語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【片山善博】安倍一強政権のもとで壊れゆくもの

2018年03月15日 | ●片山善博
 (1)第193回国会を通じて、財務省、文部科学省、内閣府などの官庁とそこの官僚に対する信頼が激しく揺らいだ。
 これらの府省の官僚たちの国会答弁には乱暴さが目立った。この官僚は一人前の大人だろうか、果たして正気か、質問者を舐めたり茶化したりしているのか・・・・こんな疑問を抱かせる場面がしばしば登場した。
 〈例〉森友学園に対する超安値での国有地払下げについて答弁する官僚は、「適切に処理した」と言い張るだけで、それを裏付ける証拠や資料を一切出そうとしない。資料は作成していない、あった資料も既に廃棄した旨を繰りかえしていた。
 この種の案件で、きちんと資料を整理し、保存しておかないわけがない。「この種の」というのは、不動産の売買のように後々まで尾を引くことが多い案件だ、ということだけでなく、政治がらみでもあるということだ。森友学園の経営者夫妻は、この問題が明るみに出るまでは総理夫人とことのほか親密な間柄だったのだから、関係官庁にしてみれば政治がらみそのものだ。
 財務省は、「適切に処理した」と言うなら、論より証拠、それがわかる資料をさっさと出せばよいのに、それを出さない。敢えて棄てたとまでいうのは、それ相応の事情があるのだろう。出すと自分の役所にとってまずいことになる、あるいは誰かを気遣って出すことが憚られるのか、と誰もが勘繰ることになる。

 (2)およそ政治や行政には説明責任が求められる。説明責任とは、自らが決めたことについては、国民や納税者の納得が得られるよう説明できる、ということだ。決めたことに疑義を抱く人がいたとしても、説明することによって、「なるほど」と了解してもらえばそれでよし。たとえ十全な了解は得られないにしても、「たしかに一理ある」というぐらいの理解は得られなければならない。
 このたびの国有地超安値払下げに係る財務省の国会答弁を説明責任という観点で見ると、まるでなっていない。
 なぜこんな安値で売ったのか、という質問に何も答えていない。適切に計算したことを納得してもらうには、その計算根拠となる資料を示さなければならないのに、それをまったく示していないからだ。説明責任の観点からは、答弁は失格だ。

 (3)不思議なのは、こうした失格答弁を、その場に居合わせている首相も直属の上司である財務大臣も他の閣僚たちも誰一人咎めようとしていないことだ。こんな失格答弁をする部下がいたら、その場でさっさと引き取り、自らが代わって答弁してしかるべきではないか。それは、当該部下だけにとどまらず、組織全体および組織のトップの見識と品格まで疑われかねないからだ。
 ところが、現政権は、説明責任を無視した官僚の失格答弁をそのまま受け入れている。ニヤニヤ笑いながら聞いている閣僚はいても、ムッとしたり、首を傾げたりしてその答弁に不快感や不満を示す閣僚はいない。この光景は国民だけでなく霞が関の各省の官僚もじっと見ている。

 (4)霞が関の官僚たちの持つ資質はよく語られる。権限への拘りや前例踏襲主義などの弊害が見られるとの指摘は、当たらずとも遠からず。ただ、それと裏腹の関係になるのだが、説明責任への拘りという正の資質があることはあまり指摘されてこなかった。
 久しい間、政府が決めることの多くは、国民の代表である政治家ではなく、実質的に官僚たちが決めてきた。善し悪しは別にして、これが官僚主導といわれる政治の流儀だった。ただ、官僚たちは単に実質的に決めるだけではなく、決めたことに対する説明責任も一手に引き受けさせられていた。
 そこで官僚たちは、後で自分たちが説明できないおそれのあることはできるだけ避けようとし、また新しいことに取り組むにしても何とかぎりぎり説明できる範囲に留めようとする。権限への拘りや前例踏襲主義はそんな官僚たちの心性と密接に関係している。裏を返せば、それだけ説明責任に拘りを持っているということでもある。

 (5)ところが今、国会の国有地超安値払下げ問題についての実に無責任で投げやりな答弁が罷り通っているのを見た各省の官僚たちは、「ははーん、これでいいんだな」と妙に得心したことだろう。
 これまではそうは言っても一応筋の通った答弁を心掛けていた各省の官僚たちも、今後は失格答弁で逃げることを敢えて辞さなくなるのではないか。

 (6)その後国会で取り上げられた加計学園問題でも、政治家だけでなく内閣府や文部科学省の官僚たちから不誠実な答弁が繰りかえされた。
 文部科学省に対して獣医学部設置をめぐってあれこれと働きかけをしたと指摘された内閣府の官僚は、「記憶にない」などと誠に不誠実な答弁をしていた。
 ひと昔前、政治家ならばともかく、官僚が「記憶にない」などと答弁することは決してなかった。今やさほど高位にあるわけでもない官僚がそんなふざけた答弁をするのを耳にするのは隔世の感がある。

 (7)ふざけた答弁には、こんな答弁もあった。文科省内から出てきたと思われる電子メールでの送信文の真偽が問題になっている時、その送信先として表記されていた名前の人物が省内に実在するのではないか、と問われた文科省の官僚は、「同姓同名の職員はいます」と、しれっと答えていた。
 人を小馬鹿にするのもいい加減にした方がいい。当人は野党議員の質問を少々おちょくったぐらいにしか考えていないのかもしれないが、勘違いも甚だしい。それは、国会とその国会の背後にいる国民を小馬鹿にし、おちょくっていることを意味するからだ。
 ここでも不思議なことに、こんなふざけた答弁を閣僚たちや与党議員たちが笑ってやり過ごした。
 おそらく彼らは、小憎らしい野党の追及を、官僚が小気味よくかわした、というぐらいの受け取り方なのだろうが、これまた甚だしい勘違いだ。たとえ野党議員に対してであれ、官僚が国民の代表である国会議員をおちょくったり、愚弄したりするようなことがあってはならないからだ。その場で笑って済まされたとは、国権の最高機関も随分軽い存在に成り下がったものだ。

 (8)このたびの国会の会期末近くに、参議院では共謀罪法案について委員会での審議と採決を飛ばして、一気に本会議で議決した。加計学園問題の幕引きを図りたかった、東京都議選を控えて会期の延長が憚られた、など、あれこれ事情の解説をする向きもあるが、これは参議院の自殺行為だ。
 衆参両院制のもとで、参議院は良識の府として身長真偽を心掛ける。衆議院とは違った観点から法案をチェックする。とりわけ行政監視機能が大切だ。参議院の機能や存在意義についてはかねてあれこれと説かれてきた。
 しかし、今回の一件からすると、もはや参議院は不要だ。これだけ国民の関心が高く、かつ、多くの国民が不安に思っている法案なのに、参議院は普段誇っているそれらの機能をすべてかなぐり捨てたからだ。もはや、参議院の存在意義などと言っても、誰も信用しないだろう。もし、憲法改正が具体化するなら、いの一番に参議院の廃止が検討されてしかるべきだ。
 安倍一強政権のもとで、霞が関のよい資質や国会の存在感が次々と毀損されている。

□片山善博(慶應義塾大学教授)「安倍一強政権のもとで壊れゆくもの ~日本を診る第93回~」(「世界」2017年8月号)
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【佐藤優】人間の思考と魂の根底に迫る ~宗教と資本主義・国家~

2018年03月15日 | ●佐藤優
 <人間の思考において理性が中心的な地位を占めるようになった啓蒙主義の時代以降、「宗教は時代遅れになった。人間は宗教なしに生きていくことができる」というようなことが何度もいわれた。しかし、その後も宗教はしぶとく生き残っている。これは過渡的現象で宗教はいずれ死滅するのか、あるいは、人類の文明、科学技術がいくら発達しても宗教は残るのであろうか。このような基本的問題について、根源的に考えてみたい。
 近過去の歴史を振り返ってみよう。科学的無神論を掲げたソ連も、世俗化された形態で終末論的希望を保全していた。ナチズムの世界観の背後にもドイツ・プロテスタンティズムの影響があった。宗教には、宗教を否定する人々の思考の枠組みですらつくる特別な力がある。東西冷戦が終結し、アトム(原子)的人間観を基礎とする新自由主義が地球的規模で広がっても、宗教は解体されない。
 宗教が絡んだ問題が、世界の現実に対して無視できない影響を及ぼしている。例えば国際テロリズムだ。プレモダンな表象を掲げつつも、サイバー空間を最大限に活用して地球規模での混乱を引き起こしている過激派「イスラム国」(IS)の内在的論理を理解するためにも宗教に関する知識が不可欠だ。
 自然科学と宗教の関係も古くて新しいテーマだ。遺伝子組み換え、再生医療、AI(人工知能)が提起する問題も宗教と深く関係している。
 われわれが生きている世界には、三つのパラダイムが並存している。自由、民主主義、市場経済、啓蒙的理性などわれわれが親しんでいるモダン(近代)とともに、イスラム原理主義者のようにプレモダンな価値を重視する人々、また国家や民族の枠組み、制度化された知の枠組みを超克するポストモダンな思考をする人々がいる。宗教は、モダン、プレモダン、ポストモダンのすべての状況に適応する力を持っている。それだから宗教についての理解を深めることが、複雑な世界を解釈する上でとても役に立つ。
 世界の理解だけでなく、われわれ一人一人の生き方においても、宗教に関する知識は重要だ。その大きな理由は、人間は、例外なく、死ぬからだ。死んだ世界から帰還した人はいない。それだから、死について考えるときには、どうしても啓蒙的理性の外側に出なくてはならない。これも宗教が得意とする領域だ。
 今回のシンポジウムで私は「二時間でわかる宗教」というような即効性のある話はしない。すぐには役に立たないが、しかし、人間の思考と魂の根底に迫るテーマについて語ろうと思っている。このシンポジウムに参加された皆さんに、二十年後にも私たちが話したことを覚えていてもらえる内容にするための努力をしたい。> 

□池上彰・佐藤優・松岡正剛・碧海寿広・若松英輔『宗教と資本主義・国家 激動する世界と宗教』(KADOKAWA、2018)の「開会の辞」の「人間の思考と魂の根底に迫る」を引用

 【参考】
【佐藤優】『宗教と資本主義・国家 激動する世界と宗教』の目次
 
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