「自己アセンション実現の会」☆自己無限化・全知全能化☆~最高レベルのアセンデッドマスターへの道~

このブログは各自の自己アセンション(自己無限化・全知全能化)に役立てられる情報が集めてあります。

(再投稿)【資料7】 「ヒマラヤ聖者の生活探究」でマスターになる。(抜粋集)

2012-06-17 06:28:37 | アセンション情報実践研究会資料
提供:アセンション情報実践研究会

●書籍「ヒマラヤ聖者の生活探究」でマスターになる  

みなさん、アセンデッドマスター、すなわちアセンション(次元上昇)したマスター(大師・熟達者)になることを人生の一大目標として生きてみませんか。いっしょにこの旅、「アセンデッドマスターなる」ことを目指してゆきましょう。

マスターとなるための基本情報源は、「ヒマラヤ聖者の生活探究」(全5巻:実録体験記は1巻~3巻)です。マスターになる為の最も信頼できる情報源の一つです。アセンドしたラムサも読むことを薦めています。ラムサ情報はサブでもメインでも使える秀逸なものです。

下記抜粋は私用に作ったものなので、読者のことは想定されていません。元の翻訳文の多くを簡潔な言い方に直し、命令形は、「せよ」ではなく「する」としました。主語もかなり省いています。アセンデッドマスターに向けて努力する皆さんに、いくらかでも役に立つかもと思い掲載しました。
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マスターへ向かうための自己説得用基本情報

1.人間が神の波動全域の中に住めば、そこが人間の本来の波動圏。これこそ唯一の科学的領域、人間のための唯一の場。人は本来、至高所に属す本当の神。
2.マスターのようにスピリット(原書確認)の中にないのなら、体の波動をスピリットの波動まであげることが必要。体が大霊の波動に同調して振動するならば、一切の波動の中でも最大の光の波動、一切の波動の父、即ち神となる。        
3.身体を神にまで掲げよ、そうすれば王冠を戴き『一切の主』となる。
4.皆がパンや氷や何でも、すべて欲するものが造れるところまで早く向上していかなければならない。
5.自分を神と合一させれば何一つ不可能はない。
6.マスターたちは完全なる神の体を理想として描き、考え、それを実現した。   
7.神に夢中になれば実際に神となる。

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(エミール1巻P58~68)●沈黙は力。心の中の沈黙の場に達したとき、力の場―そこではすべては一つの力である―即ち神に達する。集中された力は神、『黙せよ、自らの神なることを知れ』とある通り。散乱した力は騒音となり集中した力は沈黙となる。沈黙の中において神につながり一つとなる。集中によってすべての力と一つになる。●神は人間に活用される為にあり、人間は常に神を活用するようになる。その時人間が神の力と一つであることを悟る。●内なるキリスト、内なる繋がりを通して神を求めなければならない。●神は静かな小さき声、魂の底深く静かにして小さき声を通して語る。●神は沈黙の最も深き処に在す。聖なるものの中でも最も聖なるものがわが内にある。●為すべきことは、神が私たちの為に既に創ってあるものの使用法を学ぶだけ。神は人間があらゆる制約より解放され、『豊かにして自由』となることを望み、人間にそう意志している。●I AM(神我)が顕れ出る方法はただ一つ。考え、想念、言葉、行為。●I AM(神我)即ち神なる実相――それは力、本質、智恵――は意志のみにより形が与えられる。●意識は神の無限なる心の中にあり、意識が人間。意識は人間の心の中に持ちつづけている観念、或は信念によって決定される。●形体がやがては老い死滅するのは、自分が神の霊とは別ものと信じているため。●神の霊こそすべてで、形体は常に神の霊が刻一刻と自身の心を表現しつつあると分れば、霊より生まれるもの霊より来たるものは霊であることが分る。●このような意識を通して啓示される偉大なる真理は、人間一人一人が神の心の観念であり、従って人間一人一人が神の心の中で完全なる理念として描かれているということ。こう悟ることにより神の心にふれ、神が私たちのためにすでに描かれたことを再び描くことができる。これがイエスのいう「再び生まれる」ということ。これは沈黙がもたらす偉大なる贈り物。●神の心に接することにより神心で考えることができ、間違って思い込んでいる象の自分ではなく「実相の自分自身」を知れる。●正念によって神の心に接し真象を現すことができる。●像が完全でも不完全でも本質は完全なる神の力、原質、智恵。変えたいと望むのは像の実相ではなく実相が摂っている象。●心を再び新しくすることにより、又は不完全な考え方から完全な考え方への切り換え、人間的な考え方から神の考え方に切り換えることにより(実相の自分自身を知ることが)できる。●従って神を見出すこと、神に接すること、神と一つになること、神を現わすことが非常に重大。●光彩陸離たる神の心がそのまま完全に意識にくまなく輝きわたる為には、沈黙、即ち我(が)の心を静めることが等しく重大。●我の心が静まった時、始めて『義(即ち正しく使うことrighteousess = right-use-ness)の太陽が癒しをその翼にもたらして昇る』ことを知る。あたかも日光が暗黙の部屋に満ちあふれるように「神の心」が意識の中に満ちあふれる。

(エミール1巻P71~77)●父なる神が私たちに与えたもっと高度で完全な法則を使う。必要なのは心を静め、麦を心の中で観ずること。その理想的状況を描くこと。すると手入れされて使用するばかりの麦が手に入る。●必要なものは一切の供給の源泉である普遍的原質の中にすでに在り、それを創り出すか引き出せばよい。●催眠術は一つ。「人間には神の完全なるみ業を為し、欲する事物を創造することはできない」と信じ込む自己催眠だけ。●皆がパンや氷や何でもすべて欲するものが造れることは結構なこと、皆がそう出来るところまで早く向上していかねばならない。●「われ神の子なり」と悟り、最高の法則、即ち神の絶対的法則を使用して必要とする事物、或いは最高の理想として胸中に包蔵するところのものを実現することができる。●私たちは神の完全なみ業をなすべきであり、意識をキリスト意識にまで高めるべきであることを悟るだけでそれが出来る。

(エミール1巻P77~81)●神がある精神的原型を観じ、世界形成に必要な原質がその中に流れ入り、原型のもとに完全なる外形ができた。●無限にして全能なる創造主でも、想念と希望を目に見える形で結実確立し、実存から秩序ある形をもたらすためには、『在れ!』という明確、積極的な言葉の発声が必要だった。私たちも何かの創造には明確な手段を取らねばならない。●天国とは完全なる意識の状態、「今ここ、完全なる世界」であることを知らねばならない。それを受け容れる。●天国が周りにあり、私たちの内なる目の開くのを待っている。その目により肉体は光となる。父なる神は私たちの存在の奥に、今ここに在る。●凝視すれば凝視されたものが表出、実現されるという人間に本来備わっている完全な力により、悪を見つめる事によって悪が造り出された。人間が悪を見なければ悪は出現の力を与えられず、善のみが現れて今もなお神が見るように完全であった。●人は皆天国、即ち大いなる精神的普遍質量より降臨した。人は神の像に似せて造られた以上、神は人間に対して神と全く同じような想像力を与えた。神は人間に対して神同様に自由で、しかも全く神と同じやり方で想像力を駆使することを期待した。●まず必要なものを確かめ、その型を意識の中に描きつづけ、そのうちでも崇高なるもの、理想的なるものを観じ、それから『既に得られたり、善し』と言葉に出して言う。すると心的普遍質量がその中に流れ入り型の中味となり、観じた通りの善きものとなって出現する。

(エミール1巻P102~104)●キリスト意識を持ち得るのは、心または想念(thought)の働きによる。想念の力でキリスト意識が自分の中にあるということを認めれば、肉体を変質させ進化させることができ、死の変化も体験しない。●それは人間が心の中に描く力、理想を描く力、考える力、凝視するものを実現する力がなす。●キリストはわが内にあると知ること、観ずること、或いは信ずること、イエスの教えの本当の意味を悟ること、私たちの体が神の像に似せて造られ神と一体と知り、神が見るごとく私たちの体を神の完全なる体と融合させること等によってできる。●私たちは完全なる神の体を理想として描き、考え、かつそれを実現した。霊の王国の中に生まれ変わっている。●この方法ですべてのものを本来の心的普遍原質に一旦還元してから再び具象化できる。それを純粋な、霊的な、完全なるものとして心の中で描き続けていると、波動が下がり、やがて完全な形となって具象化して現れ出る。こうして一切の偽信、旧態、罪、過去の生活を消し去ることができる。●それらが何であったか、良かったか悪かったかは問題ではない。また偽信、疑惑、不信、或いは恐怖を、自分や他人が山ほど私たちの人生行路に積み上げてあっても問題にならない。●そういう人たちに言う『今、私はあなたを一切の本源であり、一切が完全な相(すがた)を呈し、あなたの本源でもある心的普遍原質の大洋に、あなたを創造した元素にあなたを還元溶解し一体にする。その後あなたを復帰させ、常に絶対完全な相として観じ続ける』●自分にはこう言う。『旧い秩序に馴染んだ君を不完全なものと考えていたために、私は君を不完全な相にしていることが今分かった。しかし真理を悟った以上、君を神が見るように「完全なる者」として再誕生させる。今や君は完全な者として生まれ変わった。<今その通りになった(旧約聖書創世記)>●すると内なるアルケミスト、即ち「内在の神」がこれを受け取り、不完全な現象を変質し精錬する。そして神の体の如くに悦びに満ち、完全、美麗、自由な体として私たちに返してくれる。この事とこれが一切の中に、一切の為にある完全なるキリスト意識であると悟らなければならない。

(エミール2巻P59)●想いを常在の実在者である神にのみ向けて他にそらさないようにすれば、神のみ業の成就を見ることができる。

(イエス2巻P26)●眼を理想に据え、全身を理想で満たし求める目的が貫徹された。(イエス2巻P73)●人は神の中で全権能を握っているので、内なる神に直ちに参入すればよい。(イエス2巻P87)●内在のキリストを宣言しても、キリストとしての生活を生きなければ、内在のキリストは現れない。

(ホステス2巻P39~41)●理想が満たされなければ誤りは求めた側にあり神ではない。結論は『心をつくし、魂をつくし、力をつくして、主なる汝の神を愛すべし』 ●心配、不安、不信ではなく、必要なものはすでに自分のものとなっていると知り、歓び、晴れ晴れとした感謝の心で魂の深く沈潜する。秘訣は神と一体となり、一体感を持ちつづけて離さない。●『吾、自らの力にては何事をも為し給わず、わが内に住む父なる神ぞみ業(わざ)を為し給う』●神を信じて疑うべからず、信じて恐るるべからず。神は『すべてを為し能う』。神に願う時は積極的な言葉を使う。ただ完全な状態だけを望む。自分の魂に種子となる完全な想いだけを植えつける。完全な健康が現れてくるように求め病が癒されることを望まない。調和を現し豊富の実現を求め、不調和、不幸、制約から救われることを求めない。振り返って見ることさえしない。●周囲の空無と見えるものを無限の善なる神の想いで満たす。「神」という言葉が種子でひとりでに伸びてゆく。いつ、どこで、どのようには神に全託。求めた瞬間に成就されていると知った以上、欲する事物を言って祝福を与えるだけ。細かいことは神の仕事。

(ジャスト2巻P173)●想念と注意とを、何時も神と神の完全性に向けることによって自分の体の波動を高め、神の完全性より発する波動と同調融合し、神の完全性と全く一つになり神と一つになる。

(イエス3巻P21~29)●何事でも理想を実現するには、中心となる吸収点、即ち理想とするものに思念を集中することが必要。それが真の原動力。人間はこの原動力の中心となれる。理想を表現しない限りどんな事も実現しない。●瞑想:今、実現しそれと一つになり切った大いなる行為に比べれば外界での行為は無にも等しい。大いなる行為とは、今ある場所で黙坐し全想念活動を神に集中し、自分の息よりももっと近く、自分の手足よりも近くにある神を瞑視すること。●神とは人間の想念活動によって発生し活溌となるあの力。この力は自分の内や周囲一切にある。この力に思いを致し、存在していることを知るまでは活動しない。思いかつ知った時、自分の中から無限に流れ出るのが分かる。●最大の垂訓は『神を見よ』。この言葉は内より、またすべての人よりあらゆる栄光に包まれて輝き出る神を見ること。神以外の何も見なければ、神のみを愛し崇めたことになり真に神を見たことになる。

(イエス3巻P71~72)●彼はこの二つは別々の体であると思い、自分の肉体より離れた外側に見える方を別のキリストだと思う。しかし二つと見えるのは、自分がキリスト(神我・実相)そのものであると信じないが故の現象。こうした人は自らをキリスト(神人)と宣言し、そのことを既成の事実として受け取らねばならない。その瞬間、二つは融合して一つとなり真正なるキリストとなる。このとき初めてキリストが現れる。●故に一歩を進め、神のキリストここに在りと宣言せよ。その瞬間、神のキリストとなる。今や神の子は父なる神と一体となり、神の許に直行する。●更に一歩前進せねばならない。最大の前進であり最大の決意を要する。世俗的考え方や制約から来る一切の恐怖を消除せねならない。前進し神なる本源、父なる神に直行し、前例や迷信を恐れることなく、人間の造り上げた妄信を恐れることなく、われ神なり、神と完全に合一、融合せり、われ即ち神の愛、英智、悟性、髄質、本源にして最高原理なる力たる神の一切の御徳と知り明確に宣言せねばならない。しかも全き謙虚で受け容れねばならない。こうした人こそが神を顕現し神のあらゆる御徳が全世界に流れ出す。こうした人を通じてのみ神は自らを顕現する。このような人に不可能なことは何もない。自分を神と合一させれば、何一つ不可能なものはない。

(イエス3巻P77)●人類が大いなる癒しの光に近づけば近づく程、不調は早く消える。全世界の光である波動の中に無礙自在となって住み、すべての人々もこれに近づくならば、それだけ人間の本地に近づいたこと。●こうして実相(I AM)が全世界の光であることを知る。見よ、神を、饗宴はすでに整えられてある。神のこの力強きもの、この実相(I AM)を挙げよ。身体を神にまで掲げよ、そうすれば王冠を戴き『一切の主』となる。

(エミールの母3巻P120~213)●『わが肉体よ、われはこの聖なる炎を注ぐ。故に汝は神なる原理の見給う唯一の、かの聖なる質料に変性する』●神意識を受け容れ、意識を神意識にまで拡大することが必要。神に夢中になること。そうすれば実際に神となる。至高者と一つになる。人は本来、至高所に属し本当に神。ここでは神と人との間に何らの区別はない。●人間が神の波動全域の中に住むなら、そこが人間の本来の波動圏。これこそ唯一の科学的領域、人間のための唯一の場。そのような人間は世俗的人間の考えた人間観を越えたもの。人は本来神であるが故に神となり得る。●選ぶべきものはただ一つ、ただ一つの目的、ただ一つの真理、ただ一つの学問があるのみ。その正しい選択が解脱させる。●雑念妄想を止め、神ないし第一原因がすべてであること、それは始めもなく終わりもなく全宇宙にわたり、全宇宙の中にあって私たちを取り巻いていることを考える。素直にこのこと、このことだけ、即ち一なる神、全能なる存在のみを礼拝すれば、自分の体の波動が人間のそれから神、即ち原始波動に変わることに気づく。この波動を思い、その中で生き、動き、かつそれと一つになることがそれを礼拝すること。崇拝し生きる理想とするものに私たちは成る。すべての人類はかくのごとくであり、すべての人類にとってかくある。

(石書3巻P154)●最高の理念を常に、賢明なる思考の明澄なる水の中に保持していれば神となる。この内なる声より常に答えを得ることは確実。●意志の力に調和して欲望を与えれば直ちに飛び上がるように働きだし、命令を完遂するために多くのものを召集する。ただ一つの条件は命令が神の秩序にあること。●大原理は黄金光として現れる。人間自身の中にある。常にその光の中に自分を置く。そうすればすべての物事が明瞭に見えるようになる。

(エミール3巻P195)●一つの的を射当てようと思う場合は、全想念を的の中心に集中しなければならない。又、意識を一点に集中し的の他には何ものも見てはならない。的を射当てた時、ある程度神を実現。神とは人の聖なる理念で、一切の想念と行為との中心となる焦点。神聖なる霊人、即ち神のキリスト、即ち又『言葉となった肉』を現すのはこの方法。神は肉の周囲に在す。同様に肉は神。故に主観を客観にし神原理との積極的、賢明なる協働者となり、まっしぐらに目的に向かって進む。聖なる霊的生命、即ち内在の神を目的とする。そうすれば神が一切を引き受ける。自分の全意志を完全に一点に集中し思念をホコリ一つない鏡のようにして純一無雑に目的のみを考えずに何事かを成就した者は未だ嘗て一人もいない。●思念の力が神の働きをし、注意を完全に目的に集中することを要求するから目的が直ちに出て来る。神が客観化した瞬間、欲する原型や在り方を提示すれば完全に実現する。

(イエス3巻P206~207)●体を高揚しその輝く光を純粋白光の光炎と化す。その時の共に父なる神に回帰した。父なる神は純粋の光で、この振動する光からあらゆるものは出てきた。この波動の中ですべては神とともに在る。●マスターのようにスピリットの中にないなら、体の波動をスピリットの波動まであげる努力が必要。●体が大霊の波動に同調して振動するなら、一切の中で最大の光の波動、一切の波動の父、即ち神となる。

(イエス3巻P211~212)●肉体は低次より高次の状態に変性している。自分の想念(thought思考)を、従い又自分の体を、より高き波動に意識的に同調し続けることで変化を意識的に指揮することができる。体をより高き振動率に意識的に同調させることにより高き波動になる。この状態の中でマスターは待っている。今あるままで自分がマスターであり一切の状態の支配者。●第一段階は常に『完全』の習慣、『神』の習慣、『キリストなる神』という習慣を養うつもりで、想念、心、体の一切の外に出る働きを完全に統制する。どこにいようと、仕事中であろうと、休憩中であろうと、思い出すごとに実行。完全なるものが自分の中に存在するのを観ずる。完全なる存在を自分の真我、神なるキリストの臨在と観ずる習慣を養う。●百尺竿頭一歩を進め、自分の存在のまさに中心より聖なる白光が、目も眩むばかりの純粋さと輝きとを以て発光すると観ずる。大いなる輝きと栄光とが全肉体の細胞、繊維、組織、筋肉及び器官から発すると観ずる。真の神のキリストが勝利に満ち、純粋、完全、永遠なる相で顕現すると観ずる。小我のキリストでなく、真の神のキリスト、父なる神の一人子、常に勝利に満ち一切を征服する神の真の一人子のこと。●自分を神のキリストと見、神として世に現し、神を自分と見ることが偉大で尊いこと。

(イエス3巻P223~224)●神即ち最高の波動が実存し至高の力であることを進んで知るとき、それを用いることによって一切を支配することができる。自分の体を方々に移すこともできる。ある場所にいて同時に他の場所にもいる必要がある場合、現在の場所に留めているのは我(が)であって神ではない。神の力を制約した使い方をしている。我を放棄し制約を捨てる。「われは神のキリスト、神の波動と力と一体なり」と宣言する。自己が神の波動そのものであることを決定的に自覚した瞬間、目的地に来ている。あるものを考えるだけでは成就しない。そのことについて知りかつ為さねばならない。次に為さざるを得なくなるまでに、根源者(神)を愛し崇めねばならない。

(リシ3巻P264)●思考をキリストの高みにあげた時、肉体もキリストの波動に感応する。


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