加東市社の市街地を北の方角へ歩いていくと、大きく下り坂になり、旧国道175号と合流して、家原の赤岸(あかぎし)交差点になります。
この赤岸に観音寺があり、赤穂四十七士の墓標があることで知られています。この観音寺に接して南側に墓地があります。この墓地の南端に大きな石碑があるのですが、それが写真の英霊碑です。
この墓地は家原の墓地ですが、英霊碑の裏には郷土から出征して戦没された軍人の名前が刻まれています。日清戦争1柱、支那事変3柱、大東亜戦争21柱の計25柱です。建立年は見当たりませんが、碑の前の階段の石柱に昭和二十八年九月建立と刻まれていました。講和独立の翌年にあらためて整備されたものでしょう。道路から階段を下りた墓地の入口にも石柱が建てられており、そこには大正十年五月建立と刻まれています。今は道路が高くなっていますが、この墓地の面が道路面であったと聞いています。
墓地では、毎年12月14日の義士祭に剣道少年団の試合も行われます。また、春には墓地の桜が見事に咲き誇ります、。そんな墓地の一角に英霊碑があるのです。
この赤岸に観音寺があり、赤穂四十七士の墓標があることで知られています。この観音寺に接して南側に墓地があります。この墓地の南端に大きな石碑があるのですが、それが写真の英霊碑です。
この墓地は家原の墓地ですが、英霊碑の裏には郷土から出征して戦没された軍人の名前が刻まれています。日清戦争1柱、支那事変3柱、大東亜戦争21柱の計25柱です。建立年は見当たりませんが、碑の前の階段の石柱に昭和二十八年九月建立と刻まれていました。講和独立の翌年にあらためて整備されたものでしょう。道路から階段を下りた墓地の入口にも石柱が建てられており、そこには大正十年五月建立と刻まれています。今は道路が高くなっていますが、この墓地の面が道路面であったと聞いています。
墓地では、毎年12月14日の義士祭に剣道少年団の試合も行われます。また、春には墓地の桜が見事に咲き誇ります、。そんな墓地の一角に英霊碑があるのです。