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【自己アセンション】 ヒマラヤ聖者 (47) 教会/異なる宗教/人間に対する神の目的

2012-06-02 09:54:44 | 【自己アセンション2】 ヒマラヤ聖者

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ヒマラヤ聖者の生活探究 第一巻 第二十二章 万象同根、万人同胞 P211~216

・・・。その夜は或る一件の三階にくつろがせて貰い、夕食を早目にすますと、日没の光景を見に屋根に出た。屋根に五、六分もいたかと思うと、見たところ五十歳にはなろうかと思われる男の人が、階段を上って屋根に出て来た。

ジャストの紹介がすむと、わたしたちの話に仲間入りしてきた。この人はわたしたちが冬中の宿所ときめておいた部落の出身で、その部落に行く途中だったのである。同じ旅の身空だからと思って、わたしたちの一行に参加を勧めてあげた。彼は一応感謝はしながらも、同じ道のりでもわたしたちより早く生けること、ある親戚の者に会う為にこの村に泊まっていること、明日の夕方にはもう家に帰っている等というのである。

そのうちに話はわたしたち三名がエミール師やジャストと一緒に行った廟のことに戻った。すると、この人は静かにこう言うのである。「あの晩、わたしはあなたが廟の手すりに坐っているのを見ていました」。その上、私の見た既述の夢も実はこの人が見せたというのである。これには私も同僚達もびっくりしてしまった。というのは、わたしはあの夢のことを誰にも話してはいなかったからである。

わたしたちとしては、この人は全く未知の人である。にも拘わらず、この人はあの夢を私の見た通りに生々しく語るではないか。更に彼の話は続く、「わたしたちが見せられた真理をあなたも見せられたのです。人間は本来一体となって生まれ出たものです。その事を知っている限りは神より与えられた力と支配権とを正しく用いることが出来ましたが、『我(が)』の心が出てこの力を二元的に考えるようになった時、この力を誤用して二元が出るようになったのです。

それは人間がもともと自由意志を持ち、自分が観た通りのものを創り出すものだからです。ここから種々の差別や大きな仲間割れが出て来て、それらが地上どこに行ってもつきまとうようになったのです。しかし、それも改まる時期が来つつあります。雑多な対立はその極限に達し、人類は一切のものが唯一の根源から出て来ているということを認めつつあります。その為に人々は次第々々に相寄りつつあります。

人は自分以外の者が敵ではなく、みんな兄弟であるということを悟り始めています。これが完全に分かった時、すべてのものは皆一つの本源から出て来たのである以上、すべてはそこへ帰らなければならない、従って、実在において同胞であることが分かるでしょう。その時、人は自分が既に天国に在り、天国とは今この地上で人間の醸す(かもす)平和と調和とであることを改めて悟るでしょう。

従って、人は自分の選ぶがままに、天国も地獄も造り出すということが分かります。天国という考え方は正しいが、それを一定の場所としたのは誤りだったのです。神は我が内にある、否、我が内だけではなく、自分の周囲すべてのもの、すべての岩、すべての木、すべての花、およそ一切の被造物に存在すること、自分の呼吸する空気の中に、自分の飲む水の中、自分の使う金銭の中に神がましますこと、神は一切の本質であることを知るでありましょう。

人が呼吸する時、彼は空気と共に神を吸っているのである。人が食物をいただく時、彼は食物と共に神をいただいているのです。わたしたちは別に新しい教派を造ろうなどとは望んでいません。現在ある教会で十分であって、教会はすべての人々に近づいて、すべての人がわが内なるキリストを通して神を知ることが出来るようにしてあげる真理の中心であると、わたしたちは考えています。

教会と関係のある人達は、教会とは只一つのこと、即ち、人類すべての中にあるキリスト意識を象徴するものであるということを悟らなければなりません。これが悟れたあかつきは、もう教派の差別などなくなる。一体人間の『我』の考え以外にどこに差別があるというのでしょうか。一の教会又は団体と他のそれとはどこが違うというのでしょうか。

今時存在すると思われる差別は、ことごとく人間の我の心だけにしかないのです。この差別が人類を導いて今日に至らしめた結果というものを見てごらんなさい。国民と国民、家族と家族、いや個人と個人との間にさえ、大戦や大きな憎悪が生み出されて来たではありませんか。それも全部教会がめいめい自分達の信条、或は教義こそが他のものより優っていると考えて来たからです。

しかし、本当は全部同じことなのです。何故なら、究極において同じところに至るからです。個人が自分だけの天国を持つということは出来ないでしょう。もし持てるというのであれば、あらゆる教会々員は自分の『何々教』という名のついた教会生活を地上ですまして、天上でその酬いを受ける段になって、幾つもの天国という迷路の中で、自分専用の天国を探すために余生を費やさなければならないことになりましょう。

しかし教会という組織と、それに関連のある人々は日毎に接近しつつあります。いずれ一体となる時が来るでしょう。すべてが一つとなった時、もはや組織の必要はなくなるのです。しかし、これまでの差別の過ちは全部が全部教会にだけあるのでもありません。要するに人生の本当の意味に目覚めている人が少ないからなのです。

見てごらんなさい、大部分の人々が、或は欲求不満に陥り、或は眩惑し、或は押し潰され、或は不安のまま人生を漂っているではありませんか。各人が人生の意義をしっかりつかんで、自分自身の生命の中心より、明確な目標と行動とを以て、神の与え給う才能を顕現し始めなければならないのです。自分が他人の為に生きてやるということは出来ない。又、他人があなたの為にあなたの生命を表現するということは出来ない。

又、何人も他の人にその人自身の生命を如何にして表現するかを教えてあげることも出来ないのです。『父なる神は自らの内なる生命と同じ生命をその子の中に与え給えり』とある通りです。然るに魂はこの真理を悟れずしてあてどもなく漂っているのみです。何故ならば、人生の全目的は、内なる神我を現して行く時自(おの)ずから明らかとなるからです。

人は今も将来も、神の神聖なる象であることに変わりはありません。これが人間に対する神の目的なのです。人間の為に神の意図し給うたものを顕すことこそ、人生における人間の一大目的でなければなりません。山上のイエスのもとに弟子達が来た時、弟子達に語り給うたイエスの英智溢るることばを聞いてごらんなさい。

イエスの心はこの真理(山上の垂訓)を完全に悟っておられたが故に、人は真の理念、人生における真の目的を把握して初めてその全力を出し切って実相を開顕し得る、という信念に揺るぎはなかったのです。種子は地中にしっかり定着してから初めて芽生える。内なる神の力も亦、人の魂の中にしっかり定着して、初めて本当の望みを出させることが出来るのです。わたしたちはイエスのように、実相顕現の初一念こそが真実の願いであることを知らなければなりません。

 

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