昨日(9月22日)の東京新聞発言欄に掲載された投書を全文紹介します。
・生活守る意志示すのは当然 (主婦 中村智子 57 宇都宮市)
原発や憲法改正に反対したりする行為が政治的だからコミュニティーの行事に参加させてもらえないなんて不思議だ。原発反対、憲法改正反対は政治的でなく自分の生活を守る当たり前の行動だ。
夕食に食べる食材をスーパーに買いに行く行為と何ら変わりない。政治家を選ぶのは国民。政治家がやっている活動がすべて正しいとは限らないから、国民が監視の目を光らせるのは当然。与党の議員が強引な手法で国民を不信不安に陥れているなら、国民は大きな声を出さなくてはならないのだ。
日本は国民主権の国家なんだから。政治的な言動を心配するより、平和を心配して。何も考えない事なかれ主義の方がよっぽど罪深い。
うん、そうだよねえ。
で、この投書の隣に掲載されているのは、11日付社説で紹介された“明治から大正、昭和初期にかけて健筆を振るった反骨の新聞記者、桐生悠々”の言葉を受けての発言。
投書者の林久夫さん(67歳 自営業 横浜市緑区)は、「犠牲を伴っても損害を招いても、言わねばならないことは言わねばならない。とかくわれわれは、言わねばならないと分かっていても、別に自分が言わなくてもいいのでは、となりがちである。」と発言しています。
うん、そうだよね。誰かが言うだろう、誰かがやるだろうって横目で見ているうちに動きがとれなくなるってこと、今までもたくさんあったよ。だから、アタシなんかが言ってもしょうがないよね、蟷螂の斧でしかないだろう、かなり消耗するからめんどくさくもあるしなどと思いながらも言わなくちゃねえと思うのよね。
あー、真面目な話を面白く言いたいものだが、力が足りないのがくやしいゼ。
東京新聞の11日社説、次回で紹介します。
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