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【自己アセンション】 ヒマラヤ聖者(8) 因果(カルマ)の超克

2012-04-24 18:15:22 | 【自己アセンション2】 ヒマラヤ聖者

ヒマラヤ聖者の生活探究 第三巻 ~第十七章 因果の超克・キリスト誕生の歴史~ P249~252

●リシの話・・≪注≫「リシ」とは、サンスクリット語で「聖者・賢者」という意味。

・・・。そのような種族が曾てこの地上に生存したことがあるし、また再び生存するようになるであろう。わたしはあなたたちに告げる、迷う必要はない、天国はすでにここにある、ここを各人が天国にすると意志さえすれば。人は神のお召しに耳を傾けることを拒むから、死んではまた生まれ変わって試練や苦悩多き人生に戻ってくるのです。

そして又、いくどもいくども死の門をくぐって、ようやく最後に教訓――即ち、絶対的な霊的知覚という岩の上にこそ、全人類という家族の家は建てられるのだという教訓――を学び取る。そのような人々には、死も存在しないし、死を繰り返すこともない。故に因果(カルマ)の法則は存在しない。因果とは結局、不調和〔老・病・苦・死など〕の実現を目的とする報復に他ならない。

報復に代えるのに自我放棄を以てせよ。そうすれば因果の動因は矯正される。なぜなら、因果はそれを発現させようと決めてかかってくる人たちの思いの中にのみ存在するからである。原因をとり除くか、それを一層高い状態で取って代えれば、低い状態は消える。かくして、あなたたちは自分の体のヴァイヴレイションを、因果を招く状態よりも昇華させたことになる。

そうしない限り、死んだところで因果は決してなくなりもしないし、破壊もされず、消えもしない、かえって死によって因果が加わり、幾層倍にも増大し、結局、各個人個人の上に大浪のうねりの如くに積み重ねられてゆくだけです。死と生とを放下した瞬間に、これらの因縁因果から解放される。かくして二つとも消えたのである。

消えたのであれば、それは忘れ去られてしまうだけである。この段階で、生命が絶対に永続するということを把握して、それを実現することができなくても、死という誤りに対しては生まれ変わりという最後の救済策があります。生まれ変わりは死というお先真っ暗な径の導きの光です。

この光の導きによって、何回も何回も地上の体験を繰り返すことによって、遂に死を克服し得るようになります。これらの体験が教える教訓によって、われわれに課せられていたもろもろの信条や独断(ドグマ)、神から来るものではなく、実は人間が造り上げたものであったことに目覚め、かくしてそれらの虚構を遂に放下する悟りに達するようになる。

そのとき、わたしたちは神の全栄光、父の家、即ち人造の信条や迷信の混入していない自分自身の神我という家、遙か遠くをさ迷い歩いたために朧にしか見えなかった光、しかしそれにも拘わらず、常に明るく輝き続けている光、の中に再び歩み入ることができるのである。この家に再び一歩一歩近づく毎に光はいよいよ明るくなり、遂に中へ入ってみれば、今まで我見のために微かにしか見えなかった光が、もとから持っていた温かさと美しさで輝いているのに気づく。

ここで改めて静けさと平和と安らぎとを見出し、思うがままに、心ゆくまでにそれらを享受する。今にして思えば、放浪を重ね、信条や迷信の虜となる前にこの家に入っておれば、とっくに自分のものになっていた筈である。しかし、始めからそうなのではあるが、径の終わりでも又、すべての誤ちは忘れられ、赦されているのです。

『汝ら静まりて立ち、汝らの中なる主の救いを見よ』。もろもろの現象の中にあっても心の全き静けさを保ち、あなたたちの真我である主なるキリスト(神我)が為し給う完全な救いを見ることです。このようにして、わたしもアブラハムが遙か以前に利用した法則を覚知し、又、それについて述べてきました。この法則はその時代も今も同じように真理であります。

現象は元来、想念や言葉や行いのままに、信念の程度に従って形をとるものです。もし現象がよくなければ、その矯正法は『想いを変えよ』ということです。


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