語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】イスラム過激派による自爆テロをどう理解するか ~『邪宗門』~

2015年01月23日 | ●佐藤優
 高橋和巳は日本が世界に誇ることができるスケールの大きい知識人だ。
 彼は書き急ぎ、生き急いだ。40歳の誕生日を待たず、この世を去った。
 著者がいなくなっても、優れた作品は永遠に生きる。そうした作品の一つが『邪宗門』だ。

 『邪宗門』は、単行本が刊行(1966年)されて2年後、全共闘運動に代表される学生運動が始まった。それは明確な目標を持った闘争ではなく、カオスをもたらす紛争だった。だからこそ、闘争よりはるかに大きな思想的意味を持つ。
 高橋和巳自身は、本質において非政治的人間だったが、全共闘運動に直面し、学生に寄り添って、文字どおり命を縮めた。

 『邪宗門』は、政治小説ではなくて観念小説だ。観念小説とは、自らの理念が現実になった場合、どのような出来事が起きるかについて思考実験した虚構の小説だ。本書の「あとがき」で高橋和巳は書く。 
 <発想の端緒は、日本の現代精神史を踏まえつつ、すべての宗教がその登場のはじめには色濃く持っている《世なおし》の思想を、教団の膨張にともなう様々の妥協を排して極限化すればどうなるかを、思考実験してみたいということにあった。表題を「邪宗門」と銘うったのも、むしろ世人から邪宗と目される限りにおいて、宗教は熾烈にしてかつ本質的な問いかけの迫力を持ち、かつ人間の精神にとって宗教はいかなる位置をしめ、いかなる意味をもつかの問題性をも豊富にはらむと常々考えていたからである。ただ、いかなる夢幻の花も樹根は現実に根ざさねば枯死する。それゆえに、この作品の準備期間中、私は日本の現存の宗教団体の二三を遍歴し、その教団史を検討し、そこから若干のヒントを得た。とりわけ、背景として選んだ地理的環境と、二度にわたる弾圧という外枠は、多くの人々にとって、ああ、あれかと思われるだろう類似の場所および教団が実在する。だが、ここに描かれた教団の教義・戒律・組織・運動のあり方はもちろん、登場人物とその運命のすべては、長年温め育て、架空なるゆえに自己自身とは切り離しえぬものとして思い描いた、我が《邪宗》のすがたであって、現存のいかなる教義・教団とも無縁であることを、ある自負をもって断っておきたい。>

 高橋和巳の母親は、天理教の熱心な信者だった。和巳自身は、天理教の教義、社会的意義は理解したが、踊りについていくことはできなかった、という。
 「ひのもと救霊会」=「高橋邪宗」を体現しているのは、知識人であるがゆえに踊ることができないタイプの登場人物だ。すなわち、千葉潔だ。彼は、革命するために「ひのもと救霊会」に加入した。
 しかし、千葉潔が宗教的信念を欠如していることは、大見サト(山口県で活動、ほんものの神憑り=シャーマン)が一瞬のうちに見抜く。千葉潔と大見サトとのやりとりは、人間の本質に係る鋭い思想論争だ。
 大見サトは、千葉潔に、問いかける。
 「しかし、あんたはそういうふうに世なおしをして楽しいかや」
 ここに、革命運動ではなく、政治活動がはらんでいるすべての問題についての根源的な問いかけが存在する。
 千葉潔は、「いいや」と答える。子どもの頃、飢えて人肉を食い、戦争で人を殺した千葉潔は、内面に何の価値観を持たないニヒリストなのだ。
 大見サトは、さらに
 「世なおしが、あんたのいうようなもんじゃとして、あんたはそれからどうするつもりぞな」
と問う。この問いに、千葉潔は答えることができない。ニヒリストには、状況対応の「ケース・バイ・ケース」以外の答えがないのだ。ロシア革命(1917年)も、ニヒリストによる「世なおし」だった。だから、ソ連のようなグロテスクな社会が形成されたのだ。

 この小説を通じて、高橋和巳は、革命によって人間を解放することが果たして可能か、という存在論的問題に対して、明示的な回答を与えていない。
 ただ、回答の方向性については、地元新聞へ事件後数ヶ月も経ってから寄せられ、結局は没になった吉田秀夫の投書(本書第三部の末尾)で示唆している。

 <彼らが死を急ぐ人々であったことについては、今なお十分な理解を私はなし得ないことを悲しむ。だが、救霊会に自殺教という罵倒を投げかけただけでは、何事も解決はしない。生者が死者よりも無条件にすぐれるわけではなく、人類がこの地球上で、あるいはこの宇宙において成し遂げようとすることの総体との関連においてのみ、その死の意味は判定されうる。>

 生者は、死者と連帯することによってのみ救われる・・・・という方向がここに示されている。
 2001年9月11日の米国同時多発テロ事件以後、イスラム原理主義過激派による自爆テロが深刻な問題になっている【注】。この混乱を理解するためには、死を恐れず、死者との連絡を信じる人々の行動様式は、生きている人間しか想像できず、合理的思考をする人よりもはるかに幅広くなるという現実を汁ことが必要だ。
 世界で現在起きている目に見えにくい現実の内在的論理を理解するためにも、『邪宗門』は役立つ。その意味で、本書は世界文学としての価値を主張できる作品なのだ。 

 【注】例えば「【佐藤優】世界イスラム帝国へ、ネット時代の世界革命 ~イスラム国の行方~」。

□高橋和巳『邪宗門(上下)』(河出文庫、2014)
□佐藤優「世界文学と呼ぶべき観念小説」(高橋和巳『邪宗門』の解説、河出文庫、2014)
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【佐藤優】ロシアが中立国へ送った「シグナル」 ~ペーテル・フルトクビスト~
【佐藤優】戦争の時代としての21世紀
【佐藤優】「拷問」を行わない諜報機関はない ~CIA尋問官のリンチ~
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