る資格なしと再度言われた気分)。」

毅然とした雰囲気があって、が、言われている内容の辛辣さにも拘わらずどこか愛嬌も感じさせられ、日焼けした顔に野球帽を被り、山仕事の作業服に身を包んだおじさんであった。退職後ここまでの9年間、かの東海自然歩道の整備と管理に携わってきたが故に、この辺のことは全部分かると豪語した上で、我々に対して有難い説教と教えを投げかけてくれたのだった。

「あの人はきっと先生をやっていたのに違いない」。今回メンバーのもう1人・Yさんが、おじさんと分かれ、教えてもらった方向に歩き出してからそう言い切った。

歩を進めていくと、確かに「大洞山頂0.8km」の、林道から離れ登山道を指し示す正真正銘の標識に出会うのであった。

この地点での遅れを取り戻そうと勇躍足を踏み入れるも、ものの数分も経たないうちにその山道の傾斜のきつさの洗礼に見舞われる。これは結局、石積みの階段道スタイルで山頂近くまで続き、後に知ることになるが、その標高差は約300mにも及ぶのだとか。「この先勾配きつい」の看板文字が山道端に踊っていたのも頷ける。

ついでながらリーダーは「ここはこれまでで最高のきつさ」と言ったが、私にとっては、まだこの会の回数の浅い頃に登った葛城山の方が厳しく感じられている。何しろあそこを登ったことで、膝と腰を痛め、ほぼ1年ほど、間歇的にではあったが、針鍼灸院での治療を余儀なくされたのだったから…。

そこで、リーダーからの提案だ。「もう1度葛城に登ってみるのもいいのかもしれない。比較することが出来るし、もしさほででないと感じたら、それだけ今は成長していると判断できる…。」

今回は、前回7月の大台ケ原行からは2カ月半ぶり、しかも久方ぶりの快晴だ。長く続いた杉の人工林、そして山頂近くの広葉樹林帯を抜け、直接浴びるようになった陽射しは存外強かったが、それ以上に吹き抜ける風がさわやかなのに感応する。

雌岳山頂では、ススキの穂が一面群生する中、青空に突き出る倶留尊山を遥か見届けられたし、久々に訪れた山登りの感覚を存分に味わうことができたのであった。

さて、道に迷い、時間をロスし、何とかその雌岳山頂に辿り着いたのが予定より40分遅れの2時前。慌ただしく昼食を終え、そこから峰続きになっている雄岳に至ると3時前になっていた。この時間である、さて後に控える尼ヶ岳はどうするか…。

よくよく地図を見れば、(たとえ大雑把でも)、峰を歩きつなぐ、縦走のイメージならばともかく、一度下りて、そうし上で下りた距離を登る、そう、即ちもう一つの登山をしなければならない、ということが分かる…。

直前の約1km弱の急傾斜に身体と神経をすっかり使い果たした我々が、そこから先、もう一つの百名山・尼ヶ岳踏破をこの時点で断念せざるを得なかったのは、蓋し必然であった。

2山踏破で下山が遅くなるかもしれない…、最悪、日の落ちた暗い山道を歩くことになるかもしれない…、よって、各自懐中電灯を持参すべし、との、前回曽爾高原での教訓を生かしたリーダーの事前通達によって、3人共に準備万端整えて臨んだ今回ではあったが、かくして、1日に2度おいしい(2つの百名山踏破)の野望は頓挫した。

これには、“百名山をなめんなよ””という声がどこからともなく聞こえ、山登りに欲張りは禁物、と、また1つ学習したような気になった。

夕方4時半頃下山、5時20分過ぎ、下太郎生というバス停から名張行バスに乗り込んでいる。懐中電灯が空振りに終わったことを悔やむ声は誰からも出てこなかった。

(シャープ)ブンゴウ


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1 コメント

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これからは紅葉狩りだああ (むずむずじまし)
2014-10-01 14:31:01
70歳まであと3年。作品は出来上がりましたか。メールを読んでおいてください。

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