膨大な物量と、不安な管理の挟間で考える・その1

2013-11-17 16:10:08 | 日記

    膨大な物量と、不安な管理の挟間で考える・その1

 

10月23日のブログ「オレのことは始末してけろ」からはじまり、8回にかけて書いた内容を改めて読み返してみた。とりわけ、後半の「除せんによる廃棄物の物量、管理」については、その実態を強調すればするほど、「除せんや低線量対策が軽視、省略される恐れに連なる」との批判が出てくることを意識した。

「若干時間が欲しい」という断りをもって中断したのもそのためであり、今回、悩みつつも2回にわたり、私の考えを述べてみたい。

「オレのことを始末してけろ」.

仮設住宅に住む一人の高齢者。町は5年は戻れない宣言をする。5年後のオレは80歳。家は雨漏り、畳は腐り、ねずみや蛇の住家。亡くなった親友も納骨できず。オレの骨はどうしてくれる。

「原発労働者の皆さん、決して隠さないでください」

警察署長がひき逃げをした、責任の重さを感じてのこと。原発収拾の現場で働く皆さんも、責任を持つが故に、ミスや失敗を隠してしまいたくなるだろう。でも勇気をもって報告して下さい。決して隠さないでください。

「どうぞ、しばらくの時、静かにしていてください」

誤りに気づいたら即謝るべきだ。だから『原発よ』よ、どうかしばらくの間、静かにしていて欲しい。暴れないで欲しい。

「丘の上に立ったとき、想いと異なる光景は」

仮設暮らしや、避難生活で苦しみながらもがんばってきた。そして、ようやく戻れたとき、その故郷は住めるところでなかった。想いとは異なる光景に唖然とする。

「敷地内の廃棄物取り出しは」

低線量地区の除せんは、敷地内埋設を原則として進められている。では、その廃棄物を、穴から掘り出し中間貯蔵施設に搬出できるのか。その運搬方法は。作業の段取りは。結局は、廃棄物の行き場を失うことになりかねない。

「庭に埋めた廃棄物は必ず持ち出してくれるのですか」

最終処分場とならないか。でも近所、隣が行うのであればやるしかないのか。

「皆目、見当がつかない廃棄物の物量」

ダンプ不足、渋滞懸念、汚染廃棄物3500万トン。10トンダンプ車2000台で往復、3年間は必要。

「廃棄物の物量報告と『除せんの徹底』の狭間に悩む」

東京ドーム何杯分になるのか。それだけの物量をどうするのか。その報告をすればするほど、除せんは鈍り、年間1ミリ以内の限界を軽視する機運を広め、強めることにならないか。そして悩み、打ち込みは鈍った。

そして、最後に若干の時間を頂きたいと書いて現在に至った。しかし、いつまでもほっ被りするわけにはいかない。そこで勇気を持って書いてみようと思う。

放射能被爆であるが、とりわけ「年間100ミリシーベルト以下の低線量」については、これが、健康に影響があるか、どうかについては、医学的にも未解明であり、とりわけ、20ミリシーベルト以下については「国際放射線防護委員会の勧告」を踏まえたものである。そして長期的に1ミリシーベルト以下にもっていく方策を整えるというものである。つまり、「定まった知見が無い」と言うことを前提にしなければ、前段に書いた八つのタイトルについて語ることが出来ない。

別な表現をすれば、「年間1ミリシーベルト以下でなければならない」を原則として、それ以外の選択はないとなれば、廃棄物は限りなく増え続け、仮置き場の設置や中間貯蔵施設は実現できなくなる恐れはあきらかである。この矛盾をどう解決するのか。

責任は、東電だ、国だと叫んでも、事が解決するわけではない。もちろん責任はあるが、しかし、時間は刻々と進む。現に、発生後3年を経過しようとしている。そして高齢者にとっては時間との勝負である。

私たちの側にも、回答を用意しなければならないのではないのではなかろうか。

以下、次へ。