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【自己アセンション】 ヒマラヤ聖者(30) イエスの磔(はりつけ)と数々の奇跡の意味

2012-05-15 07:51:11 | 【自己アセンション2】 ヒマラヤ聖者

ヒマラヤ聖者の生活探究 第一巻 第三章 無限供給 その実例と原理 P81~85

イエスが十字架に処せられた時、その外殻である肉体は放ったが、それは肉体よりも尚深いところに霊的体のあることを示すためであって、イエスが墓から出で給うた時に現れたのが、この霊的体でした。『この宮をこぼつとも、われ三日後にこれを建てん』とイエスが言い給うたのは、実はこの体だったのです。

わたしども人間にも同様に全く同じ霊的体があり、イエスの為し給うたみ業はすべてわたしどもにも出来ることを示すために、イエスは十字架にかかり、また蘇り給うたのです。もしイエスが助かりたいと思えば助かりもしたことに疑いはない。しかしイエスは御自分の体に或る偉大な変化が起こりつつあるのを悟っておられました。

イエスの御努力にも拘わらず、周囲の人々は自分達にもイエスと同様に霊的体が示現できることが悟れませんでした。このことにイエスは気づき給うたのです。イエスの周囲の人々はまだ自我に求めていたのです。イエスが決定的に変わった何らかのやり方で霊的体を示現して見せなければ、遂に人々は物質的なものと霊的なものとの弁別が出来ずになってしまうことをお悟りになりました。

この『変わったやり方』として、イエスは十字架上のはりつけを選び給うたのです。誠にも、これこそがわたしども一同が敬愛申し上げる大師イエスが、垂示せんとして来たり給うた人間内在のキリスト(実相)ではありますまいか。神に到る完全なる道をわたしどもに示す為に、イエスはその生涯をこの地上で展開し給うたのではなかったでしょうか。

種子植の仕事にせよ、パン造りにせよ、その他人間生活に必要な種々の仕事において、一旦理想的な方法を知った以上は、その方法を愛せずにいられるでしょうか。これらのみ業はわれわれをして実相開顕に漕ぎ着かせるための教訓なのではないでしょうか。わたしどもはいずれの日にかは、神の僕(しもべ)には非ずして真実神の子そのものなること、神の子として父の所有し給うすべてを所有できること、事実また所有している事、父の如くに自由にそれを行使できる事を悟るでしょう。

その為には、初めのうちは大きな信念が必要ではあります。それは普通一歩一歩踏み固めて行き、音楽や数学のように着実に研修して後、英智――未知のものをやみくもに信ずるだけではなく、既に知のものとしてわがものにする英智―の場に出ます。その時こそ人は見事自由自在の境涯に入るのです。その点イエスの生涯程、その範を立派に垂れたものが他にあるでしょうか。

皆さん、この聖名、イエス(すなわち開顕したる内在のキリスト、肉体人間を通して顕現せる神)の中にある力がお分かりでしょうか。イエスは神についての御自分の認識に完全に頼り切るところまで行っていて、これがイエスの偉大なるみ業をなす方法でした。イエスは御自分の意志の力、或いは強力な思念集中に頼ったのではありません。

わたしどもの場合もそうあるべきであって、我の意志力や念力に頼るべきではなく、神の御意志にこそ頼るべきです。『わが意志(こころ)にあらず、おお神よ、おん身の御意志(みこころ)のままに為し給え』です。イエスはあらゆる物において神の意志を為すこと、或いは神がイエスに望み給うことのみを為そうとし給うたではありませんか


聖書に、イエスが高い山に登られたと書かれているのに、皆さんは度々お気づきになったでしょう。事実イエスが高い山に肉体をもって登って行かれたかどうかは、わたしは知らない。しかし、これだけは知っています。――わたしたちは大いなる悟りと魂の光耀を得る為にはすべて高き処、すなわち心の中のいと高きところにのぼらなければならないということです。

この高い処とは頭の頂点(7)を意味するのであって、もし現在この頭の頂点の秘所に秘められた能力が出ていなければ、霊的想念によって開発しなければならないのです。次には愛の中心である心臓から、わたしたちはありとあらゆるものに愛を降り注がなければならない。その時内在のキリストは出現し給い、かくして初めて人の子が実は神の子、父なる神のいとも喜び給う一人子であることを悟ります。

故にわたしどもは不断に愛を注いで、すべての人々の為にこれを実現しなければならないのです。しばし歩みを止めて、深く思いを致すがよい。浜辺に広がる無数の砂粒を、集まっては地上の海や沼ともなる無数の水滴を、はたまた地上なる湖沼に棲む無数の生物を、更には全地球の内部にひそむ無数の岩片、地上に生うる無数の花樹、草木、動物のたぐいを。そしてこれらすべてが神の偉大なる普遍心の中において、神が想い続けてい給う理念像の投影であり、その一つ一つに神の生命が在ますことを知るがよい。

更に又、この地上に生まれ来る無数の魂を思っても見よ。それらの魂の一つ一つが神の理念像の反映であり、神はそれらを神自身を見給うが如くに見給うことを知れ。おのおのの魂が神自身と等しき力と表現と支配権とを包蔵するを思え。神は人に対し、神に似た、否、神より与えられたるこれらの能力を開発(ひら)いて、すべての中に、すべてを通し、すべての上に満ちて働き給う神=唯一偉大なる普遍心によって与えられたる遺産を通じて神のみ業を為すことを意志し給い、又欲し給う。

然らば各人は(見えざる宇宙大霊より)発して具体化したる神の顕現であり、神の愛(め)で給う表現の器である。この真理を知り、受け容れる時、わたしどもは初めてイエスと共に『見よ、ここにキリストあり』ということが出来ます。実にかくの如くして、イエスは死に定められたる我即ち肉我を克服し給うたのであります。

イエスはおん自らの神性を認め、主張し、受け容れ、しかしてわれわれの生くべき生涯を生きて見せ給うたのであります。

訳者註
(7) ヨガで云うサハスラーラ・チャクラ(梵の座)


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