語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【南雲つぐみ】食べるラー油を自作する

2018年01月04日 | 医療・保健・福祉・介護
 辛過ぎず、おかずとしてもいただく「食べるラー油」という商品がある。各地の名産品を使った「ご当地食べるラー油」を、全国で見かけるようになった。例えば、淡路島のタマネギを使った「食べる玉ねぎラー油」や、京都の九条ネギを使った「京ラー油」、群馬の「下仁田ネギラー油」など。
 そこで、わが家でも作ってみたら、簡単でなかなかイケるのだ。長ネギ、ショウガ、トウガラシ、フライドガーリック、フライドオニオン、コチュジャン、中華スープのもとなどが基本の具材で、適量でみじん切りにして鍋に入れ、焦がさないように弱火で炒める。中華スープのもとが溶けたら、サラダ油(白ゴマ油でも)100ccを加えてぐつぐつ煮込み、最後にゴマ油50ccを加えて火を止める。
 冷ややっこにかけたり麺の薬味にしたりと使い方はいろいろだ。好みで、干しエビ、ジャコ、スルメ、ホタテ貝柱など、好きな魚介の干物類を加えて作ると、風味がまた違って楽しい。自家製は保存が効かないので、少しずつ作って早めに食べ切ろう。

□南雲つぐみ(医学ライター)「食べるラー油 ~歳々元気~」(「日本海新聞」 2017年11月7日)を引用
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【佐藤優】神学が実生活に役立つ理由 ~人間の限界~

2018年01月04日 | ●佐藤優
 (1)神学は、もっとも知的刺激に富んだ学問だ。加えて、伝統がある。
 神学は、他の学問とまったく性格を異にしている。他の学問(哲学を含む)を実学とすれば、神学は「虚学」だ。神学は、「目に見える成果をあげる」という意味では役に立たない。
 しかし、理屈の世界が積み重なると、必ず、理屈に反する世界がそれと同じだけ積み重なり、あるときバーンと破裂してしまう(<例>精密きわまる金融工学が破綻してリーマン・ショックが発生)。秩序が成り立つためには、どこか秩序が完全に崩れている場所がないといけない。
 神学が「虚学」であることをよく示すのは、
  (a)神学では、論理的整合性の低い側が勝利する。
  (b)神学の性質として、神学的論争は積み重ねられない。

 (2)神学的議論では、過去の例からすると、論理的整合性の高い側が負ける傾向が強い。議論に負けた側は異端という烙印を押され、運が良くて排除され、運が悪くて皆殺しにされる。
 <例1>神の母論争(テオトコス論争)・・・・イエスにおいて神性と人性の両方を認めることから、人間イエスの母は同時に神なるイエスの母であるとする考えの是非をめぐって争われた。
 12世紀後半、フランスは今のリヨンに、原始キリスト教会の清貧への回帰、私有財産とヒエラルキーの放棄、聖書の俗語訳を要求したワルドー派が生まれた。カトリックの異端審問官は、「あなたはキリストの母を信じるか」と問い、ワルドー派はマリアのことだな、と思って「はい」と答えた。たちまち火焙りが決まった。
 なぜか。「キリストの母」という言い方は、5世紀に決定したカルケドン信条に反するからだ。
 カルケドン信条が決定された背景に、「神の母か、キリストの母か」という神学論争が存在した。「マリアはキリストの母」と言えば異端とされたのだ。
 「キリストは真の神で真の人」なのだから、「キリストの母」と言おうが「神の母」と言おうが、同じはずだ。むしろ、「神の母」と言うほうが論理的に飛躍している。神学的に考えるなら、「真の神で真の人」=人間と神との間に立つ「仲保者」としての特殊な位置からして、「キリストの母」と言うほうが論理的整合性が高い。しかし、それは「キリストの神性をおろそかにしている」と見なされ、異端と断罪された。
 神学論争がいかに恣意的であり、そこで問われていることがいかに論理的整合性がないか、容易にわかる。

 <例2>フィリオクエ論争・・・・聖霊発出論争における用語。フィリオ(filio)は「子から」の意で、クエ(-que)は「も」の意。聖霊が父なる神ヤハウェからも、子キリストからも発出する、という考えの是非をめぐって争われた。
 カトリックやプロテスタントは、「聖霊は父と子の両方から発出する」と考える。他方、東方正教会は「聖霊は父から発出する」と考える。この二つの間に大きな論争があって、1054年、フィリオクエ論争を一つの契機として東西教会が分裂した(「大分裂」)。
 その時のカトリック教会の言い分は、ほとんど言いがかりに近かった。「ニカイア・コンスタンティノポリス信条にあったフィリオクエを正教会が削除したのだ」うんぬん。当時は、皆が皆、そう信じていた。ところが、16世紀になって人文主義が興隆し、文献学が発達して交渉を進めていくと、「ニカイア・コンスタンティノポリス信条自体にもともとフィリオクエはなかった」ことが明らかになった。本来のテキストには「聖霊は父から発出し」と書かれていた。
 この事実判明は、東西両教会に大きな衝撃を与えた。「子からも」という文言は、5、6世紀ごろ、カトリック教会が挿入したものだった。西方教会が東方教会に因縁をつけたのは、完全に誤りだった。
 しかし、カトリック教会もプロテスタント教会も、誤りを認めていないし、東方教会に謝罪していない。それどころか、「ニカイア・コンスタンティノポリス信条における聖霊と父なる神との関係をよりはっきりさせ、より正確にするためにフィオリクエを挿入したのだ」と自らの立場を正当化するのであった。 

 (3)(2)-<例1>、<例2>で明らかなように、神学論争は、論者の出身教派や帰属教派を聞けばだいたい結論がわかる仕組みになっている。
 結論はあらかじめ決まっていて、そこに向けてどうやって議論を作っていくか、というのが神学論争だ。神学論争(ディベート)は議論をして結論を導き出す試みではない。2つの相反する結論があり、両者のそれに向けての討論過程が重要なのだ。
 ちなみに、官僚の議論も同じで、省庁間の合議は互いの役所で最初から決まっている結論に向けて、どうやって理屈をつけていくか、という議論構造だ。
 ディベートは真理の探究ではなく、決闘でありゲームだ。だから、論理的に正しい者が負けて、間違っている者が政治的に勝利するという傾向があるわけだ。
 ここで当然生じる疑問は、論争で2,000年間勝ち続けた正統派(論理的整合性が低い)の思想とはいったい何であるか、という疑問だ。

 (4)神学的論争は積み重ねられない。
 <例>「神は存在するか」という問題。これに対する議論は、偉大なものは全ての概念を包摂する。 → 神はこの上なく偉大なものである。 → よって、神の業もまた偉大なものである。その業の中には「存在する」という概念も含まれている。 → だから、神は存在する。   
 ここから派生して、「偉大なアトランティス大陸というものが存在するはずだ」といった議論が発生してくる。
 こういう瑣末な議論が細かく展開されると、「針の上で天使は何人踊れるか」といった議論(中世末期)が出てくる。これは、中世の普遍論争(実在論/唯名論)が行き詰まった最後のところで生じた。非常に重要な神学論争なのだが、例のように、途中で暴力的な介入があって論争は終わった。
 そして、2、300年経つとまた同じ話が蒸し返されてくる。ある神学論争が起こった場合、たとえ一見新しいテーマのように見えても、過去1,500年くらいの歴史をひもとけば、大体それと同じ論争が必ずどこかに存在している。
 神学においては、絶対的な結論が出ないことについて論争しているのだ。
 これを踏まえておけば、新しい論争が出てきた場合、それへの対処法、ツボが何処にあるかということが大体分かるようになる。

 (5)では、神学は何の役にも立たないか、というと、そうではない。人生の危機、時代の大きな転換期において、ものすごく役に立つ。「虚学」は本島の意味で実用的なのだ。
 死を意識するとき、自分の人生は何だったか、と誰もが考える。神学はそのときへの備えになる。
 さらに、さまざまな形で神学を学んでいくと、人間の限界を知ることができる。「人間がどこまで分かって、どこから先が分からないか」が分かる。
 人間の限界が分かると、人間の社会の限界も分かる。
 人間の社会の限界が分かると、人間の制度の限界も分かる。
 人間は限界を知ると、不必要な怖れを抱かなくなる。
 そして、人間の思考の底、最も深いところにある「何か」を掴むことができる。
 結局のところ、宗教の根源は「自分が救済されたい」というところにある。
 われわれの向かう先にあるのは死だ。しかし、当面は死の存在を認めない。あるいは考えないでおく。そこのところが不安の原因に他ならない。そういった点にまで触れるのが神学の仕事だ。

□佐藤優『神学部とは何か --非キリスト教徒にとっての神学入門』(新教出版社、2009)の「1 神学とは何か」
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 【参考】
【本】中国で宗教が流行しているが ~『立花隆の書棚』(5)~
【本】イスラム世界におけるペルシアの独特な立ち位置 ~『立花隆の書棚』(4)~
【本】旧約聖書には天地創造神話が2つある ~『立花隆の書棚』(3)~
【本】土着の宗教と結びいたキリスト教 ~『立花隆の書棚』(2)~
【本】欧米理解に不可欠なこと ~『立花隆の書棚』~

   

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