トロッコ札沼線

廃止となる札沼線の跡地をトロッコとして蘇らせようと頑張っている地元住民の奮闘記です!

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ホームページ開設しました

2020-03-19 00:03:27 | 鉄道
この度、専用のホームページを開設しました。

そのうちネットショップも開設する予定です。

ぜひ皆さんのぞいてください!

http://www.railnet-hokkaido.jp
又は
https://railnet-hokkaido.webnode.jp

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レールネット北海道とは??

2020-01-23 00:02:49 | 鉄道


この前新聞にも載ったんですけど、レールネット北海道っていう団体、まだここでも紹介していなかったんですよね。
今日はその団体について紹介したいと思います。

これは前にも書いてるんですが、私の家の目の前を札沼線の線路が走っているんです。
私もこの廃止区間を含む区間の定期券を買って利用していた者の一人だったんですが、
一昨年廃止の話が出まして、当初は廃止されたら困ると反対していたんですが、一方で利用者が非常に少ないことは肌身をもって感じていました。
だから廃止もやむを得ないのかなと。

自分の家の前の線路が廃止になるなんて、全国広しといえど、そう経験するもんじゃありません。
この線路、廃止になったらどうなるんだろうか、道路にするのか、草ぼうぼうになるだけなのか。そういったことも関係してくるわけです。

でもですね、せっかく先人が苦労して引いてくれた線路ただ剥がしてしまうのはもったいない、何か活用できないか、と考え、トロッコにしたらどうなんだろうか、全国でも成功している事例が多いじゃないか、地域活性化につながるんじゃないか。
そういったことを友人に話したところ、面白いね、やろうやろうということになって、その有志が集まってできたのがレールネット北海道という任意団体です。

将来的には、ここでのノウハウを生かして北海道の他の廃線跡をトロッコにして地域貢献のお役に立てたらと思っています。

特に会費が発生するわけでも会員証が発行されるわけでもない団体ですが、トロッコにして地域を盛り上げていこうという有志が2週間に1回くらい集まって知恵を出し合っています。
まったくの手弁当になりますが、一緒に考え、動いてくれる方募集しています。

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フォーラムの内容(その2)廃線後の線路の活用について

2020-01-21 20:55:39 | 鉄道
今日は、先日フォーラムで発表した内容についてご紹介したいと思います。


まず最初にトロッコの定義なんですが、レールの上を専用の乗り物で自ら運転できる体験型施設、又はその乗り物のことをトロッコということにします。

道内には現在7つのトロッコがあり、最も歴史が古く長距離を運転できるのが美深町にあるトロッコ王国美深、ここから最も近いのが三笠市にある三笠トロッコ鉄道、全国で最も有名といっていいのが岐阜県にあるGATTAN GO!という施設です。

トロッコ王国美深ですが、ここは国鉄美幸線という線路が昭和60年に廃止されたんですが、その約20㎞の線路のうち約5㎞が剥がされずに残っていたのを地元の有志が所有者である町から施設を借りて運営を始めたのが平成10年、片道5㎞往復10㎞で往復30~40分程度かかる路線です。年間来場者数は約1.2万人となっています。札幌から4時間もかかるところですが、これだけの人数が来る人気スポットです。
車両はエンジン付のトロッコで、車と同じ操作方法で運転します。踏切の手前はトロッコ側が一旦停止するというルールになっています。
皆さん私が撮影しているのを見ると手を振ってくれます。笑顔でない人は一人もいません。子供たちばかりでなく、強面のお兄さんも本当に楽しそうに乗ってくれてます。
(動画で紹介しました)



次にGATTAN GO!ですが、ここは旧国鉄神岡線が廃止になって第3セクターに移行し、その後その第3セクターも廃止になってしまったのが平成18年、廃止になる前に線路を活用してトロッコを走らせる計画を立てたため翌平成19年に開業しました。現在は2コースあってどちらも往復6~7㎞で年間来場者数は約5万人だそうです。ここも名古屋から約3~4時間かかるんですが、名古屋からのお客さんが一番多いそうです。高速料金は往復で1万円かかるのに、それでも来てくれるんだそうです。

車両は電動アシスト付マウンテンバイクを改造してレールの上を走らせるもので、自転車をこぐので大変かと思いましたがアシストの力で坂道もすんなり漕ぐことができます。トンネルがあるのも特徴で、真っ暗なトンネルに電飾を施したりしてアクセントにしていますし、スリルのある鉄橋を渡るのも楽しいです。
(動画で紹介しました)



札沼線のトロッコ化計画について
当別との境にある篠津川橋梁から知来乙駅の手前までの4.4㎞を月ヶ岡駅を起点として往復する知来乙線、石狩月形駅から札比内駅までの間の7.2㎞を石狩月形駅から往復する札比内線の2路線を計画しています。この2路線で年間延べ2~3万人程度の来客を見込んでいます。
踏切はトロッコ側が一旦停止するルールとし、大きな踏切にはスタッフを配置して安全確保を図ります。

石狩月形駅は鉄道記念館として札沼線の歴史を学べる場にするとともにキハ40の展示やトロッコの出発点とし、近くにある樺戸博物館と併せて歴史を学べるメモリアルゾーンにしてはどうかと考えています。

せっかく札沼線がつないでくれた地域の絆です。札沼線が廃止になっても札沼線がつないでくれた絆を生かし、町の枠組みを超えて地域が連携して例えばアウトドアや観光施設を盛り上げていってはどうかと考えています。
例えばアウトドアでいえば当別のふくろう湖で計画のあるカヌー体験、道民の森、釣り、キャンプ、最近月形で始まった自転車で不整地面を走るレースであるシクロクロスなど、温泉も月形温泉やふくろうの湯、中小屋温泉があるし博物館も伊達記念館や樺戸博物館がある。こんなにたくさんあるのに、これが町だけでやろうと思えば半分になる。連携して一体的な観光地になれば、お互いメリットがあるのではないでしょうか。



こうした経済的、観光的なつながりを含め、札沼線がつないでくれたつながり、絆を私たちはこれからもずっと大切にし、後世に伝えていかなければならないと考えています。
そして札沼線のレールをそのまま残して、歴史を伝え、利用することでこれからも札沼線は死なずに地域と共に生きていくことになるのではないでしょうか。

今日この会場にいらっしゃっている皆さんの中にも、札幌にお子さん、お孫さんがいらっしゃる方も多いのではないでしょうか。
皆さんのお子さんやお孫さんが帰ってきたときにこんな笑顔になれる施設が月形にあったらどうでしょうか?きっと皆さん喜んで帰省してくれるはずです。
またトロッコ乗りたいって帰ってきてくれるだろうし、皆さんもまたトロッコ乗りにおいでって言ってあげれる。
こんなとびきりの笑顔が見られる施設を作るチャンスが今ここにあるんです。ぜひこのチャンスを手にして、とびきりの笑顔を月形に持ってきてはいかがでしょうか。


大雑把に言うとこんな話をさせていただきました。

会場の方からは、
非常に参考になった。
知来乙から月形駅までの間もつなげてみてはどうか?
農地が線路により分断されていると不便。
月形の歴史に詳しい作家が廃線のニュースを聞いて、トロッコにして地域を盛り上げてはどうかと提案していた。頑張ってほしい。
といった声を頂戴しました。

今回来れなかった方も多いと思います。こうした方々の声も聞いて、皆さんに賛成してもらえるような施設にできたらと思います。

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フォーラムの内容(その1)石狩川右岸の繋がりと札沼線の歴史

2020-01-20 22:58:00 | 鉄道
先日行われたフォーラムの内容についてご紹介させていただきます。
今日は、歴史に詳しい楠さん発表された内容についてです。



(要旨)
札沼線の歴史を辿ると、早くから炭鉱開発で栄えた対岸に比して、発展の遅れた石狩川右岸の各町村が、
連携して鉄路の敷設を求めてきた姿が見えてきます。
札沼線誘致のさきがけとなった石狩川右岸鉄道速成同盟会長の海賀直常は、元樺戸集治監看守長
でした。その背景には、明治14年の集治監開設以来の近隣地域との様々な連携関係がありました。
当別と月形 士族開拓が集治監開設の道しるべ
当時当別村は開拓の実を挙げつつあり、監獄適地調査への協力や農作物の栽培指導、脱獄囚への対策、
団体移住の斡旋や支援など様々な協力関係がありました。
浦臼と月形 信仰がつなぐ開拓のきずな
衆議院議員の地位を捨て高知県より北海道開拓を志した武市安哉は、クリスチャン典獄として知られた大井
上輝前、教誨師原胤昭を訪ね、監獄用地の払い下げを受け、樺戸郡浦臼の地に、クリスチャン信者ととも
に入植しました。
新十津川と月形 過酷な晩秋の移住を支えた囚人たち
明治22年、空前の豪雨被害を逃れて奈良県十津川村から北海道への移住を支えたのは、樺戸集治監
の囚人たちでした。晩秋のぬかるんだ道を、病人や老人、子どもは囚人に背負われて進んだのでした。


北海道の鉄道路線の変遷

北海道の鉄道は炭鉱開発とともに進展しました。

1880(明治13)年 小樽-札幌間が開業。北海道鉄道の歴史が始まる
1881(明治14)年 樺戸集治監が開庁。
1882(明治15)年 札幌-幌内が開業。 空知集治監が開庁。幌内炭鉱の採掘に囚人労働を投入。
1891(明治24)年 岩見沢-砂川が開業
1892(明治25)年 砂川-滝川が開業 8月室蘭‐岩見沢が開業 11月追分-夕張が開業
1898(明治31)年 滝川-旭川が開業


1910(明治43)年 留萌線:深川-留萌が開業
1913(大正 2)年 滝川-富良野が開業
1931(昭和6いよいよ、札沼線の開業へ )年新十津川~石狩沼田が開業

1934(昭和9)年10月浦臼~新十津川が開業
1934(昭和9)年11月桑園~石狩当別が開業
1935(昭和10)年10月、札沼線が全通
ようやく車が日本に登場した頃。道路の整備は十分でなく、人の移動もままならず、物資の輸送は鉄道
が唯一の手段だった頃、積年の悲願が成就しました。石狩川右岸地帯の開拓と生活を支える、重要な
交通機関として実現しました。

ところが全通からわずか8年後の1943(昭和18)年10月、太平洋戦争が札沼線に暗い影を落とします。
鉄材供出と戦時不要不急を理由に、石狩月形~石狩追分のレールが撤去、列車の運行が休止さ
れます。
終戦後、運行休止なっていた区間にレールが復活、運転が再開されます。
1946(昭和21)年12月 石狩当別-浦臼が復活。
1953(昭和28)年11月 雨竜-石狩沼田が再開。
1972(昭和47)年6月 新十津川-石狩沼田が廃止。

そして2020年5月、北海道医療大学~新十津川が廃止へ

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道新に掲載していただきました

2020-01-17 12:31:47 | 鉄道
私たちの活動内容と明日開催予定のフォーラムについて先日取材を受けていただのですが、今日道新空知版に掲載されました。

しかも結構大きくてびっくり!ありがとうございました。記事の内容もよかったです。

明日ははたしてどのくらいの方がお見えになってどんな話になるのか。楽しみのような不安のような、複雑な気持ちです。

(写真は加工しています。ご了承ください)
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