現実を味方につけよ

今までに出逢った「真実」を伝えていきます

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世界は自分の内側にある

2010-02-01 13:58:02 | 日記
絶好調です。
幸せ、幸せと言っているとあまり顔の知らない人にまで「こんにちわ」とか話しかけられるようになった。
職場のある人にも「百式くん、今日も最高の笑顔してるね。」といわれる。

世の中がこんなに楽しいものとは思わなかった。


これ実は誰でもなれるんです。
矛盾した考え方をやめればいいんです。






ごきげんだからうまくいく!
(坪田一男)より




ごきげんでいるためには「人生で成功しなければならない」とみんな言う。
成功して初めてごきげんになるという。
本書はこの常識に挑戦する。



僕の仕事は大学の教授である。
眼科学を教え、患者さんの診察にあたる。
自分自身がドライアイという病気なので、ドライアイを撲滅するのが僕の夢だ。


病院にいけば拒絶反応で再手術しなければならない患者さんが待っている。
(なんで治らないんだろう・・・)

家では「急に家にお客様を連れてくるのはやめて」と怒られる
(父の威厳はどこにあるんだ)

1998年に文部省へ出したドライアイ研究費の申請を却下したのは、僕の友達である。
(あんちくしょう)

今年のスキーでは腰を痛めて、今では10分以上立っているともう我慢ができないほの腰痛もちになってしまった。
(この腰痛さえなければ人生快適なのに)





いろいろな問題に囲まれていながら、それでも僕がごきげんなのは、最初からごきげんを選択しているからなのだ。
晴れようが雨が降ろうがごきげんを選択するのだ。
毎日、毎時間、毎分、毎秒、生きている間中ず~っとごきげんをせんたくするのだ。

「あの人はあんなに素敵だからごきげんなのよね」というストーリーはもうやめだ。
あんなに素敵なのはごきげんを選択した結果なのだ。


リンパ球の研究から面白いことがわかってきた。
外側からの同じシグナルに対して細胞が2つの選択を行なえるという画期的な発見だ。

今までは同じシグナルに対しては同じ反応が起こると信じられてきたのに、細胞の状態によって反応が変わる。
同じ刺激がやってきても自分の状態によって反応が変わるのである。
T細胞という身体の免疫をつかさどるリンパ球は、細胞の状態によって元気にもなるし、抑制されることもわかってきた。

細胞内のシグナルトランスダクションつまり信号伝達経路が細胞によって違ってきてしまうのだ。





今日は手術がうまくいったから、ごきげんだ。
今日はほめられたから、ごきげんだ。
試験は100点だったので、ごきげんだ。
試合に勝ったから、ごきげんだ。



「なになにがうまくいったので、ごきげんだ」
という図式には致命的な欠陥がある。

だって毎日100点取れるわけじゃないし、試合にいつも勝てるわけじゃない。



この考え方ではいつでもごきげんでいることはできないのだ。

・・・いつでもごきげんで過ごすことはできないって?

じゃあ、ちょっとまわりを見回してみよう。
いつもごきげんな顔をしている人が1人や2人はいるはずだ。


いつもにこにこ笑顔がたえない女の子。あれいつのまにか誰かとゴールインしちゃったよ。
いつもにこにこ笑顔がたえない部長。いつのまにか取締役に出世した。

どうもごきげんに生きている人は成功しているらしい。
これは成功したからごきげんなのか?それともごきげんだったから成功したのか?
本書はきっぱり宣言する。






みんなごきげんだったからうまくいったのだ。
ごきげんは自分にとってばかりでなく、まわりに対するメッセージにもなっている。

笑顔で返すか、怒って返すか、もう習慣の問題だ。
怒った顔は、自分でも怒っていることがわかってしまう。
自分の中で「怒っている」というレセプターからシグナルが入り、怒られているのと同じくらいに不快な気持ちになるのである。

ある物質がサイトカインを出すと、相手ばかりでなく、自分もその刺激を受けてしまう。
こういうシステムを細胞生物学では「オートクライン機構」と呼んでいる。

人を励ますと自分も励まされるし、人をけなせば自分もけなされた気持ちになる。
これは細胞内で実際に起こっていることだが気づいていないだけだ。


本書は、ごきげんになるには今まで言われていたような「経済的成功」とか「地位」などの社会的尺度は関係ないと断言する。
人はえらくなったり、経済的に豊かになったりすればもっと幸せに、もっとごきげんになるという幻想を抱いている。
それは間違いらしいのだ。


①もう半分夏休みは終わってしまった、寂しいな。
②まだ半分も夏休みが残っている、わーい。



現実に変わりは無い。
でも解釈は自由である。
そして解釈を変えることによって、その次のステップが変わるのだ。

「疲れた」という表現だと自分が義務のように仕事をした気がする。
しかし「充実した」という表現を使えば納得感が出てくる。




昔、京都で飲んでいたら、隣のおじさんたちが会話していた中でこんな話がある。
どうも養漁業を経営している人達のようだ。

「俺はこの前気づいたんだが、あの海の生け簀を四角にしていると隅っこで遊んでいる魚がいやがる。
他の魚は丸く円を描いて一生懸命泳いでいるのに、遊んでいるとはけしからんやつだ。
この前せりに出したら、俺の魚はちょっと脂が乗りすぎてしまりがないと言われちまった。
きっとあそこで遊んでいるやつがえさばっかり食べやがって、休んでやがるから俺の魚はデブだと言われちまうんだ。
もっとしまりのいい高級魚を育てなきゃいかん。

そこで俺は考えた。丸い生け簀を作ればいいんだよな。
ぐるぐるさかなが泳いで、隅っこがないから休んでもいられない。
みんなひきしまった高級魚になるっていうもんだ。
俺はパテントまで申請して丸い生け簀で勝負しようと思ったわけよ。」



僕はなんか面白くて、おじさんの会話に引きずり込まれてしまった。
おじさんも聞き手がいるので弁舌さわやかって感じに盛り上がった。



「ところがだ。丸い生け簀にしたらどうなったと思う?
魚がみんな死んじまうんだ。
どうもずーっとは魚も泳げないみたいだな。少しは休みってもんがないとダメなんだよ。
だからまた四角い生け簀にしたんだが、やっぱり隅っこで遊んでいるやつがいる。
今までなら、このやろうもっと泳げ、と思っていたんだが最近は
まあ、お前もちょっとは休めよ、なんて思ったりしてな。面白いんだ。」


この話を聞いた時、日本の社会が丸い生け簀でみんなが休み無く泳ぎ続けているイメージが浮かんだ。
これはやばい。
魚じゃ無いけどみんな死んでしまう。はやく四角い形にして隅っこで休まなきゃ。

僕たちはちょっと前の世代から「もっと勉強しろ」「もっと仕事しろ」「休んでいちゃいけない」なんていう社会的メッセージをもらってしまった。

そろそろ休みのイメージを変える時が来たと思う。

人生は思ったことが現実化する。
これは事実だろう。







ある時ふと、卒業して何年たつんだろうという思いがよぎった。
19年だった。この瞬間に恐怖が自分を襲った。
こんなに時間が早く流れてしまうなら、次の19年もあっという間に過ぎてしまう。

僕は今43歳だからあっというまに62歳である。
どうしてこんなに時間がたつのが早いのだろう?
その時、僕は自分の持っている文章に気づいたのだ。

「人生は短い。だから思い切り好きなことをしよう。」
この考えが僕の元になっていた。すると僕の人生が短いのは当然だ。
なぜなら自分から「人生は短い」と決めているのだから。


そこで僕はすぐに文章を変更することにした。
「人生は長い。だから思い切り好きなことをしよう。」
するとすごいことが起きた。
翌日がものすごく長く感じたのだ。

「今日はどうもいつもと違う。今日は一日が長い。」
会う人ごとにこの話をした。僕のまわりの仲間は何回この話を聞かされたことだろう。
そうやって自分の頭の中にある文章を書き換えているのだ。



自分が小学校の時、掃除を思い出してみて。
いやだな、掃除なんて早く終わらないかな。
どうせ女子が一生懸命やってくれるから適当にやっておこう、なんて不機嫌にやっていた。

ところが面白いことがあった。

友達の青井くんと松井くんが床ふきの競争をはじめたのである。
こうなるともうめちゃ一生懸命やる。
つるつるになるまで磨く。
僕も興奮して磨く。なんて楽しかった思い出だろう。
別に誰が一生懸命やれといったわけじゃない。表彰されるわけでもない。

でもなんか楽しかった。

「なんでもおもしろくできる。」「掃除だって面白い。」
面白いものとは実行する対象にあるのではない。
自分自身がどのようにその対象と関わるかで決まってくるのだ。

すべての価値観は自分の中に存在する。











大学の中で出会った人物がいる
その人は4浪?して大学に入ったらしい。

しかし、落ち込んだりあせったりしている様子はない。
むしろたえず素敵な笑顔であり、体からは光が溢れていた。

「ああ、この人は幸せなんだろうな。」とすぐにわかった。
そして私のように幼い頃に親から愛されなかった人間とは違うから、合わないだろうなと思った。


愛されなかったというとなんだか悪い親のように聞こえるけどそうじゃない。
いわゆる「条件付の愛」だった。


頑張れば認めてくれる。
テストでいい点取れば認めてくれる。
いい学校に入れそうだったら認めてくれる。

そうでない時は、口には出さないけれど
「もっとちゃんとしろ」という無言のメッセージがあった。





私は心から休めたことは無かった。
いつも他人の評価を気にして生きなければならない。
いつも自分の限界を出していなければいけない。

こんな状態でどうやって心安らかになれるというのだろう。
愛されて育った友人がうらやましかった。





頑張って頑張って・・・

なにが欲しかったのか?




「よくやった」
この一言が欲しかったのだ。

親のこの一言が欲しくて必死になって頑張った。

そして成果をあげると親はこういった。
「次も頑張っていい成績とりなさい。」

いつまでたっても「よくやった」の一言はもらえなかった。
私は親に愛されていないととらえた。
世の中にも愛されていないととらえた。

いつしか世の中をナナメに見るようになっていた。






徐々にに心が曇っていった原因はこれだけど、今ではそれでよかったと思えるようになった。
親から愛されなくて育った感受性の強い人は、いわゆる神経質な人間になる。
人の迷惑を顧みず、「自分がどう見られているか。自分がどう思われているか。」ばかり気にしている。

人と会えばずっと緊張が続き、新しい人と接するのを恐れる。
ずっとそうやって生きてきたけれど、言葉を変えたことで世界が変わった。
心が変わった。

世の中というのはどんな解釈でもできる。
世間が冷たいんじゃない。

世界は自分の外側にあるんじゃない。








世界は自分の内側にある。
すべては自分の内側にある。

その内側の世界こそが「どうとらえるか」ということであり「解釈の仕方」だ。
この内側の世界は変えることができる。


言葉に出して言えばいい。
独り言でもいい。
会う人会う人に言うのでもいい。

教育や社会の常識というのはイルミナティが押し付けたものであり、そんなものに振り回されてはいけない。





「他人より優秀でなければいけない」「他人と競争して勝たなければならない」
「成功しなければならない」「効率を優先して仕事しなければならない」
「まわりと同じようにできなければいけない」「努力しなければいけない」










誰がそんなことを決めた?
イルミナティだ。








イルミナティの手先である学校やマスコミや新聞・テレビが我々の価値観を書き換えてきた。
・・・何のために?

「自分たちだけが人間で、他の民族は奴隷にするというイルミナティ・ロスチャイルドの目標、ニューワールドオーダー」のためだ。



私の親だって親戚だって、ず~っと騙されてきたんだ。
それを信じてただ子供に伝えてきた。


生まれてからずっと同じ価値観を押し付けられて、それが唯一正しいことだと思わされてきた。





イルミナティのことを見切った今、もはや銀行家の洗脳は通用しない。
世界は変えることができる。
そのためには、自分の中にある言葉を書き換える必要がある。

そしてそれはいとも簡単にできる。
内側の世界が変われば外側の世界も変わる。

世の中のすべてのものは自分の中にあったのだ。











ある人が道を通りかかると、レンガを積み上げている職人さんが3人いた。
最初の人に何をしているのかたずねる。


「見ればわかるでしょ。レンガを積み上げているんだよ。」
1人目の職人さんは話している時間も惜しいとばかりに仕事に戻った。


2人目の職人さんにもたずねた。
「私は塀を作っているんですよ。きちんとまっすぐに作らないと。」


3人目の職人さんにもたずねた。
職人さんは、にこにこしながら答えた。
「私は教会を作っているんですよ。ここに教会ができたら素晴らしいだろうな。たくさんの人が来るようになるんですよ。」



3人の職人さんは同じことをしているにも関わらず、やっていることのイメージはまったく違う。

自分の行なっていることにどのくらいロマンを与えられるか?
自分の人生にどんなストーリーを思いつけるか?

思いつく限りの楽しい解釈は、自分自身ですることができる。








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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2018-07-23 14:15:02
何故そうなる
イルミナティだけではなく、みんなで決めてしまった
そうではない
一番になる事もその過程も一番になれなかった者たちも全て必要
そしてそれらは全て平等
世界は自分の内側と外側にある
そして私たちには宇宙がそれぞれひとつずつ用意されている
それが重なり世界をつくる

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