田中秀臣の「ノーガード経済論戦」

田中秀臣の「ノーガード経済論戦」

量的緩和解除以後の日本経済

2006-03-07 | Weblog
 80年代後半のバブル形成、そして90年代のバブル崩壊から「失われた10年」といわれる時期を経過して世紀をまたいだ日本経済の大停滞は今日明らかに転換点を迎えている。

 日本の経済的な停滞の主要因が日本銀行の金融政策の失敗にあり、事実上の株価、地価、そして為替レートの動向を重視する資産価格ターゲットを採用していることがその「失敗」の内実である。そして財政再建路線を重視する財務省(旧大蔵省)の財政緊縮や不良債権問題を伴う金融システムの不安定化は、この日本銀行の政策失敗に付随する二次的な経済悪化の要因であった。そしてこのような日本銀行の政策の失敗は多くの論者の指摘することになり、いまでは一定程度の理解を獲得することになっている。

 他方で、日本経済は一時期のどん底から回復し、長い景気回復局面にある。失業率も一時期の5%台真ん中から4%台まで減少し、銀行の不良債権問題は事実上消え去り、消費や設備投資なども堅調に推移している。これらは日本経済の停滞を象徴している大規模なGDPギャップが明らかに縮小に向かっているシグナルともいえる。一部のマスコミやエコノミストたちはこの景気回復を「神武景気」以来などと表現しているが、最悪期で150兆円に達したGDPギャップがようやく縮小に向かった“だけ”であり、これらのエコノミストたちの景気への認識は徒な誤解(景気の過熱?)をもたらすだけに安易なものである。しかしいずれにせよ日本経済は現状では最悪期を超えているのは事実である。

 そして日本銀行を中心とする「政策の季節」を私たちは迎えている。8,9日にある日本銀行の政策決定会合において、5年ぶりに日本銀行のいわゆる量的緩和政策(日銀の当座預金残高をターゲットにした金融緩和政策)を解除するという観測が強く、市場やマスコミを含めてほぼ確定事項となってしまっている。日本銀行が量的緩和政策の早期解除を本年の4月に行い、その際に批判が強ければなんらかの量的な指標(インフレ参照値と呼ばれるもの)を導入して行うことは、一部の“親日銀派”のエコノミストたちが昨年の夏ごろから口にしていたことである。

 ところで先に簡単に述べたいが、いわゆる「インフレ参照値」とはなんなのだろうか? 私はこの「インフレ参照値」の導入をすすめるエコノミストは“偽り”であることを自ら公言し、日銀がこれを述べることは随意な裁量政策と無責任主義の反映を自ら表明しているとしか思えない。なぜなら言葉通りならば、金融政策でインフレ率を「参照」するという凡庸な中央銀行に求められるごく当たり前のことをいっているだけなのか? もしそうならば確かに日銀にとっては画期的なことなのかもしれない。なぜなら先に述べたようにわが非凡なる日本銀行はこの10数年もの間、どうも資産価格をターゲットにした政策を運営してきたように思えるからだ。とはいえ、当たり前のことを当たり前ならざる組織に実行させるにはやはり強制もしくはなんらかのインセンティブデザインが必要であろう。しかし「インフレ参照値」には実際にはそのような工夫はない。参照するかしないかの強制もインセンティブデザインもなければそのような参照は本当には行わない(いままでも行ってきたとはいいがたいためそのような行動を採用するインセンティブは不在)というのが経済学の常識であるし、また世間の常識でもあろう。

 今回の量的緩和解除にはこの「インフレ参照値」に類した試みが喧伝されるに違いないが、いずれにせよ現行の日銀法にはインフレ率を重視する、すなわち現在であればデフレを問題視するインセンティブ構造が決定的に不在である。そのようなインセンティブなき「インフレ参照値」を声高に主張するものは、日本銀行に捉われた亡者であるか、少なくとも経済学の理解には遠い。(続く)