やまちゃんのおっさんぶろぐ

あくせくしなくなって来た団塊世代のおっさんの新米ブログVer.3

台風一過の富士山

2009年10月08日 19時58分10秒 | 富士山
雨風が強く弱く夜半より続いていたが、明け方より風の音がゴーっと言う音に変わった。


7時前、安倍川に架かる橋の上ではどこかの局のカメラマンたちが増水し始めた川を風に逆らいながら撮影している。


9時過ぎ、は長野県地方に進んだらしい、窓より太陽の光線が飛び込んできた。


昼休み前、まだ富士山は雲に隠れ見えないが雲の動きは早い。





昼過ぎには日本平の上空は雲一つない青空に変わっている。


 



3時過ぎには富士山もきのうの初冠雪の雪は消え、夏富士の姿を見せている。







山の右の中間に見えるのは朝霧のハングライダーの飛行姿か?



今日は夕焼け富士を見たかったが富士山は赤富士にかわらなかっった。





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携帯電話と名の付く物

2009年10月08日 04時30分02秒 | 我が家のオブジェ
まだ高校生になりたての頃、テレビでは外国ドラマで”ナポレオンソロ”なるスパイ映画が放送されていた。



劇中、ロバートボーン演じる”ソロ”とデヴィッド・マッカラムが演じる”イリヤ”がポケットからタバコケース状の物を出し話をしていた。



想像の映画だったがその機械に憧れた、それから10年過ぎ家庭ではようやく固定電話機が普及し始めた。



むかし、昔といっても33年前新製品が市場に出てきた、その名は”携帯電話機” 本皮で出来たショルダー電話機だった。





何と製造番号1番、昭和51年1月製、携帯電話機名1号。

                          





携帯電話といっても重さは4kg近くあり、携帯はするけど電話線は繋がなければ話ができない代物だった。



必要な時、携帯電話機に戦場に通信線を引くように長い電話線を敷設して接続し、



呼び出しハンドルを回して相手と繋いで通話した。







電話局の線に繋げば、自動式(現在)の場合はジーコンジーコンとダイヤルを回せば話が出来て、
                                     

                                        



                                      

交換手さんがいるときは繋いで交換手さんに〇×さんへ繋いでと言えば話ができた。



それから十数年初めてやまちゃんが電話線のいらない携帯電話機を支給された時は自動車電話に、



盗難損害保険が掛けられ、携帯電話はポケットに入る当時のステータスシンボルとなり、



街中で携帯電話を使うことで廻りの目線がこちらに向く事が自分にとってエクスタシーだった。



進歩のスピードは速く数年後には携帯各社が誕生し、PHSが出来てモバイルと言う言葉が当たり前になった。


10年で今や携帯電話機とはいわない形に変化している。





外部アンテナ付き(11年前)

  3年前(ぶ厚い)



いまは電話のほか、ゲーム、GPS、お財布、MP、パソコンなどとして使われ、現代必携のツールだ。

”今の携帯電話”       






もう”ターミネーターの時代”にすでに突入している。




もうついて行けないという人”ぽち”                  

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