社会からはなれず

朝、暗いうちからウオーキングすると思いもつかない事が浮かぶ、明るくなるとこれがない不思議

古代の道を歩いて

2016年11月14日 | 散歩

11月8日ずーっと行きたいと思っていた熊野

何故、平安時代に上皇、貴族が熊野詣でができたのか

何故、上皇や貴族が熊野詣でをしたか

その地を訪れた時は小雨が降っていた。雨のせいか遠い昔のことがしのばれる

熊野は古代人にとってはイザナミが赴いた黄泉の国

熊野三山の主神は熊野本宮大社は阿弥陀如来

熊野速玉大社は薬師如来、熊野那智退社は千手観音を本地とするとされた。

このことから熊野全体が浄土の地であるとみなされた。

本宮極楽浄土が来世の救済を、新宮浄瑠璃浄土が過去世の罪悪の除去を那智補陀落浄土が現生の

利益をうけもつという三位一体の信仰システムが形作られた

午後1時半過ぎから荷坂峠歩くが、雨のため人影はなく昔の雰囲気を醸し出していた

途中歩いていると江戸道と明治道の道標があった。此処は過去の人たちの息遣いが感じられた。

9日は馬越峠を歩き、那智大社、那智の滝をみて、速玉大社に詣でた。

憧れていた熊野は浄土の地であった。昔も今も願うことは同じ

過去の汚れをはらい、現世の幸せ、死後の浄土

今生きていると、現世の幸せを願い、周りのことが見えなくなっているのかもしれない。

もう一度、何が大事なのか考える機会を与えられたのかもしれない。

 

 

 


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