ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

加古川舟運のまち新町で、吉馬でも阿弥陀堂前で盆踊り  

2015年08月23日 18時30分21秒 | Weblog
        

             

 23日(日)、加東市新町、吉馬の2地区で地蔵盆の盆踊りが行われました。澄んだ空気が広がり、空には半月が光っていました。涼風が吹く心地良い夜の広場には、やぐらを囲む踊りの輪ができ、加東よしよし音頭や炭坑節、河内音頭など太鼓や鉦の音に合わせて多くの人が踊りを楽しみました。

 新町は江戸時代のはじめ、約400年余前に加古川舟運の川港の町としてつくられた町です。播磨内陸の米が加古川の港に集められ高瀬舟で河口の高砂まで運ばれたのです。新町には今も大正時代のはじめまで使われた舟着場の跡が残っています。踊り会場は集落の中心にある交流会館前の広場。そこから少し北に歩いたところに旧加茂村の役場の建物があり、その裏に地蔵堂があります。地蔵堂の境内には、わが子の健やかな成長を祈って名前の入った多くの提灯が下げられていました。、

 吉馬の踊りは阿弥陀堂前の小さな広場が会場でした。お堂は加東四国八十八ヶ所の第七番霊場であり、吉馬開発の祖、高瀬吉兵衛翁の記念碑があります。境内には北向き地蔵が祀られており、毎月21日には地区の人がお参りし、9月の彼岸には念仏講の高齢者と子供たちによる大数珠繰りが行われています。地域の歴史、信仰、心の拠り所となっている阿弥陀堂の前で三世代がそろい、今年も賑やかに盆踊りが行われました。
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地蔵堂で供養、横谷の盆踊り

2015年08月23日 05時23分23秒 | Weblog
 

 22日(土)、加東市横谷地区の盆踊りが行われました。日が沈む頃には地区の地蔵堂、グラウンドに役員さんや子供の姿が見られ、澄んだ空気のなか、涼しい風が吹きわたる心地良い夜になりました。
 横谷の地蔵盆の供養は毎年24日に行われていたのですが、現在ではその前の土曜日に行うようになったということです。午後7時30分、地蔵堂に地区の皆さんが集まり、般若心経をあげます。そこには先祖供養と横谷の繁栄を祈願する大切な伝統行事を守り伝えている横谷の皆さんの姿がありました。
 8時から下のグラウンドでやぐらを囲んでの盆踊りが始まりました。太鼓は地元東条を拠点に活動する夢工房の2人。先週の黒谷若宮八幡宮の盆踊りでも太鼓をたたいて盛り上げておられました。グラウンドには消防団員がたこ焼きやボールすくい、婦人会がアイスクリームなどの店を出し賑わいを盛り上げました。
 まだグラウンドがなかった頃は地蔵堂前の狭い広場で踊りをしていたそうで、多くの人出で混み合ったそうです。また、踊りを盛り上げようとかつての消防団員らが中心となってこうした夜店も出すようになった、とのことでした。そうした地区住民のまつりを大切にしたふるさとのにぎわいづくりの歴史があったことを知りました。その横谷地区も人口減少、少子高齢化が進み、今では小学生が5人、保育園児はいないという状況に「なっています。
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