『意識の探求』第九章から下巻へと進む。後半はいよいよ記憶や意味、時間意識など脳機能の主要問題について詳述される。
第十二章では私たちの脳は、自分の意識に上らせることなく、実に多くの情報を処理していることが示されている(これを著者はゾンビ・システムと呼んでいる)。私たちは意識せずに外界の情報を処理して、行動系へと出力している。例えば、目で目標を追跡したり、姿勢を制御したり、夜の暗闇を歩いたりなどなど。さらに続く章では、特定の部位の脳障害により失認agnosiaと呼ばれる認知機能障害が起こることを例示している。これは他の脳関係の本にも出てくるが脳の不思議さを実感させられるところだ。第十四章では意識の機能という問題に触れられている。人間が意識を持つということには何らかの進化論的に有利な点があったに違いないというわけだ。ここで著者は、NCCは外界の状況を簡潔に要約することが重要であると述べ、この要約作業時に主観的感覚、クオリアが付け加えられるのだろうと考えている。大量で雑多な外界の情報を適切に取捨選択して、適切な行動をとる(進化論的にみて有利性があるということだから摂食や逃避、攻撃、生殖といった基本的行動がまず大事なのだろう)上で、意識がある方がないより有利ということだろう。この要約にクオリアが付随し主観的意識に上ることで外界の状況によりメリハリがつくという考え方は面白いと感じた。意識が脳機能の単なる随伴現象にすぎないと述べる哲学者もいるが、こうした解釈なら主観的意識にきちんとした意味づけができるからである。大量の文書に重要箇所にラインマーカーで線を引いていく作業みたいなものだろうか。線を引いて目立たせたところがありありと浮かび上がるように、質感を伴う外界の印象は、特に重要な外界情報であるということだと言える。人間の場合は大脳が極端に発達して、生命維持に不可欠なこと以上のことを考え、感じることができるようになったから、この質感というものの重要性が逆にぼやけてしまっているのかもしれない。同じくこの章では「意味」(志向性)の問題が考察されている。ここでは意味の起源として、1)遺伝的傾向、2)経験、3)知覚様相内あるいは様相間でのデータの統合を上げている。これらの生物学的基盤にあるのがニューロンの連合であり、「意味」とは、「勝利したニューロン連合が引き起こす、ポストNCC活動、すなわち、ニューロン連合からの出力を受けているニューロン活動の一部である」と推論している。こうしたニューロンに接続している周辺部ニューロンが内包的あるいは外延的「意味」と関係しているのだろう。そう考えると言葉どうしの意味には、ニューロンの活動の電気的な差異しかないという意味で、存在するのは(ソシュール的な)「差異」だけだということにあるが、中核に活動するニューロンが存在するという意味では、存在するのは単に「差異」だけではないといえる。
著者は科学者として、意識の問題について取り組む哲学者を評して、すぐれた問いをたてるが、提示する答えにはまどわされないようにするのがいいだろうと述べている。このあたりは、自然科学と哲学の溝を感じさせる。五年をかけて書いたというだけあって、なかなかの力作である。今分かっている事実は何で、著者の仮説は何かという点をはっきりとさせて論じてあり、各章末にはまとめがついており、巻末には専門用語の簡単な解説もついており、読み返すのに便利である。第二十章は、著者と架空のジャーナリストとの対話という構成になっており、ここから読み始めたほうが分かりやすいかもしれない。