ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

加東市の赤穂藩領地

2011年01月28日 06時30分49秒 | Weblog
 「刃傷松の廊下」のせりふの一節に「浅野五万三千石家来も所領も捨てての刃傷でござる・・・」とありますが、赤穂浅野家の領地は5万3千石でした。その内訳は、赤穂郡3万5200石(119ヶ村)の他に、加西郡8920石(33ヶ村)、そして加東郡(現加東市、小野市域)8201石(24ヶ村)、佐用郡1200石(5ヶ村)という構成になっていました。
 加東郡の領地のうち、現加東市域に23ヶ村があり、加東市は赤穂浅野藩ととても強い結び付きがあるということです。加東市内の村名を挙げると、上三草、下三草、牧野、曽我、多井田、北野、穂積、○垂水、○窪田、○中村(上中)、○北村(喜田)、○梶原、木梨、○家原、○鳥居、○田中、○貝原、河高、野村、上田、○福吉、大門、○沢部の23ヶ村にのぼります。このうち、○印の11ヶ村は家原浅野家に分知されました。
 加東市家原の観音寺に赤穂義士の墓碑が建てられたのもこうした浅野家の領地だったという経緯があります。
コメント (2)
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