語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】原発事故にみる戦後デモクラシーの欠落 ~for the peopleの二重性~

2011年09月01日 | 震災・原発事故
(1)民主主義は今回の原発危機をどう克服するか
 デモクラシーとは何か。リンカーンのゲティスバーグの演説に“government of the people, by the people, for the people”とあるが、ここで特に問題となるのは、「by the people」と「for the people」だ。この2つは、ときに分裂する。
 しばしば次のような議論がある。「何が人民自身のためになるかは人民自身が知らない」「だから英明なる官僚が人々に代わって、人々を統治しなければならない」
 この場合の「for the people」は二重の意味で用いられている。人民の「ために」・・・・は、ときに人民に「代わって」という意味を招くのだ。すると、「人々のために、人々に代わって統治する」という話に転移してしまう。この傾向は、特に戦後民主主義のなかで顕著だった。パターナリズムを基調とする自由民主党を中心として民主化を進めていったからだ。
 こうなると、「by the people」という契機は後ろに引っ込んでしまう。「お前たちにとって何が利益になるかは、俺たちのほうが分かっているから任せておけ」・・・・こうした地盤のうえに、明治以来の日本で連綿と続いてきた官僚支配が乗っかっている。「by」抜きの「for」という原理で、日本の戦後民主主義が動いてきた。
 しかし、バブルがはじけてグローバル化が進みはじめた頃から、明治以来の官僚制もさまざまな失敗や腐敗を露呈するようになった。偏差値の高い官僚が人民に代わって国益や地域の利益を追求する仕組みが徐々に破綻してきた。
 <例>(a)94年に新潟県巻町(現・新潟市西浦区)で東北電力の原発を誘致するか否かで、住民投票によって原発誘致は否決された。(b)00年には徳島県の吉野川で河口近くのダム造りを徳島住民投票で押し返した。こうした住民投票によって、ようやく「by the people」と「for the people」の亀裂が明らかになってきた。
 しかし、この時期にせっかく盛り上がった参加型民主主義、自己決定という機運は、21世紀に入ると「小さな政府」「自己責任」というネオリベラリズムの議論に回収されてしまった。ネオリベラリズムの原理のもと、パターナリズムを否定しながら、中央政府による再配分をどんどん縮小していった。「官僚にはもはや地域や市民の世話をする知恵も金もないから、後はお前たちが自分でやれ、自己責任だ」という形で構造改革が押し進められた。
 市民が政治に参加しながら、自分たちの地域の公共性を議論していく、という機運は停滞・縮小していった。
 昨今よく見られるのは、「by the people」のモメントを極めて単純化し、「市民税を下げろ」「議会はけしからん」といかいう形で、仮想敵を叩いて一時の溜飲を下す、というくだらないポピュリズムだ。それは「by the people」のモメントを変な方向にねじ曲げていった結果出てきた。
 戦後デモクラシーの受動的「for the people」の帰結として、原発政策がある。原発を誘致したら地元に雨霰のようにお金が降ってくる、という構図だ。パターナリズムによって受動的民主化を押し進めれば進めるほど、政治家や官僚の懐に金が転がりこんでくる、という歪な構図が連綿と続いた。原発事故で、「by the people」と「for the people」の間にある亀裂が、ようやく人々に意識されてきたのではないか。

(2)政治家・官僚の隠蔽体質とメディアの癒着
 福島第一原発事故が明らかにしたのは、日本の政治家・官僚の隠蔽体質とメディアの癒着だ。
 事故後の報道を見ていると、まさに「新たな大本営」ができた、という感じだ。政/官/業の鉄の三角形があり、一部の政治家・族議員、そのカウンターパートとしての官僚、その傘下にある業界・企業。これが癒着してさまざまな既得権を守ってきた、という議論は、これまで人々に知られてきたが、今回はそれに加えて学者やメディアなどが五角形、六角形の既得権の温存の構造をつくってきた、ということがわかった。
 <例>(a)学問が悪しき意味での「for the people」に加担してきた。「人民のために、人民に代わってより良い政策を考案してあげる」というテクノクラシーが、学問に付随している。今回の原発の件では、特にその傾向が顕著だ。学問が役人と官僚と一緒になって、どんどん真理をねじ曲げてしまっている。(b)メディアについても、そういう傾向がある。
 最近になって、ようやくメディア自身もそれを書くようになった。これは大変大きな変化だ。「大本営」の疑わしさも、だんだんと炙りだされてきた。
 メルトダウンがいつ起こったか、という基本的な事実さえ、2ヵ月以上経ってようやく出てきた。政府は事故対策の立案に必要な現状把握さえできていなかった。こうしたお粗末な状況の中で既存の権力が動いてきた。このことが国民の前に明るみに出されつつある。ここにきて、ようやく官僚や専門家などのテクノクラート共同体が「for the people」を盾にする能力・資格をもっていないことが認識されはじめた。それが変化を余儀なくされている。これが第一歩の大きな変化だ。
 頭のいい自称「専門家」が専門知を持っていない以上、専門家は市民に向かって「お前たちは素人だ」という資格はなくなった。政策形成は市民に対して開放された。
 「このままでは後世の子孫に向けて顔向けできない」という感情を、いま多くの人々が持ちはじめているのではないか。そういう意味で福島第一原発事故は、日本の戦後のデモクラシーの欠落を雄弁に物語った。

(3)政治的現実にどう取り組むか
 民主党政権のときにこの大災害が起こり、原発事故が起こったのは、タイミングとしてはまだマシだった。長年利権の共同体の維持管理をしていた人たちがそのまま政権に居座っていたら、もっともとんでもないことになっていた。
 今回民主党がいろいろと不手際をやって、情報が二転三転するということは、国民が真相に近づくという意味ではある程度の効果があった。情報を隠蔽し続けて嘘をつき通されるよりまだマシだ。怪我の功名だが、民主党政権は、自民党のように官僚機構や企業をグリップすることができていなかった。それ故に不手際が露呈し、またそのことによって国民が真相に近づくことが可能になった。民主党という政権のもとでこの事故が起こったことの意味は、そこにある。

(4)その他
 (a)浜岡原発を止める決断を下した後の各界からの反発、圧力はすさまじいものだった、と菅首相は述懐した。具体的には語っていないが、それを窺わせる状況証拠はある。福島第一原発の原子炉が破損した後、菅首相の指示で海水注入を止めた、という話があった。これを安倍晋三元首相が聞きつけてブログで騒ぎだし、谷垣禎一自民党総裁まで飛びついて国会で菅首相の責任を追及した。しかし、実際は海水注入は止まっていなかったので、これがまさにガセネタだ。東電側からこのガセネタが自民党に流され、首相の攻撃に使われた。しかも、ガセネタであることが分かってからも、これを利用して首相を誹謗した側は何ら責任を問われていない。この国の権力の在処を窺わせるエピソードだ。
 議会でやれることはやらなければならないが、政治家に任せていては結局既存の体制に丸めこまれる。エネルギーの分散化や自然エネルギーへの転換などは、普通の市民が考えて動くことによって、はじめて実現に向かうことができる性質のものだ。
 菅首相は、「これは国会を出た社会運動だ」と言った。辞めることが決まっている首相の口から出る言葉として最善の発言だ。

 (b)原発をなくすか否かというテーマについては、政党を単位に議論することはできない。石原伸晃自民党幹事長がイタリアの脱原発国民投票についてヒステリーと評し、民主党の前原誠司前外相が脱原発はポピュリズムだと言った。この二人は原発問題では馬が合うらしい。
 原発の是非を問う国民投票に賛成する。国民投票で法律を変えることはできない。しかし、この運動によって市民が自ら考え、政治家に態度表明を迫ることができる。賛否の分かれる問題について、政党が意思決定を逃げないよう追いこんでいくことも、市民の役割だ。

 以上、シンポジウム「震災・原発と新たな社会運動」の基調講演2、山口二郎「戦後デモクラシーの欠落 --for the peopleの二重性をめぐって」(「atプラス」、2011年9月号)に拠る。
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