語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【酒井啓子】9・11が開けたパンドラの箱 ~中東・宗派対立の起源(1)~

2016年09月20日 | 批評・思想
 9・11から15年。9・11とその後の国際政治の展開は、あまりにも多くのパンドラの箱を開けすぎて、もはや何が変わり、何が当たり前のことだったのかすら、わからなくなってしまった。
 たとえば、テロの増大。2004年以降、中東でのテロ件数が右肩上がりのまま下がらなくなった。
 あるいは、暴力が宗教性を纏うと同時に、「宗派対立」もまた、当たり前のように語られるようになった。
  (a)2003年のイラク戦争以降、スンナ派とシーア派に大別されるイスラームの宗派が、暴力的衝突の原因として前面に出てくる。
  (b)2006年2月、イラク中北部にあるシーア派の聖地サマッラーの聖廟が爆破されたことを契機に、イラクではどの宗派に属するかを巡って殺しあいが始まった。

 強権政治による抑圧があったとはいえ、イラク戦争以前のフセイン政権のものとでは、宗派を理由にイラク人同士が戦い合うことはほとんどなかった。それが一挙に内戦ともいえる宗派抗争へと発展したことに、一番衝撃を受けたのは当のイラク人たちだ。
 次々に宗派テロが発生した。極めつけが「イスラム国」だシーア派を「異端」として徹底した殺戮を是とするIS。ISの侵略から祖国防衛を謳いつつ、「シーア派性」を前面に押し出す対IS掃討部隊。

 かくしてイラクでは、内戦開始から10年の月日を経て、今や宗派的対立は当たり前のものとみなされ、それを前提に政治が組み立てられるようになった。
 テロ、宗教的暴力、宗派対立。これらはイラク戦争、アフガニスタン戦争、さらにはイラクとシリアでの内戦とISの出現によって加速度的に増大したものだ。イラク戦争がなければISは出現しなかったし、イラクでフセイン政権が倒れてシーア派イスラーム主義政党が政権をとらなければ、シリア内戦がイラン、イラクとサウディアラビア、トルコなど周辺国の間での代理戦争と化すこともなかった。
 だが、その出発点にあるのは9・11である。9・11がなければ、イラク戦争もアフガニスタン戦争もなかった。9・11とその後の戦争こそが、現在に至るまでの中東での内戦とテロの増大と拡散を生んだ。底が抜けたような暴力のエスカレートは、ヨーロッパや東南アジアへと、世界全体を巻き込んで広がった。それが、9・11が開けたパンドラの箱だ。

□酒井啓子(千葉大学教授)「誰が「正しい」かを競う戦い 9・11から中東の宗派対立へ」(「世界」2016年10月号)の「9・11が空けたパンドラの箱」
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