11月8日ずーっと行きたいと思っていた熊野
何故、平安時代に上皇、貴族が熊野詣でができたのか
何故、上皇や貴族が熊野詣でをしたか
その地を訪れた時は小雨が降っていた。雨のせいか遠い昔のことがしのばれる
熊野は古代人にとってはイザナミが赴いた黄泉の国
熊野三山の主神は熊野本宮大社は阿弥陀如来
熊野速玉大社は薬師如来、熊野那智退社は千手観音を本地とするとされた。
このことから熊野全体が浄土の地であるとみなされた。
本宮極楽浄土が来世の救済を、新宮浄瑠璃浄土が過去世の罪悪の除去を那智補陀落浄土が現生の
利益をうけもつという三位一体の信仰システムが形作られた
午後1時半過ぎから荷坂峠歩くが、雨のため人影はなく昔の雰囲気を醸し出していた
途中歩いていると江戸道と明治道の道標があった。此処は過去の人たちの息遣いが感じられた。
9日は馬越峠を歩き、那智大社、那智の滝をみて、速玉大社に詣でた。
憧れていた熊野は浄土の地であった。昔も今も願うことは同じ
過去の汚れをはらい、現世の幸せ、死後の浄土
今生きていると、現世の幸せを願い、周りのことが見えなくなっているのかもしれない。
もう一度、何が大事なのか考える機会を与えられたのかもしれない。