語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【神戸】希望の星から転落した神戸空港 ~埋立開発行政の破綻③~

2016年02月05日 | 社会
 (1)赤字だらけの地方空港の中、神戸空港だけは黒字とされているが、トリックがある。一般に地方空港は空港の予算を一般会計に繰り込むが、神戸空港は
   空港整備事業特別会計
にしている。
 2015年度予算の歳入は、 
   着陸料・停留料・土地使用料(真の収益) 27.9%
   国・県からの補助金 44.5%
   新都市整備事業会計からの繰り入れ(赤字補填) 27.5%
 歳出は、7割を占める「空港整備事業費」に空港島の造成費を入れていない。入れると収支は赤字になる。

 (2)経営難になった日本航空(JAL)が2010年に撤退し、神戸空港はスカイマークが頼りだった。
 しかし、スカイマークは2015年1月に倒産、民事再生手続きに入った。
 スカイマーク社が持つ羽田を中心とする高利益路線を狙って、結局は全日空(ANA)が再建支援者となったが、全日空は神戸空港など眼中にない。

 (3)1960年代、「関西圏で大阪国際空港(伊丹空港)だけでは足りない」とする財界の要請で神戸沖が浮上したが、当時は騒音公害が社会問題だった。宮崎辰雄・市長(1969~89年)が反対し、建設は泉州沖に決まった(現・関西国際空港)。
 しかし、その後神戸市は、市営の空港建設を持ち出す。関空の開港で廃港されるはずだった伊丹空港が存続し、関西に3つも空港があると環境が悪化すると、反対運動が盛り上がった。  
 宮崎市長の跡を継いだ笹山幸俊・市長は、1995年1月27日、阪神・淡路大震災の大混乱の中、突如、神戸空港建設を発表した。震災から10日、20万人以上の被災者が避難所で途方に暮れている時に、住宅再建より「神戸空港建設を優先する」と。
 反対運動は拡大した。
 しかし、2001年の市長選では、空港建設派の矢田立郎・候補が、大接戦の末、反対派の大西和雄・候補を破った。
 空港は、2006年に開港した。

 (4)1999年、神戸市は広報「市民ニュース」で、「建設費に市税は使わない。国の補助金や借入金で賄う」「着陸料収入で運営。収支に心配ありません」と大見得をきった。市は、2002年に利用客の予想を発表した。
   開港時(2006年度) 319万人
   2010年度 403万人
   2015年度 434万人
 しかし、実際には、
   2006年度 273万人
   2010年度 221万人
   2014年度 244万人   
 市は、「利用率(搭乗率)65%」とするが、航空会社が需要を望めず、機体を小型化して座席数を減らしたからだ。路線も不採算が相次ぎ、5路線を廃止した。貨物も激減し、ついに全面撤退した。
   2006年度 26,000トン
   2013年度  3,900トン
 このため、着陸料収入は、2014年の
   予想 17億3,500万円
   現実  6億4,700万円
と低迷。10年の累積で77億円以上の赤字だ。そして今後も減る一方だ。
 借金の返済に充てる空港島の埋立地売却も、販売予定面積の13%、売り上げは115億円で市債の元金返還がはじまるmなでの金利にもならない。結局、市は借金返済のための借金として、総額1,000億円もの借り換え債を発行。新たに2014年度までに70億円の金利が生まれてしまう。

 (5)関空二期工事が完成し、関西は過剰な3空港になる。
 一時期、橋下徹・大阪市長(当時)は伊丹空港廃止論をぶちあげたが、朝令暮改で撤回。現在、関西エアポートを軸に「3空港の一体運営」を打ち出している。神戸空港は、国内便の補完的役目という位置づけだ。神戸には在日韓国・朝鮮人や華僑も多く、アジアへの国際空港とすればある程度の需要は望めるが、関空重視の国がそれを許さない。

 (6)山を崩して海を埋め立てる。
 1969年から20年間も君臨、神戸ポートアイランド博覧会(1981年)の成功などで「株式会社神戸市」と言わしめた宮崎市長以来、神戸市の典型的な開発手法だ。だが、埋め立て地は売れず、公的機関を無理やり島へ移してきた。
   ①ポートアイランド(医療産業都市がある)
   ②空港島
   ③六甲アイランド(1990年オープン)
 ③は、米企業P&Gジャパンが進出し、人気だった。しかし、いま、ショッピングゾーンの中心、高層ビル「神戸ファッションマート」はもぬけの殻。映画館なども次々に撤退。生協も縮小し、住民の生活は不便になった。東日本大震災の津波を知る住民は、「本土」への回帰志向が出ている。

 (7)久元喜造・神戸市長は、三宮駅前の再開発を打ち出し、新たなビルに入る企業に年間9,000万円の家賃補助を5年間出すことを決めた。2016年、P&Gジャパンはこの再開発ビルに移転。議会で追及された市は、「出さないと大阪などへ逃げられる」と誤魔化した。4億5,000万円は、事実上市からの補助金だ。

 (8)震災から21年。
 市は、「20年の期限」と借り上げ住宅に住む高齢者の追い出しを図る。民間マンションなどを借り上げたのは、「住宅を建設するより安上がり」が理由だった。空港建設を優先したのは、住宅建設ではゼネコンの利益にならないからだ。
 請け負ったゼネコンは、元請けが神戸製鋼所で、
   竹中工務店
   新井組
   イチケン
   湊建設工業
の4社の共同企業体。落札額は39億6,000万円だが、その後56億円に膨らんだ。
 関西は東京と違い、歴史的に独立独歩の中小企業がたくましく生き抜いてきた。しかし、あの大震災ではさすがに行政に頼らざるを得なかった。それに乗じ、住民への支配力を強めた市官僚が、大企業のために市民ニーズとかけ離れたことを推進している。
 東日本大震災でいまだ復興途上の東北がこうならない保証はない。 

□粟野仁雄(ジャーナリスト)「希望の星から転落した神戸空港 ~破綻した“神戸市の埋め立て開発行政”③~」(「週刊金曜日」2016年1月29日号)
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 【参考】
【神戸】「医療産業都市」の躓きと暴走 ~埋立開発行政の破綻②~
【神戸】生体肝移植失敗の原因 ~埋立開発行政の破綻~


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