語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『高く孤独な道を行け』

2010年07月27日 | 小説・戯曲
 『ストリート・キッズ』、『仏陀の鏡への道』に続くニール・ケアリー・シリーズ第三作。
 第一作では、路上生活をおくっていた11歳の少年ニール・ケアリーが「朋友会」にスカウトされる。「朋友会」は、すなわちロードアイランド州の名門キタリッジ家が、家業の銀行業のほか、顧客の安全と平穏を守るために組織した私的調査機関である。「朋友会」の会長はニールの利発さに目をとめ、学費を出すことにしたのだ。当初は渋った少年も、就学を承知し、学業にいそしむ。そして、大学院生となったニールは、最初の任務を与えられた。上院議員にして次期副大統領候補の家出した娘を所定の期限内に探しだすべし・・・・。

 第二作では、前作で活躍しすぎた結果、米国から逃げだして英国はヨークシャーの荒れ地で暮らすはめになったニール。修道僧のように孤独な研究生活だったが、性に合っていた。しかし、7か月ぶりに新たな任務がくだる。中国娘に心を奪われて失踪した研究者を米国の会社へ連れ戻すべし・・・・。ニールは香港へ飛び、生死の境をさまようことになる。

 本書は、3年間中国で幽閉されていたニールが救出される場面からはじまる。米国へ舞い戻り、懐かしいベーコンとマフィン、コーヒーを味わうのだが、さっそく任務を与えられた。実父ハーレー・マコールに誘拐された娘、すなわち映画プロデューサーのアン・ケリーの娘コーディを捜索するべし・・・・。
 ハーレーの足跡を追ってハリウッドからネヴァダの高原へ移った。西部劇時代のおもかげを残す土地である。ハーレーがひそむ気配のあるハンセン牧場の隣、といっても3キロも離れているが、ミルズ牧場に住み込んで働きつつ探索を続けた。
 ハンセン牧場は、カルト教団、反有色人種主義や反ユダヤ主義を標榜する犯罪集団に占拠されているらしい。
 ニールの雇用主となったスティーブ・ミルズは、古きよき開拓者精神の持ち主。琴瑟相和するその妻のはからいで、ニールは恋人カレンを得る。だが、任務のためカルト集団へ潜入し、メンバーの反ユダヤ主義的言動を黙過したため、気骨のあるスティーブやカレンと対立する立場に置かれてしまう。
 覆面捜査官ものと西部劇との混淆みたいな欲ばった筋立てだが、たしかに派手な撃ち合い場面もある。

 シリーズ全体をとおしてみられる洒落て、ひねりのきいた会話が楽しい。会話が軽快なテンポで物語を展開させる。第二作では、保護者同然のジョー・グレアムから復帰をうながされるのだが、

  「最後に話したとき、ぼくは“停職”になってたんじゃなかった?」
  「あれは、おまえの熱を冷ますためだ」
  「で、その熱がもう冷めたってわけ?」
  「氷になっちまっている」

 しかし、このシリーズの特徴は、なんといってもニールの成長にある。父親は行方をくらまし、母親は麻薬中毒、という悲惨な家庭で、11歳のニールは、かっぱらいで糊口をしのいでいた。「朋友会」とつながりができたのも、「朋友会」の探偵グレアムの財布を掏ろうとしたのが機縁だ。
 それが、グレアムから探偵術をしこまれ、学業につき、中国で幽閉されている間は僧坊で伏虎拳を修業を重ねたりもする。ミルズ牧場におけるニールの生活はシンプル・ライフそのもので、こうした求道的な側面に注目する読者もいるだろう。
 人生の真実をしみじみと洞察するニールの独白を第一作から引こう。共感する人は多いにちがいない。
 「読書はすてきだった。読書はすばらしかった。本を読んでさえいれば、寂しさとは無縁でいられた。寒けも恐れも感じられず、いつも誰かがそばにいるように思えた」

□ドン・ウィンズロウ(東江一紀訳)『高く孤独な道を行け』(創元推理文庫、1999)
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