◆ビデオ日誌「悪人ほど本物の善人になれる、だからがんばろう」byはやし浩司
https://youtu.be/gDQuyVX3O5g
これは良い動画です!
自分も 小中学校の頃その類いでしたが、ふと気づけば40代後半…
何とか平和に楽しく暮らせてます。
今は林先生の動画で毎日楽しく勉強させてもらってます🙇
下から見上げていては何も見えてこない。
高みに上れば下界は見える。
一歩高位に昇るとはどういうことなのか?
それは知る、悟るということであろう。 何を知り何を悟るのか?
「道理を知り、理屈が分かり、世の中の仕組みを理解する」ことは非常に大切なことだと思う。
なぜ、生まれ、なぜ、死ぬのか? 人の世というものを、どうしたら知り、悟ることができるのか?
それは、知ろう、解かろうと努力することに尽きると思うのです。
聖書に『求めよ、さらば与えられん、尋ねよ、さらば見出さん、叩けよ、さらば開かれん』とあります。
これは、単に信仰の道に限らず、人生全ての事柄に通じる真理だと思われます。
常に求め、常に探し、日々精進することにより、自ずと知りえることでしょう。
私はこの世の「仕組み」を理解したときに、愕然としました。
はやし先生は「人は猿」だと言われますが、私は「人は奴隷以下の家畜」だと思います。
奴隷は少なくとも自分の主人は知っていて、自分が奴隷として売られてきた経緯は知っていますし、自分の運命や行く末も理解していますから、隙あらば逃げることを考えてもいるでしょう。
しかし、家畜は自分の飼い主が誰なのか、なぜ家畜として飼われているのか、最後は自分がどうなるのかということは知りません。
そればかりか、自分が家畜であることにすら気づくことさえありません。
生まれた時から家畜としての敷かれたレールの上を流れていくだけです。
そして、馬車馬の如くあくせく働かされ、生涯搾取され続けて一生を終えます。
幼少の頃から学校で似非教育を受け、捏造の歴史を学び、何の役にも立たない無駄な知識を詰め込まれ...そして立派な衆愚となる。
詰め込むだけの知識ですから、自分の頭で考えることは苦手です。
民主主義やら資本主義やらが正しいと教育されるから、それを信じて疑わない立派なアホになる。
かといって共産主義やら唯物論に染まり、極端な赤になるのもいる。
赤は家畜以下の昆虫と言えるだろう。
家畜ならそれなりに餌は与えられるが、昆虫は邪魔になれば叩き落とされて踏み潰されて終わり。
まさに虫ケラのごとく扱われる。
お隣にも、そんな国があったような、、、天○門とかいう場所で戦車で踏み潰されたりしてましたね。
お金という何の価値もない紙きれを利用して、人の欲望を手玉に取り巧妙に支配する。。。
長くなりそうなのでこの辺にしますが、まるでろくでもない社会です。
このまま行くと、第二の「ノアの洪水」または「ハルマゲドン」も有りかな?
いや、あって欲しい! なんて考える、今日このごろです。
ご意見、ありがとうございます。私が説く「人間=サル論」というのは、視点を(外惑星人=神)と(人間)の関係を、一段階ずつ下へさげた相対的視点によるものです。「神から見たら、人間はどう見えるか?」とです。ですから決して人間自身を「サルのようなくだらない生き物」と言っているわけではありませんので、どうか、どうか、誤解なさらないでくださいね。
で、その上で、「奴隷以下の家畜」論ですが、「そうかもしれないなあ」という思いで、読ませていただきました。重ねてお礼申し上げます。
結論を書き添えます。
レールに乗って突っ走るのが優秀な人間で善といいい、敷かれたレールに反抗したのが悪、もしくは出来損ないというのだろうか。
一流大学を出て大企業や官僚になるのが善で、町工場勤務や職人にしかなれないのは悪なのだろうか?
優秀な家畜よりも、社会の底辺の出来損ないでもいいではないか?
むしろ社会の仕組みに抗いながらも、悠々と人生を思い通りに生きていく自由人になれれば、、、それでいいと思うのです。
私は、その自由人を、48年間、貫きました。きびしい人生でした。でもね、ほかの人生を知りませんから、それでよかったかどうかの判断は、今でもできません。
支配者、為政者の最も恐れるものはなにか?
それは自由人の自由な振る舞いでしょう。
彼らはそれを恐れる、だからこそ縛りを入れたレールを敷く。
従順な家畜であると支配しやすいからです。
彼らは、自由には責任が伴うという詭弁を使う。 責任、誰に対する責任?
そんなものなんてどこにもない。
他者に多大な迷惑さえかけなければ後は自由でいいのだということでしょうが。
自由な発想や行動は支配者に対する迷惑であるというだけ。
支配者の支配は、自由人にとっては大きな迷惑なのだからアイコだね。
西郷隆盛・南州翁は『命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり』と言っております。
それらに縛られないことこそ自由人の証といえるのでしょう。
私は、今年67歳、 ひと間の単身アパート暮らし。
ほとんど無収入に近い。
だから、ほとんど不食状態です。
二日に一食もあればいいほうです。
そんな暮らしがもう6年間、、、
しかし、死にませんし栄養失調にもなりません。 むしろ、健康になりました。
『人は食わなくても生きられる』 『不食実践ノート』 共に、山田鷹夫氏著から学びました。
そのことを知ってから究極の『少欲知足』 =欲少なくして足るを知る= ということと、『断捨離』の意味を理解できたつもりです。
そして、お金には極力頼らないという、真の自由に到達できたつもりでもあります。
もっと早く知っていれば、大半の人生を彼らの支配から逃れられていたはずです。
彼らは紙幣発行権を握り、金によって欲得まみれの人間社会の支配を続けているのですから。
たいていの家畜はお金が大好物ですからね。 資本主義とはお金が神様ということでしょう。
USAのFRBも日銀も政府機関ではなく、民間の株式組織(主に國際金融機関のもの)なのですからね。
彼らは、自由に紙幣を印刷する権利を有しているわけなのですから政府をも、いや、世界すら完全支配できる、、、金で買えないものはないのだから。
そんな支配の仕組みから離脱するには、自由という発想しかないのですね。
しかし、レールから外れた自由な生き方は自ずと色々厳しくなる、、、お察しいたします。
もし、自由に責任が伴うとすれば....それは自分自身に対する責任ということでしょうね。
だからこそ厳しい。 生き方や生活は厳しくとも自由人でありたい。
全てに対して全くわけのわからない家畜生活は拒否する。
そのように、生きるのも自分の選択しだいですからね。。。
お釈迦様的発想からいえば、もし、自己救済が可能ならば、、、全ての人の救済も可能になるのでは?
全ての縛り、不自由のことを地獄というのではないのか?
自己救済とは、まずは自由闊達に生きること・・・そのへんに答えがあるのかも?
更に言えば、全てのヒントは貪欲なる食欲から開放される、
『不食』にあるのかもしれない???
道半ばなので、未だに、わかりませんが。。。
私のような知能レベルの低い平凡な人間でも一つわかる事は、悪い事をするにも度胸と勇気と行動力が必要だと言う事です。
人に迷惑をかけることを恐れ敷かれたレールの上だけを歩き、当たり障りのない平凡な人生を送るか、
多少悪い事をしてでも、のしあがって刺激的な人生を送るか…
どちらにせよ、あとに残るのは、虚しさだけ。振り返って自分を見ると、そこにあるのは、冬の灰色の空と、乾いた風が円陣を作って舞っているだけ。今の私が、そうですよ。
ご教授ありがとうございます。
1 週間前(編集済み)
意外ですねえ!♪ 先生のように 中身の ぎっしり 詰まった 素晴らしい人生を 送っている 方は、 少ないと、思って おりましたが・・ (´∀`*) 豊かな 才能と、 燃えるような 意志を 貫いて これだけの 実績を 残され、 貢献 されて 来られたのに・・ >冬の 灰色の空と、乾いた風が 円陣を 作って 舞っているだけ ** それは、ない でしょう!♪
今、自分がやっているのは善悪を超越する事。
陰極まれば陽、陽極まればまた、陰。
バランスが大事。多様性も大事。
自分の中の善悪を常識的な知識で勝手に判断せずに、全て自分自身なので尊重と感謝しています。^^
初めまして、いつも楽しく拝見しております。インドの叙事詩ラーマーヤナを編集したとされる「ヴァールミーキ」という人物もかつては盗賊だったという話があります。インドで聖者と呼ばれている人たちも悪という性質と向き合ってきたようです。今回のはやし先生の話を聞いて、単純な善悪よりも自分を知覚できるマインドが重要なのだとわかりました。これに気づかせることが教育なのかもしれませんね。
またおいでになってください。
先が見えない不安な時代ですが、明るい希望を持って歩む道がまだ残されていたのだと、というより、はやし先生を通してこんなに伝えているのにまだわからないのか、早くわかってほしいとやさしく包み込むような愛情を感じたのは私だけでしょうか。
はやし先生の動画に励まされながら毎日がんばります。ありがとうございます。M
かく言う私も、結局は自分で自分を励ましているのかもしれません。いつも不安や心配、それに孤独がそこにあります。だから前だけをみて、前に進むしかないのです。「まだ、わからないのか」という気持ちは、私も実は、毎日のように感じていますが、世間の人というのは、そういうものかもしれませんね。10年単位の時間がかかると思います。で、ここはあせらず、じっくりと基盤を固めていきたいと思います。いつもありがとうございます。いつも励ましてくださり、ありがとうございます。
動画をご覧くださり、ありがとうございます。
ただいま、返事を書く時間がなくて、すみません。
時間があきましたら、また返事を書かせてくださいね。
すみませんが、よろしくご理解ください。
私は集団が苦手で女の子は眩しくて、とても非行少年にはなれませんでした。
まあ、元気の余った少年達が集団を好み仲間を作って番を張るのは、部族社会を通ってきた人類の歴史の追体験で、むしろ健全な一段階ですね。ですから、「チーマー」などは微笑ましいヤンチャ、教員として補導に出ても、「よく自治してるな」と本音では認める部分がありました。
タチの悪い非行は、集団で女性をレイプしたり、弱い学生を狙って恐喝し、覚せい剤やシンナーで自ら傷つける者です。多くは幼少時に家庭が崩壊して自殺願望を持つ子供達です。本当の悪は映画「宮廷画家ゴヤは見た」の神父のような存在かと思います。まあ非行と悪は区別すべきなのでしょう。左翼も少年時代おとなしくしてた優等生が大きくなってやるヤンチャの面があって、右寄りの人の方が子供時代ちゃんとヤンチャしてたようです。