ども~残りの日数が10日になってしまいました。
最近は一般教養に勤しんでるふかさんです。
今日も京都は今はいい天気です。
明日は少し天気が悪いそうです。
少し残念です
⇒
goo天気(京都)
明日は、授業が終わったらまた実家に帰ります。
(ちなみに⇒
goo天気(兵庫))
来週はずる休みをするつもりです。
何にも邪魔されず純粋に受験の勉強だけをします。
で、本題ですが、
少し考える時間がありました。
人間のする執着について。
人間には欲望というものがあり、それを叶えようとして、欲望というか目標などに向かって、最善で適切な道を進もうとします。
目標や欲が叶えられないと、人間は悩み苦しみます。
それを煩悩といいます。
※煩悩<三省堂提供 大辞林第2版
goo辞書>
〔仏〕 人間の身心の苦しみを生みだす精神のはたらき。肉体や心の欲望、他者への怒り、仮の実在への執着など。「三毒」「九十八随眠」「百八煩悩」「八万四千煩悩」などと分類され、これらを仏道の修行によって消滅させることによって悟りを開く。染(ぜん)。漏。結。暴流(ぼる)。使。塵労。随眠。垢。
――あれば菩提(ぼだい)あり
煩悩と菩提とは表裏一体で別々に離れたものではないということ。煩悩則菩提。
――の犬は追えども去らず
煩悩が人につきまとって離れないのを、犬がまといつくのにたとえた言葉。
私たちは人間として自制心とか(心理学的にはよく知られた)防衛機制とかをもって、これらの煩悩に対して対処しようとします。
宗教や苦行によって煩悩を遠ざけようとする人もいるかもしれませんね。
天人のように、煩悩がある人間であることを受け入れろという人もいます。
受け入れて、ではどうしたら??
受け入れたら、それから離れられるのですか?
逆に悩まなくなるのですか?
心に平穏が??
僕は罪ある者として自己否定をしそうだった記憶しかありません。
見栄や人間としての甘えや欲(他人のために何かしてあげたい、あれをしてあげたい・これをしてあげたい)そんなものしかありません。
そんなつたない自己を受け入れること、過去を受け入れること、現実を受け入れること。それらがいかに苦痛で、しんどくて、難しいことか知っているつもりです…。
一つ取り去ったと思っても、また同じものが煩悩として纏わりついてくる、一つ取り去っても新しいものがまた纏わりついてくる。
上のことわざですか??
・煩悩あれば菩提(ぼだい)あり
煩悩と菩提とは表裏一体で別々に離れたものではないということ。煩悩則菩提。
・煩悩の犬は追えども去らず
煩悩が人につきまとって離れないのを、犬がまといつくのにたとえた言葉。
なんて昔の人はうまくいったものですね。
さぁて、僕の執着はどうしたもんでしょう。。
ダメとかイケルとかいうのではなくて、今ある現実を受け入れなければ、これらに惑わされたままだ。と言われてる。
待つことも今を受け入れて継続することもできない。。。
待てない…なら、「待てない」自分を受け入れて、動くか
極楽も地獄も自分が心で作るもの。ならば、動いた結果を如何に受け入れるかが大切か
よし動くか。
皆さんには意味のわからない話でしたね。かつ、執着をどうやって解決するかの帰結が、所詮は「動く」という短絡的な結果…
この話は、好きな人にいつ気持ちを伝えるかと言う話です。
多分、だめな結果なんだと思うですが、前から悩んでるのはこれについてです。
いろんな人からは、まず、賛同を貰えないでしょう。
そして、試験前の今であるし、かつ、兄には就活が終わるまで支えつづけながら見守れと言われています。
でも、僕にとって大切なことは作戦を練って、好きな人と付き合えるように上手くアプローチすることじゃないんです。
大切なことは、気持ちを伝えること。悪い結果でも、それを受け入れること。
前から分かっていたんです。
でも、まず会うことが怖くて、声をかけるのが怖くて、で、気持ちを伝えるべきか、もぅ忘れるべきか悩みました。
で、ずっと煩悩について、執着について悩んでいました。
明日から(来週を除く)のそのうち…に気持ちを伝えます。