自衛隊「南スーダン駆けつけ警護」・それが青森駐屯隊であることの意味合いは・・・

2016-09-04 05:41:13 | 日記

 自衛隊「南スーダン駆けつけ警護」・それが青森駐屯隊であることの意味合いは・・・

 

    稲田防衛大臣は、自衛隊の新たな任務になった「駆けつけ警護」などの訓練を25日から開始すると表明、そのうえで9月中旬に南スーダンを訪問し、現地の情勢を確認した上で10月にも最終判断する方針とニュースは伝えている。(8月31日)

    それに先立ち「しっかりと準備が整ったものから、新しい任務も含めて、駆けつけ警護等も含めて訓練をしていく必要があろうかと思います」と述べ、「駆けつけ警護や宿営地の共同防衛など新たな任務の訓練を始めるのは11月から南スーダンのPKO(国連平和維持活動)に派遣される陸上自衛隊の部隊です。どんな場合にも対応できるよう各部隊で必要な訓練を実施する考えを強調」と新聞報道は付け加えている。(8月24日)

    このニュースを聞いて「さて、どこの駐屯地から」派遣(派兵)されるのかと気になり調べていたところで目にしたのが青森県の地元紙「東奥日報」の記事である。そこには「陸自青森に安保法新任務検討」とある。

    そこには忘れられない記憶「八甲田山・死の彷徨」がある。酷寒の地で日本の山岳史上、そして軍事史上に残る最悪の惨事が起きた。遭難したのは陸軍第8師団に所属し、青森に駐屯していた歩兵第5連隊の将校、下士官、兵卒ら210人の内199名が死亡した事件である。その雪中行軍は対露戦争を前にしての「酷寒地実験」であったと言われている。そして今般、日本の自衛隊史における「初めての実戦」が、自衛隊青森駐屯の部隊に科せられるということの「歴史の罪深さ」を痛感するのは私だけであろうか。

    さらに、もう一つの記憶がある。「弘前ねぷたまつり」に出かけた時であった。次から次へと繰り出される山車の中で一段と大掛かりな集団があった。それは「陸自青森の弘前駐屯のねぷた」でる。街頭の観客は惜しみのない大きな拍手を若い隊員に送っていた。今から20年前のことである。あの若者たちも30代になっているだろう。いまだ青森駐屯隊にいるのか、どうか。しかし、後続の若者は存在しているだろう。その隊員をまたぞろ危険な実験場に駆り出そうとしているのか。そして国民はその実験に対し惜しみのない拍手を送るのか。

    そして、最後に述べたいことがある。

    当時の小泉政権は、イラク戦争の地「サマワ」に自衛隊員を派遣(派兵)した。幸い全員無事の帰国を果たせた。しかし、不幸にして戦後初めての「戦死者」を出した場合を考えたのは私だけではなかった。それよりも政府の姿勢である。それが戦死隊員を迎えた場合「国葬」により栄誉をささげるだろうことがささやかれた所以である。さらに「靖国合祀」である。それは「靖国の妻・母」の復活である。

   「歴史の罪と同時に『歴史は繰り返される』」と。

   「①わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、及び幸福追求の権利が根底からくつがえされる恐れがあること。②これを排除し国民の権利を守るために他に適当な手段がないこと。③それは必要最小限の実力行使に留まるべきこと」この言葉を何度聞いたであろうか。つまり安保関連法の成立をはかるために持ち出した安倍政権の「新三要件」である。

    どんなに考えても、今般の南スーダンにおける自衛隊の「駆けつけ警護」が、稲田防衛大臣が現地を調査して決断するということになるのか。

    私には再び繰り返そうとしている「やってはならない実験。時代が変わるとしてもそれが再び青森駐屯隊に科すこと」それ以外何ものでもないことを痛感したニュースであった。もちろん青森駐屯隊でなければ良いということではない。