やなぎのブログ

何かネタになるような出来事があったら、日記代わりに書きます。HPと掲示板も併せてご覧ください。

4月7日(土)~9日(月) 被災地復興支援ドライブ

2012-04-09 23:55:56 | Weblog
タイトルは偽善が入っているかもな。きっかけは今年3月11日、中日新聞の朝刊に「奇跡の一本松」の写真が掲載されたのを見て、倒れる前に見ておきたいな、と思ったのだ。7万本が津波で倒れて、1本だけ残ったというのはまさに奇跡だ。何か神秘的な力をもらいに行こうと思った。

盛岡に友人が住んでいて都合を付けてもらったので、一関と陸前高田の間の往復は同行してもらった。

もちろん、写真を撮ることは不謹慎かなぁとも思う。そこで、撮らせてもらう代わりに市役所に行って義援金を渡すこと、現地で土産を買ってくること、騒がないこと、を決めてから向かった。

しかし今回は、「ツイていない」ことが何度かあった。罰が当たったのかな…。

7日は従兄弟の結婚式が入って、夕方5時前に帰宅。仮眠してから家を出たのが20時45分頃。今回は上信越、北関東道経由で東北道を目指す。まずはいつも通り、駒ケ岳S.Aまで走る。23時前に到着。僕は大体2時間走ると休みたくなるので、2時間ごとに休憩することが多い。上信越と東北は「ユキイロ.com」でチェックしたら「雪のため80キロ規制」という表示があって、ノーマルタイヤのゴルフで行けるのか不安はあった。チェーン規制は無いみたいだ。岡谷JCTから長野道に入り、更埴JCTから上信越道に入った。姨捨の夜景はやはり綺麗だった。東部湯の丸S.Aで2回目の休憩。これが1時15分くらい。遅い夕食、ラーメンを食べた。まだ仮眠は必要なさそうなので、もう少し先に進むことにする。

藤岡JCTから関越道を少し北上し、高崎JCTから北関東道路に入る。怖いので、僕は対面通行の高速は走らないようにしている。北関東道路は新しい道路なのに全線で片側2車線あって助かる。スバルのミーティングの時には途中までしか開通していなかったのだけど、今では東北道に接続している。ちなみに今回は、行きは終始80キロ前後で、帰りは夜間は70キロ前後、昼間は80キロ前後をキープして走った。

波志江P.Aで休憩。3時10分に入り、4時25分に出ているから、ここで1時間弱、仮眠したんだな。岩舟JCTから東北道に入った。ここからが、いつも長い。東北道に入ると、震災の影響が見られた。路面のいたるところに結構大きな窪みができていて、注意しながらよく見て走った。そして、遮音壁は所々崩れていた。路肩に段差ができているところもあった。そして雪が舞うくらい寒い。仮眠のときは大変だった。基本的にエンジンは止めて寝るので、凍えながら寝た。5時40分、上河内S.Aに到着、朝食を食べた。といっても、宇都宮名物の餃子を食べただけ。300円なり。睡魔に襲われたのか、すぐ那須高原S.Aに入った。那須高原S.Aを出たのが8時10分。ゴルちゃんもお腹が空いたらしいので、国見S.Aに入った。9時40分から、10時まで滞在。ちなみにここまでの走行距離が662キロ、給油量が40リットルちょうど。てことは、燃費は16.55くらい。記録更新はならなかった。コーヒーのせいかトイレが近くなり、泉P.Aに立ち寄る。5分滞在。ここで前輪の空気が少なそうに見えた。次のS.Aでチェックしよう。11時16分に長者原S.Aに入った。ここでは歯を磨いた。これから友人に会うのに、餃子を食べたままでは失礼に当たる。歯ブラシセットはちゃんと持ってきたのだけど、タオルを忘れたため、顔を洗ってもハンカチで拭かなくてはならなかったのが痛い。これが1つ目の失敗。トイレを済ませ、歯を磨き、エアチェックは問題なし。11時40分にS.Aを出た。そして一関I.Cを出たのが12時7分。漠然と考えていたプランでは朝の8時頃には一ノ関駅に着いていたかった。大幅な遅れ。

友人と合流し、12時25分に陸前高田に向かって走り出した。国道284号をひたすら東へ。信号の少ない快適な道だ。そしてこういう道ではいつも決まって、地元の車に追いかけられる。カーナビの無いゴルちゃんは、いつも大事なポイントだけネット地図をプリントアウトして持ってくる。友人に見てもらったら、ちょうど45号に入るややこしいところだった。危うく気仙沼駅に入り込むところだった。トンネルを抜けてふと横を見たら、陸に打ち上げられた大きな船が見えた。時間があったら帰りに寄ってみたい。海沿いに45号を北上し、気仙中学校の手前を右に入ったところにある空き地に車を止めた。ストリートビューで見つけた撮影ポイントだ。ここから一本松が見える。それが上の写真。13時40分。クレーンが変な具合に重なっているけれど、松とは離れた場所にある。帰宅後に気付いた。

どこまで松に近づけるかわからないのだけど、とりあえず車で向かってみる。一旦松の前を通り過ぎて、キャピタルホテルの前を通過。団地の前に一旦止めて、写真を撮る。5階建ての団地の4階まで津波が来ている。車から降りたら、辺りには異臭が漂っていた。見渡す限り瓦礫の山だから、どうしようもない。写真を撮っていたら地元の人から叱られるかと怯えていたのだけど、他にも同じような感じの人はちらほら見えた。もっとも、ポーズを取るべきではないな。それにしても、現場に来て初めて感じられる凄まじさ。言葉が出ない。

一本松の近くまで入っていく車が見えたので、真似してみた。関西のナンバーの車もいた。歩けば松のそばまで行けるのかも知れない。でもここでいいや。ゴルちゃんと松を入れた写真を撮れたから、次の場所に移動する。ちなみに、近くにあるクリーム色の建物がユースホステル。キャピタルホテル1000は千昌夫が関係しているらしい。整理できたらHPに載せる。



陸前高田市役所を見に行く。消防署の前を通って、交番を横目に、市役所の前に到着。市役所は何とか形が残っているけれど、向かいの市民会館は大きく形が変わっている。スーパーの「マイヤ」高田店も無残な姿だ。通れる道を探して西に向かい、340号を北に向かう。少し走ったところに、市役所の仮庁舎がある。日曜日だから、もしかすると誰もいないかもしれない。そう思って駐車場に車を止めた。2階には明かりがついているし、入口のドアは問題なく開いた。中には職員が2名いて、そのうちの1人に「義援金を持ってきた」と伝える。箱に入れるだけかと思っていたのだけど、ちゃんと書類を書いてくれて、一本松の写真が印刷されているクリアファイルをくれた。陸前高田だけを応援するわけではないけれど、市内の写真を撮らせてもらったお礼に、不謹慎な行動に対するお詫びに、1万円を渡した。僕の住所や名前を記入したら、対応してくれた女性職員は、「名古屋から来たのですか。名古屋の方々にはお世話になりました。」と話してくれた。そういえば、名古屋市の職員が派遣された話を、僕も聞いたことがある。頑張ってください、と伝えて市役所から出た。



陸前高田の「ゆるキャラ」、「たかたのゆめちゃん」グッズを扱っているのが、340号を北に行ったところにある、「川の駅よこた」。そこで昼でも食べようと思って、そして現地で土産を買えると思って、行ってみた。思ったより遠かった。ラーメンでも食べるかと思って食堂に向かったら、ドアのところには「今の時間はソフトクリームのみ販売しています」と札が下がっている。ん?と思って営業時間を見たら、ラストオーダーが14時半。今は何時だ?。時計を見たら、14時35分だった…orz。2つ目の失敗。ここでドラレコのデータを持ってきたノートPCに移そうと思っていたのだけど、それもできず。仕方ない。ランチは諦めて、土産だけ買っていこう。自分と家族に、菓子とか湯呑みとか、色々買った。友人と相談し、ランチは一関に戻ってから食べることにした。あまり長居はできないので、陸前高田を後にすることにした。次に来るときには一本松は無いのだろうか。かつての松原の景観に戻るのは、まだだいぶ先の話かな。



来るときに通った道を走る。45号の途中、鹿折唐桑のあたりで、来るときに見えた大きな船を横目で見た。そのまま通過するつもりだったのだけど、せっかくすぐ近くに来たのだから、と急遽予定変更。国道の脇道に入って迷走し、打ち上げられた大きな船の横まで行ってみた。旗を持った団体さんが来ていた。被災地ツアーか?。船の前でポーズを取って写真を撮っている人もいたが、あれはどうかと思う。いや、僕も同じか。他人のことを言える立場じゃないな。道路沿いに立て札が立っていて、車から走りながら見たのでよく見えなかったが、「震災の象徴」とか「配慮して撮影してください」というような文言が見えた。船の西側が開けているので何だここはと思っていたら、どうやら駅があった場所だということに友人が気付いて教えてくれた。「ししおりからくわ」と読むらしい。今、ストリートビューを見たら、駅舎は一部は残ったようだが、解体したのだね。巨大な船はそう簡単に撤去できないのだろう。地元の人にとっては恐怖を思い出してしまうだろうから、早く撤去してあげて欲しい。時刻は15時半、一関に向かって走り出す。



一関市内のファミレス「まるまつ」に入ったのが17時。かなり遅いランチだ。ここで3つ目の失敗。ノートPCにドラレコのデータを移そうと思って電源ON。…、あれ?、うんともすんとも言わないぞ?。今日のために、久しぶりに起動してアップデートをやって準備万端だと思っていたのだけど、どうやらバッテリーが寿命らしい。家で試したときにはACアダプタを使っていたから、バッテリーが使えるかどうか、試していなかった。データの移動は諦めた。ゴルちゃんの後ろに置いてある予備のドラレコに差さっている16GBのSDカードを差し込んでみたが、記録されている別の形式のファイルがいけないのか、上手く認識してくれなくて、フォーマットすらできなかった。4GBのSDカードを差し込んで走ることにした。2時間しか記録できないじゃんorz。

一ノ関駅で友人と別れる。ここまで同行ありがとう。久しぶりに会ったので、懐かしい話もしながら、退屈しないドライブができた。さぁここからは一人だ。疲労との闘いだな。一ノ関I.Cを入って南に向かい、すぐの金成P.Aに入る。仮眠もして、19時55分まで滞在。帰りはドラレコに記録が残らないから、携帯のメモや手書きのメモで時間とか立ち寄ったS.Aなどをメモしながら走る。夜は道路の陥没なんて見えやしない。安達太良S.Aで休憩。豚骨ラーメン650円なり。ここで給油。32.2リットル入って、走行距離は511.2km。燃費は15.8くらい。ウォークマンも飽きたので、ラジオを聞きながら、気力で走る。

北関東道路に入るときにハプニング。ちょうど岩舟JCT辺りで急に目が痛み出した。両目が痛いが特に右目。何だろうこの痛み、ヒリヒリする感じで目を開けているのも辛いほど。それも急に痛くなるのだから怖くなってしまう。まともに寝ていないせいで、目を酷使しすぎて、視力を失ってしまったらどうしよう…。次のP.Aまで耐えられるか。それとも一旦次のI.Cで降りてしまうか…。片目をつぶったり薄目にしたり、もがきながらトンネルを越え、I.Cを超え、やっとの思いで出流原P.Aに到着。車を止めて、すぐに目薬をさす…、あれ?、出ないぞ。これが4つ目の失敗。持ってきた目薬、ちょうど切れていたorz。大事なときに限ってこれだもん。トイレに行って、洗面所で顔を洗う。そして、しっかりとした仮眠を取る。あまりに寒いため途中で目が覚めて、そこからエンジンをかけて暖房を付けてまた寝た。寝ぼけてアクセルを踏み込んだりしなくて良かった。1時40分にP.Aに入って、出たのが朝5時半。これでしばらくは睡魔に襲われないで済むかな。

甘かった…(笑)。横川S.Aで寝る。6時42分に入って8時15分に起床。カレーを食べても良かったけれど、気分を変えてパンにしよう。2個はすぐに決まった。あと1個、やっぱネタ的にこれかな…。あまり好きそうではないのだけど…。パン3個とパック牛乳を買ってゴルちゃんの運転席で食べた。

驚いたのは、この牛乳!。常温保存可能商品と書いてあるし、賞味期限がなんと5月まで!。いやいや、それよりダルマでしょ。ダルマのパンは僕の好きな味ではなかった。アップルパイみたいなリンゴが入っていた。天気が良いので展望台(といっても高い建物は無かった)から妙義山を撮る。逆光だし、絵にならない。9時22分にS.Aを出た。

浅間山が綺麗に見えた。更埴から長野道に入る。この先は道路工事が多かった。1車線が規制されていると、マイペースで走れなくて神経を使う。疲れる。

中央道まで一気に走り、駒ケ岳S.Aで最後の休憩。10分程度休憩しただけで、12時ちょうどに出発。疲れているけれど、眠気は無い。恵那あたりから睡魔も襲ってきたが、なんとか耐えた。小牧で高速を降りてふらふらになりながら一般道を走り、自宅着が13時57分。色々あったけど、無事に着いてよかった。無事到着の報告を父と友人にメールで送り、犬の散歩まで、しばし仮眠する。

17時過ぎに犬の散歩。データの整理は明日以降だな。とりあえず、ブログだけは書いてみた。

自分の目で実際に被災地を見ると、ダイレクトに衝撃を受ける。自分にできる支援は限られているけれど、被災地の復興を願って、できることはやっていきたい。無謀なドライブだったが、得るものは確かにあった。そう信じている。

※193416-191637=1779km走行。

※他の写真はHPに掲載予定。
※従兄弟の結婚式の記事はまた後日アップ予定。
コメント (2)
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