烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

ヘロドトスとトゥキュディデス

2006-08-18 22:21:20 | 本:歴史

 『ヘロドトスとトゥキュディデス』(桜井万里子著、山川出版社刊)を読む。いわずと知れた「歴史家」二人のモノグラフであるが、当時は当然かもしれないが「歴史」というジャンルはなかったと著者も断っている。ちょうどガリレオの時代に「科学」はなかったように。それでも「両者はともに新しい一歩を踏み出そうという意気込みをもっていたことも間違いない」だろう。それを感じ取っていたのか、後代の哲学者アリストテレスは、「歴史家はすでに起こったことを語り、詩人は起こる可能性のあることを語るという点に差異がある」(『詩学』)と述べた。
 後輩のトゥキュディデスがヘロドトスを批判したのを著者は、「先輩を乗り越える後輩の苦闘だった」ととらえ、トゥキュディデスの中に後世の実証的歴史学の端緒をみとめている。
 私はというと、この本の中で紹介されているヘルメス柱像損壊事件のエピソードに興味を惹かれた。前415年のシチリア遠征を前にアテナイ市内にある多数のヘルメス像が一夜にして破壊されるという事件を巡って、その真犯人を探し当てるべく密告が奨励された。その結果同事件の容疑で捕らえられたアンドキデスという男が犯人の名前を密告した代わりに免責特権を得て釈放される。彼はその弁論の中で、自分は不本意ながら密告したこと、犯人の名前と彼らを密告した人々の名前を述べた。そこで犯人を密告した人物が、アンドギデス以外は、奴隷四名、在留外人、女性であったという。市民として政治活動を行っていたのはアンドギデスのみで、ほかは市民として認められてはいなかった。
 密告という制度があり、しかもそれを行うことを期待されていたのは、非市民である奴隷や女性であったということである。そして重要なのがギリシアのポリスの政治制度がそうした非市民の密告者制度とともに成り立っていたということだ。



 市民たちにとって、とくに、社会的エリート層に属する市民にとって、密告はできれば避けたい、恥ずべき行為であった。それゆえ非市民である在留外人、奴隷、女に密告者の役回りを押しつけたのである。奴隷や在留外人、女性は政治に参加できなかったとこれまでいわれてきたし、それは制度のうえで間違いではない。しかし、そのような参政権をもたない人たちが、ここでは鍵となる行動をとらされている。


 アテナイの民主制の巧妙な二重構造(政治に参加する市民が非市民を政治から排除しつつも、密告者の役割を付与することによって民主制度を成り立たしめていたという構造)は、排除されているものが実は制度の中核にありうるということを示している。一般に制度というものを批判する上で見落としてはならない大事な視点であろう。