旧白石和太郎邸洋館
白石家は、元は酒造業を営んでおられたそうですが、
明治頃から鉱山を広く経営され、
その後紡績も手がけられたそうです。
そして、紡績工場と大峯鉱山の経営で絶大なる財をを成した
白石和太郎氏が建てた洋館。
明治30年代後半の建築とされるそうです。
1994(平成6)旧保内町購入、2007年3月に
保存改修工事が完了し、創建当時の姿が甦ったそうです。
玄関や窓のペディメント
洋風の模様にも驚き。
玄関のドアにも色々と巧みな技が・・・。
ドアのヒンジにも工夫がされ、
ドアがぴったり開くようにされていました。
玄関から入ってまず見上げると、太めの可愛い天使の明かり
天上飾りの天使の人形と世界地図
世界地図の中には日本の文字が隠されています。
どの明かりにも工夫されています。
果物かごの模様が、
果物が好きだったのかしらと思ったりして
各部屋の明かりが違います。
螺旋階段
螺旋階段の上の窓
1950(S25)~1989(H1)年まで、
川之石ドレスメーカー女学院として使用され、
その当時の貴重な品々が展示されていました。
キャピタル(柱頭の頭文字・花文字)
ペチカ(暖炉の一種)
とてもお洒落な雰囲気
白石和太郎氏は、
どんな人だったのかしら、各部屋のこだわりみて色々想像してみていました。
きっと知的でロマンに溢れ先見の明の人・・・・。
勝手に思ったり・・・。
外から眺めたり
1階の窓は、半円のアーチ。
2階の窓は、三角形ペディメント。
とても素敵な建物で見飽きません。
この洋館を建てるため、大阪から職人さんを呼ばれたとか・・・。
また白石和太郎氏は、川之石の公共事業にも寄付されたり、
教育の発展にも熱心で川之石就学奨励会を設けたり
川之石尋常小学校の校舎新築の際にも、多額の寄付をされたそうです。
地方政界でも活躍されたそうです。
生き方も素敵!でも47歳の若さで逝去されたのは、
残念です。
白石和太郎邸の洋館の隣に
旧宇都宮壮十郎邸があります。
白い漆喰造り和風の外観に見えますが、
屋内は暖炉があったり和洋折衷の建物だそうです。
改めて、八幡浜市保内町の町歩きに参加して、
江戸時代から昭和初期にかけて、開運・鉱山・木蝋・養蚕・金融・紡績と
近代産業で栄えた町だと知りました。
また訪れて見たい町になり、
ゆっくり見学したいと思います。
白石家は、元は酒造業を営んでおられたそうですが、
明治頃から鉱山を広く経営され、
その後紡績も手がけられたそうです。
そして、紡績工場と大峯鉱山の経営で絶大なる財をを成した
白石和太郎氏が建てた洋館。
明治30年代後半の建築とされるそうです。
1994(平成6)旧保内町購入、2007年3月に
保存改修工事が完了し、創建当時の姿が甦ったそうです。
玄関や窓のペディメント
洋風の模様にも驚き。
玄関のドアにも色々と巧みな技が・・・。
ドアのヒンジにも工夫がされ、
ドアがぴったり開くようにされていました。
玄関から入ってまず見上げると、太めの可愛い天使の明かり
天上飾りの天使の人形と世界地図
世界地図の中には日本の文字が隠されています。
どの明かりにも工夫されています。
果物かごの模様が、
果物が好きだったのかしらと思ったりして
各部屋の明かりが違います。
螺旋階段
螺旋階段の上の窓
1950(S25)~1989(H1)年まで、
川之石ドレスメーカー女学院として使用され、
その当時の貴重な品々が展示されていました。
キャピタル(柱頭の頭文字・花文字)
ペチカ(暖炉の一種)
とてもお洒落な雰囲気
白石和太郎氏は、
どんな人だったのかしら、各部屋のこだわりみて色々想像してみていました。
きっと知的でロマンに溢れ先見の明の人・・・・。
勝手に思ったり・・・。
外から眺めたり
1階の窓は、半円のアーチ。
2階の窓は、三角形ペディメント。
とても素敵な建物で見飽きません。
この洋館を建てるため、大阪から職人さんを呼ばれたとか・・・。
また白石和太郎氏は、川之石の公共事業にも寄付されたり、
教育の発展にも熱心で川之石就学奨励会を設けたり
川之石尋常小学校の校舎新築の際にも、多額の寄付をされたそうです。
地方政界でも活躍されたそうです。
生き方も素敵!でも47歳の若さで逝去されたのは、
残念です。
白石和太郎邸の洋館の隣に
旧宇都宮壮十郎邸があります。
白い漆喰造り和風の外観に見えますが、
屋内は暖炉があったり和洋折衷の建物だそうです。
改めて、八幡浜市保内町の町歩きに参加して、
江戸時代から昭和初期にかけて、開運・鉱山・木蝋・養蚕・金融・紡績と
近代産業で栄えた町だと知りました。
また訪れて見たい町になり、
ゆっくり見学したいと思います。