ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

金屋谷池の堤から望む日の出の景色

2021年10月15日 05時48分41秒 | Weblog
  

 加東市社の市街地の東側は嬉野台地の台地面の西端にあたり、一段高くなっています。
 ここに社中央公園があり、市街地面から台地面へとつながった傾斜のある公園になっており、金屋谷池の堤からの展望は素晴らしく、西側には南から小野市、加西市、さらに西脇市・多可郡へと続く地平線と山並みが望めます。東側には池とその向こうに台地面が広がっています。
 14日(木)の朝、6時10分過ぎに堤に立つと、ちょうど池の向こうから朝日が昇るところでした。晴れた空に浮かぶ雲の縁が光に映えていました。そして振り返ると、遙か西の果てまで視界が広がっていました。
 秋の空気が大地を包み、すがすがしい気持ちになりました。
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大政翼賛会の湯呑み茶碗

2021年10月14日 04時53分22秒 | Weblog
  

 市内の旧家に保管されていた書物や地図や冊子類を見せていただいている中に湯呑み茶碗がありました。側面にマークと文字が書いてあります。聞いてみると、戦前の大政翼賛会のマークで、常会の信条と絵が書いてあります。

 常會信條
一、國策を忠実に実行し教育、産業、経済、衛生などの実生活に必要なころを研究改良し行く會である。
一、會合の日には常會の人達は皆が出席して住心地のよい隣組をお互ひの力で作って行く會である。
一、會合には上下の区別を立てず、お互ひに意見を述べて決まったことは皆が手を引き合ふて実行する會である。

 この歴史ブログでは、社町(現加東市社)の常會の記録を紹介していますが、それらは文書記録。こうして湯呑み茶碗といった形で残っていたとは。ネットオークションで取引されていることも知りました。隣組の湯呑みもあったんですね。
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昭和初期の「淡路四国八十八ヶ所巡拝案内図」

2021年10月13日 05時20分55秒 | Weblog
 

 加東市内の旧家に保管されていた古い書物や地図の中に、淡路四国八十八所巡礼の地図がありました。聞くところでは、持ち主の祖父が巡礼団の団長を務めておられたとか。
 旧加東郡(現加東市・小野市域)にも加東四国八十八ヶ所巡礼が行われていました。そのことについては、このブログでも度々紹介してきたところです。
 写真は案内図の一部、島の北部ですが、下部に「昭和六年四月廿四日 由良要塞司令部御検閲済」と書き込まれています。
 一番は先山千光寺、三原郡加茂村・洲本より一里(現洲本市)となっています。先山は標高448メートルで、国産み神話で、伊弉諾・伊弉冉の神が最初に創った山とされています。
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尋常小学修身書 児童用 巻二(文部省 昭和2年)「カウカウ」(孝行)に「ふさ」の話が

2021年10月12日 04時15分21秒 | Weblog
 

 書棚にあった『国民の修身』(渡部昇一監修、産経新聞出版発行、平成25年)を手に取り、頁をめくってみると、48,49頁に「カウカウ」(孝行)が掲載されていました。修身書の始めに必ずあるのが「孝行」の項。その孝行に「オフサ」の話が取り上げられていました。
 オフサは、ふさのことで、「孝女ふさ」として知られています。
 ふさは、18世紀半ば、江戸時代に播磨国加東郡上三草村(現在の加東市上三草)で親に孝行を尽くした人として知られ、戦前には修身教科書や国語の教科書に取りあげられ、その数はあの野口英世より多かったと言われています。上三草の旧京街道沿いに、ふさの孝行を讃える「彰孝碑」が建てられており、今も地元の老人会の皆さんが清掃などをして大事に守っておられます。 
 このブログでも何度も紹介してきましたが、この本でも「ふさ」が孝行の代表的な事例として取り上げられているのは嬉しいことです。
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朝日を浴びて鳴くモズ

2021年10月11日 05時00分09秒 | Weblog
 

 9日(土)の朝、ウォーキングで加東市社の新池から大師殿の近くまでくると、鳥の鳴き声が聞こえてきました。ヒヨドリでもないし、と思いながらお大師様にお参りをして外に出てみると、寺の前の道の上高く、電線に一羽の鳥が止まってさかんに鳴いていました。
 カメラでズームしてみると、それはモズのようでしたが、すぐに大師殿の後ろの木の天辺あたりに飛び移っていきました。
 
 
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戦闘機(紫電、紫電改?)の図ー川西航空機株式会社「飛行機工作法抄」に挿まれていた

2021年10月10日 05時29分47秒 | Weblog
 

 昨日紹介した川西航空機株式会社「飛行機工作法抄」(昭和18年5月1日)の冊子に、トレース紙のような半透明の薄い紙に戦闘機の図と各部の名称と番号が書き込まれた一枚の紙が挿んでありました。
 その図を見ていると、川西航空機が製造した戦闘機、紫電、紫電改に似ているように思えました。図は上から、側面、正面、真上からの3つです。加西市の鶉野飛行場には復元された紫電改が展示されていますが、川西航空機はこの飛行場で試験飛行をしていたとか。この図面は何に使われていたのでしょうか。
 
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川西式四發飛行艇の図-昭和18年5月1日「飛行機工作法抄」川西航空機株式会社より

2021年10月09日 05時07分57秒 | Weblog
 

 旧家に残っていた古い書物や冊子の中に、「飛行機工作法抄」川西航空機株式会社(昭和18年5月1日)の薄い冊子がありました。
 川西航空機と言えば、現在の新明和工業の前身で、飛行艇の製造で知られています。あの辛坊治郎さんを救助した海上自衛隊の救難飛行艇US-2は新明和工業でつくられています。工場を見学したことがありますが、世界最高性能を誇る飛行艇は脈々と受け継がれた優れた技術の集積でした。
 さて、その冊子の中に「川西式四發飛行艇」の図が掲載されていました。各部の名称が細かく書き入れられています。高さ6m270,全長25m625,全幅40m000、発動機950×4(金星)、全備重量20,000tonとあります。機体の操縦席の窓の下の部分に「白雲」と書いてあるのが読み取れます。
 調べてみると、昭和11年に1号機が初飛行し、その後南方航路の輸送機として活躍したようです。「白雲」もその1機でした。
 現在、飛行艇を製造しているのは、日本以外には、ロシアとカナダの2国と聞いていますが、離着水距離や波高などで圧倒的な高性能を誇っているのが、US-2です。その源を辿れば、川西航空機の飛行艇に行き着きます。海洋国日本の誇りです。
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昭和28年10月31日の神戸新聞-誕生日の新聞記事

2021年10月08日 05時35分13秒 | Weblog
 

 先日の加東ライオンズクラブの例会で、誕生月のメンバーに生まれた日の神戸新聞(縮小版コピー)が贈られました。
 自分の生まれた日の新聞にいったいどんな記事が載っているのか、興味津々で紙面を見ました。誕生日の前の日の出来事になるわけですが、一面トップには、「冷害費、百五十億円に」とあり、国会での予算折衝についての記事が掲載されていました。「外米百六十万トン確保」の見出しもありました。
 裏の第六面には、テレビ欄があると思って、よくよく見るとラジオ欄でした。まだテレビ放送はなかったんだと思いました。NHK午後2時から「日米野球大会第10戦実況」とあり、4時間枠がとってありました。後楽園球場で行われるニューヨークヤンキースと読売ジャイアンツ戦です。
 日米野球は明治時代に始まり、戦後もこうして行われたのです。当時は日本はまったく歯が立たなかったと伝えられています。今年の大谷選手の超人的な活躍を当時の人が知ったら、などと思いながらラジオ欄を見ました。
 小さな字を目で追っていくと、ラジオ欄の下に、小さく「NHKテレビ」とあり、なんと、日米野球大会(西宮球場)全米オールスターズ対阪急ブレーブスと書いてあるのを発見しました。テレビ放送もあったんだと驚きました。メジャーリーグ選抜チームは毎日新聞が招聘していたんですね。調べてみると、テレビ放送は昭和28年2月1日に始まっていました。
 家庭にテレビが入ってくるのは昭和30年代で、小さい頃は近所に見せてもらいに行っていたことを覚えています。それにしても、あれからもうすぐ68年が経とうとしています。
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「明るい選挙推進委員章 兵庫縣」

2021年10月07日 05時42分35秒 | Weblog
 

 市内の旧家に保存されていた書物などの中に「明るい選挙推進委員章」がありました。
 よく玄関に貼り付けてある金属の徽章です。大きさは、楯8センチ、横3センチで上部の国旗が目立ちます。
 さて、今年は選挙イヤーで、7月には兵庫県知事選挙が行われました。そして、今月後半には衆議院議員選挙が実施されます。また、神戸市長はじめ、市町の首長・議員選挙が予定されています。
 「明るい選挙」運動は、昭和49年から使われた名称だそうで、それまでは、公明選挙、明るく正しい選挙などの名称で推進されていました。すると、この徽章は昭和49年以降のものということになるのでしょうか。それにしては、下部に「兵庫縣」の「縣」、「選擧」の「擧」に旧漢字が使用されているのは少し疑問ですが。
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「東條川だむ」絵葉書セット(昭和20年代後半)に描かれた遊覧案内図

2021年10月06日 04時57分15秒 | Weblog
  

 昨日紹介した絵葉書セットの袋の裏に印刷された「遊覧案内図」を紹介します。ダム建設工事は昭和20年代半ばの占領時代に行われており、今から70年ほど前のものです。
 ダムへはいくつかのルートが示されていますが、福知山線の①三田から長尾、稲田、渡瀬経由、②相野から大川瀬経由、③社から米田経由、④小野、三木から豊地、口吉川、渡瀬経由、⑤古川から小田経由の3ルートです。それぞれ天神までのコースが書いてあります。周辺の名所では、清水寺が描かれています。
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鴨川ダム建設当時の絵はがきー表紙に「東條川だむ」と・・・

2021年10月05日 04時53分35秒 | Weblog
 

 4日(月)、事務所で、地元の旧家に保管されていた古い地図や絵はがき、印刷物などを見せていただきました。
 その中に、鴨川ダム(加東市黒谷)の建設当時の写真絵はがきがありました。写真はこれまでにも見たことがあるものでしたが、絵はがきセットの袋を見たのは初めてのことでした。
 表には、「東條川だむ絵はがき」東條川観光開発協会宣傳部・発行と印刷されおり、裏側には、東條川ダム遊覧案内図が印刷されていました。
 ダムが建設されたのは東条川に注ぐ鴨川。終戦後、占領下の日本の食糧増産のために初めて建設された国営ダムです。その秘話はこのブログでも紹介してきました。
 ダムの名称も正式には鴨川ダムですが、この当時は東條川ダムの名称を使っていたのでしょうか。私達は子供の頃から東条ダムと呼んでいました。ダム湖も東条湖でした。まずは、表紙を紹介します。
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溝に落ちたクルミの実と葉ー10月1日の朝に

2021年10月02日 04時18分04秒 | Weblog
 

 10月になりました。昨日は幻想的な夕景を見ることができましたが、今朝は台風の影響なのか、空は厚い雲に覆われていました。
 外へ出てみると、西のコンクリートの側溝にクルミの実と葉が落ちていました。もう終わりかと思っていたら、まだ残っていたんですね。これで最後でしょうか。
 今年は例年より少ないように思いますが、それでも50個余りは拾いました。昔、テレビ時代劇で「素浪人月影兵庫」が放映されていました。役者の近衛十四郎が手にクルミを持ってこりこり鳴らしていたように思うのですが。手のひらには神経が集中しており、クルミの実を握ったりしていると、健康によいといった話もよく聞いていました。クルミにはそんな思い出もありました。2つを手にとってこりこりと鳴らしてみました。
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9月30日の夕景ー西の空低くたなびく雲

2021年10月01日 04時54分26秒 | Weblog
 

 9月も終わり。30日(木)の午後6時頃、すでに日は西の地平に沈み、たなびく雲がその光に映えて、異星のものかと思えるような景色になっていました。
 場所は中国道の滝野社インター辺り。台風16号の巨大な雲の渦のもっとも外側の雲なのでしょうか。
 明日から早や10月。コロナ感染がなければ、秋祭り、稲刈りのシーズンで、人々の心も楽しみで充たされるのですが。しかし、緊急事態宣言も解除され、リバウンドへの警戒をしながら、コロナの中での日常を取り戻していかなければなりません。
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