誤りは、正さなければならない!!
正すことの終着点は、謝ることである。
虚心坦懐、見栄、こだわりを捨てて、謝罪することが、
再出発のエネルギーになる、失うモノは何もない!!
その意味で、石川栃木県警本部長の菅家さんに対する謝罪は、端から見ていて感極まるものがあった。ご本人の人柄もあると思われるが、様々な『謝罪』を報ずる中に、投稿者の観るところ、最善の謝罪であった。
検察も裁判所も、出来うるならば、捜査関係者もこれに倣って本人謝罪をするべきである。
裁判員制度に移行する時期を見計らった、印象操作であるとの穿った見方もある。仮にそうであるにしても、誤りが決定的となった以上は、素直に心を込めて謝罪をするべきである。それによって、心の堅い氷が溶かされるならば、いかなる補償よりも重要なことである。
人々は見ている。もしも、身に覚えのない罪障を咎められた心の苦しみは、筆舌に尽くせないものがあろう。それを大なり小なり、身を置き換えて人々
は見ているのである。公務員には職務を通じて行った損害は国又は公共団体が補償するとなってはいるが、心の苦しみを溶かすことには必ずしもならない。
石川本部長個人については、17年以上前の事件には、おそらく、何の関わりもなかったであろう。しかし、現在の職名に於いて、深甚な謝罪が出来ると言うことは必要な資質である。その意味で、今般に謝罪は立派であったと言える。その結果は、菅家さんの会見言質に顕れている。『許す気になった。』
『遺憾』とか、『極めて重く受け止める』だとか、難しい言葉でなく、心に響く言葉で謝罪することが必要である。